第22話

 九月。新学期がはじまると同時に、受験生である事を更に思い知らされる現実に、碧は日々打ちのめされるばかりだった。

 二学期始まってすぐの進路相談にはじまり、模試やら何やら。渡された年内のスケジュールは、見た瞬間に丸めて捨ててやりたくなるものだった。が、そんなわけにもいかず、部屋のカレンダーの横に仕方なく貼り付けてある。たかがA4サイズの紙なのに、やたらと圧を掛けてくる忌まわしさ。

 一方で、隣のカレンダーはほぼ白紙だ。

 八月まではバイトがある日に丸をつけていたが、九月はそれが一気に減った。丸がある日、すなわち、広瀬に会える日…なので、それが激減したのは正直辛い。何なら、丸がついてる日に確実に広瀬に会えるわけでもないから、可能性としては半分。それでも、丸が完全になくなることを思えば…である。

 別に、バイトが無い日にもふらりと買い物に行く事に問題はないのだが、何となくそれを避けてしまっている自分がいた。

 碧はカレンダーをじっと見てから、ふうっと長い息を吐くと、机の上の問題集へと気持ちを切り替えた。

 


「夏休みに戻りたい。てか、何なら夏休み前に戻りたい」

 昼休み。弁当を食べた後に、机に突っ伏して圭一郎がそう呟いた。

「まだ新学期はじまって、二週間ですけどね」

 その横で、真人が半ば呆れたような声で言った。

「それなんだよー。まだ二週間しか経ってないのに、もう一ヶ月ぐらい長く感じるんだよー」

 ぼやく圭一郎に、雄太の方が「わかる」と同意した。

「何なら、一日が終わるのも遅い気がする。あれだなー、部活がないからってのが、かなり影響してる」

「それ。ほんと、それがでかい」

「俺、先週普通に部室に行きそうになった」

「もうそれが習慣だったから」

 だよなぁと二人が意気投合してぼやくのを聞きながら、何となくわかるなぁ…と碧も心のなかで同意する。

「夏休みで切り替えられるかなぁと思ってたけど、全然だめ。頭が追いついてない感じ」

「圭一郎は、サッカー第一だったから、余計だろ」

 真人は言うと、机に突っ伏したままの圭一郎の肩をを軽くたたいた。

「かも。夏休みもさ、暇あったらボール蹴ってたもんな」

「それ、切り替えられてないやつ」

「うるさいなぁ。ほら碧のバイトと一緒だよ、息抜き。ボール蹴ってると、ちょっと勉強忘れられるから」

 なぁ、と話を振られて、碧は「そうだな」と返す。

「雄太は?気分転換に走ったりしてない?」

「あー、気分転換に、ちょっとだけ。身体動かしてないと、落ち着かないっていうか。ちょとでも走ったら、切り替えれるっていうか」

 一緒だよ、と雄太が言うのに、圭一郎と碧が「だよなぁ」と応じた。

 結局、そういうことなのだ。これまで続けてきたものを、例えそれがどんなことであっても、いきなり辞めるというのは難しい。もちろん、スパッと切り替えられる人もいるのは確かで、皆が皆同じではないのも承知した上での話だ。

 碧は雄太と圭一郎の話を聞きながら、それでも一番切り替えられていないのは自分だろうと思う。

 きっぱりとバイトを辞めるけじめもつけられず、今もまだ週に二回、バイト先に足を向けている。それでも構わないと言ってくれる声に甘えて。

 話題には上がらないが、三人がそれをどう思っているのかは、正直気になるところではあった。が、あえて話題にしないという優しさがあるのも、分かっている。

 碧は、気持ちを飲み込むように、水筒のお茶をグビグビと飲んだ。

 その流れで見た窓の外の空は青く、まだまだ夏の暑さが続くのを物語っているようだった。

「……楽しかったな、琵琶湖一周」

 ふと思い出して、碧がぽつりと呟いた。その声につられてか、三人が皆、窓の外に目をやった。

 夏休みの最後に、みんなで行った電車旅。あの日もこんな風にまぶしいほどの青空で、車窓から眺める琵琶湖がきれいで。受験のことを一日忘れて、心から楽しんだ。

「受験終わったら、また行こう。みんなで」

「……そうだな」

 全員で、また。

 その日を笑って迎えられるように、今はただ、前に進むために日々を過ごすしかないのだ。

 

