第17話
一年前の、夏。
その日も猛暑日で、朝から雲ひとつない青空が広がっていた。カンカン照り、というやつだ。
この日は週初めの入荷日で、朝から何台もの大型トラックが搬入口を出入りしていた。
荷台から、次々とパレットに積まれた商品が降ろされる。夏休みに入ってからは、届く荷物の量も倍近くになっているようだった。
それを仕分けしつつ、店内に出せる商品はどんどん運んでいく。ひとつのパレットを空にして、また次、また次。減ったな、と思うと、次のトラックが狙ったようにやって来る。その繰り返し。
「今日、何かいつもより荷物多くないですか……?」
終わりが見えそうで見えない作業を進めながら、碧は同じく作業を進める暁人と吉永に声を掛ける。
碧と同じく、二人とも額に汗を浮かべ、首からかけたタオルで幾度も汗を拭っていた。
「あーねー…。週末入る広告の関係で、いつもより多めになっております…」
夏場であることと、お盆前であることも加味して、掲載されている飲料の種類が多いらしい。吉永は申し訳なさそうに言ったが、広告の商品を選んでいるのは本社の人たちなわけで、現場は決まった事に対して「はいわかりました」と言うしかない。
碧は、動かしてくれるのをじっと待っている商品たちを見回した。
軒先を越え、日向に出ている商品などは、中身がお湯に変わっているのではないだろうか。実際、箱から商品を出して陳列していると、じんわり熱を帯びてあたたかくなっているものも多い。
碧は再度商品を見渡し、それから腕時計でちらりと時間を確認する。
まだ、朝の十時半。碧が働き始めてから、一時間半しか経っていない。が、暑さの所為か、体感的にはもう三時間ぐらいは働いているような気がする。
「牧野くん、休憩してね。水分大事」
吉永に声を掛けられ、碧は「はい」と返事をした。
こまめに休憩を取るように言われてはいるが、実際仕事をしていると、ついタイミングを逃してしまうこともある。ちょうど声を掛けて貰ったことだし、と、碧は「じゃあ、ちょっとお茶飲んできます」と、その場を離れた。
休憩スペースに戻り、クーラーボックスを開ける。半分凍らせて持ってきたスポーツドリンクをひと口飲んで、碧はふーーっと大きく息を吐いた。冷たさが身体に沁みる。ごくごくと飲み干してしまいそうな勢いのところを半分くらいに留め、翠はペットボトルをクーラーボックスに戻した。
そんな碧に、壁に取り付けてある小さめの扇風機が風を送ってくる。が、その風も正直涼しいとはいえない。
碧は、クーラーボックスの横の棚に置いてある籠に手を伸ばす。ご自由にどうぞ、と書かれた籠には、塩分タブレットが入っている。そのひとつを口に放り込んで、休憩スペースを後にした。
仕分けと品出しは、後どれぐらいで目処が立つだろうか、と、そんな事を考えながら。
午後になると、広瀬とバイトの松井が来て、人手が増えた。
出勤して、まだバックヤードや外に置かれた荷物を眺めた広瀬も「分かってはいたけど、多いねー」と苦笑する。
荷物が多いのは、飲料や酒だけではない。食品やら日用品などの雑貨やらも入荷してきて、バックヤードは人と荷物とが行ったり来たりの状態だ。
慌ただしく午後がはじまり、それぞれが各々の作業を進めるなか、
随分と荷物の移動も進み、目処がつき始めた頃だった。
店の中で商品を並べている碧の耳に、まるで地響きのような音が届いた。
「……?」
何の音だ?と思うものの、気のせいだろうかと作業を進める。
けれど、それからすぐに、また同じような音が、今度はもう少し近くに聞こえた。
何だ?と改めて思った次の瞬間。
バラバラバラ…!と、これまで聞いた事がないような音が響き、碧も、近くにいたお客さんも動きを止めた。
「え?」
雨の音かと思ったが、それにしては強すぎる気がする。
バラバラという強い音と、地響きのような音。店内に流れるBGMすらもかき消すような強い音に戸惑っている碧の耳に、
「牧野くん!」
広瀬の大きな声が届く。
「雨!バックヤード、急いで!」
それだけを言うと、広瀬は駆け足にも似た速度で通路を急ぐ。碧も慌てて、その後ろを追いかけた。
(――雨……?)
では、このバラバラという音は雨が屋根に降っている音ということだろうか。こんなに強く叩きつけるように?
今日、そんな天気予報だっただろうか?と、頭の中に疑問を浮かべながらバックヤードに出て、驚く。
視界が見えない程の雨が、文字通り地面に叩きつけるような強さで降っているのを目の当たりにして、瞬時に理解する。
(ゲリラ豪雨……!)
碧が驚く横を、幾人もの従業員が動き回る。
「シート、手伝って!」
「はい」
屋根の無いところに出ている荷物はもう少なくはなっているが、無いわけではない。
運べる商品をとにかく屋内へと運び入れるが、一瞬でも軒下に出た瞬間にびしょ濡れだ。
碧は軒下での作業を手伝うように言われたが、それでも風にあおられた雨が吹き付けてくるのを避けられない。
ざあっという音のなか、あちこちから声がする。
「シート足りますか!?」
「何とかする」
「新しいの取りに行ってくれてる!」
「やば、これ、破れてるかも」
「今のうちに、中に入れられそうなの動かして」
「濡れてもう箱がダメになってるやつは、もうそのままシートでいこう」
色々な人の声が飛び交う。
広瀬をはじめとした飲料担当者はもちろん、他の部門の人たちも手分けして作業にあたった。
雨音とともに、ゴロゴロ、ドーン、バリバリ…という、いかにも雷が落ちました、という音も届く。
「わー…。いま、雷落ちたんじゃない。あの音」
「稲光やばいね…」
「早く去ってくれたらいいけど」
手分けして十五分ほどで取りあえずの作業を終わらせ、ようやく息を吐く。
たった十五分ほどの作業だが、もっと長かったような気さえする。一気に何かを使い果たしたような心地だ。
ブルーシートを掛けたものの、おそらく濡れてどうしようも無くなっている商品もあるだろう。飲料の商品はペットボトルや缶でも、それを梱包しているのは段ボールだ。水には弱い。ある程度の水は吸収しても、ここまでの勢いでは段ボールの方が負けてしまうだろう。
だが、取りあえず、今できることはやった。後はなるようにしかならない。
「大丈夫?」
一連の作業を終えてぼんやりとしてしまっていた碧に、広瀬が声をかけた。
「雨が降りそうな空模様にはなってきてたんだけどね…。ぽつぽつ来たな…からの、豪雨が想像以上に早かった」
「びっくりしました……」
しばらく中での作業を続けていたから、空模様の変化には気づかなかった