 進路の相談というものは、学校で担任や進路指導の先生と話をするだけでなく、当然親との間でも行われる。

 何ならそっちの方が重要で、親からああ言われた、こう言われた…というのも聞くが、碧に関してはそれが比較的少なめだった。

 兄と姉がいるから、受験も三度目。それもあってか、多少自分の好きなようにしたらいい…という考えがあるらしい。

 というのも母曰く、兄の時は何かと心配して、毎日のように話をしたり、志望校をいろいろ模索したりと手を焼いたそうだ。結果、志望校に合格はしたものの、兄との会話が少しギスギスしたものになったらしい。それが姉の時は更にで、なるべく口を出さないようにはしたものの、女同士ということもあってか、ちょっとの事でケンカ腰になることもあったとか。

 それを経ての、碧である。

 相談には乗るが、自分たちの考えを押しつけない、口を挟まないスタンスを守っているらしく、今に至ってもキツく言われた例しがない。

 兄や姉の性格と自分は違う。から、碧自身はもう少し突っ込んで意見を言って欲しいと思わなくはないが、親の方がそれを躊躇っているような感じだ。

 この日も、夕食の際に、学校で担任と話をしたことを相談していたのだが、母親は相づちを打ちながらただ聞くだけだった。

 真剣に聞いてくれているのが分かっているから、もう少しアドバイスを貰いたいが、有り体の事が返ってくる程度。

「じゃあ、もう少し頑張って上を目指す…ってことね」

「目指すっていうか、志望校の幅を広げるっていうか」

「いいんじゃない?それで自分が納得するなら」

 母親はそう言うと、食後のアイスコーヒーを一口飲んだ。

「ランクなんて気にしないで。行った後、ちゃんと四年間そこで頑張れるか、楽しめるか、ね」

「わかってる」

 ならいいけど、と母は言うと、コーヒーを飲み干して席を立った。キッチンに向かう後ろ姿を見やってから、

「じゃあ…とりあえず、部屋戻って勉強しとく」

 碧もそう言って席を立つ。

「はいはい。お風呂、準備出来たら呼ぶから」

「分かった。父さんは?今日も遅い?」

「どうかなぁ。いつもくらいじゃない?待ってても遅くなるだけだから、気にしないで先に入っちゃって」

「了解ー」

 部屋に戻る前に、冷蔵庫から飲み物を取る。それからリビングを出ようとした碧に、後ろから母親が声を掛けてきた。

「あ、碧」

 思い出した、と、母が言うのに、碧は足を止めて振り返る。

「何?」

「誕生日、何か食べたいものとかある?当日は平日だから、後の休みにでも、どっか食べに行こうか」

「あ、ああ…」

 えっと…と返事に詰まった碧に、母親がふふっと笑う。

「何?誕生日忘れてた?勉強しすぎ?」

「そうじゃないけど」

 そうじゃないが、忘れかけていたのは事実だ。

「碧も成人かぁ。お母さん的には、まだ二十歳で成人…っていうのが強いから、違和感あるけど」

「ああ……そういうことになるんだ、っけ」

 それもまた、言われてから思い出す。

 成人年齢が二十歳から十八歳に引き下げられた。兄も姉も二十歳が成人式だったから、母親の言う違和感も分かる。何なら、次の誕生日で成人だという自覚が、全くない。

 クラスメイトのなかには、もちろんすでに十八になった者も少なからずいる。が、かといって何か大きな変化があるわけでもなく、普段通りだ。そこまで話題に上ることなかったような気がする。

「だから。誕生日もだけど、一応成人のお祝いみたいなものだから」

 ちょっと良いものでも大丈夫と母は続けたが、今夕食を食べておなかいっぱいの状態では、あまり思いつかない。

「また考えとく」

「予約のこともあるから、早めにね」

 都合が合えば兄や姉も一緒に祝いたいし、と母が言うのに了解と返事をして、碧はリビングを出た。

 とんとん、と階段を上り部屋に戻ると、ベッドにすとんと腰を落とす。

「誕生日かぁ……」

 忘れるまではいかなくても、ずっとその日のことを考えるほどのこともない。その日を指折り数えて楽しみにし、随分前から欲しいものを強請っていた頃とは違う。ここ数年は、ちょっとお小遣いにボーナスがついて、好きなものをみんなで食べに行くという程度だ。

「…………」

 碧は天井を仰いだ後、すっと視線を部屋のカレンダーに移す。

 月末にやってくる誕生日に、丸印はつけられていなかった。

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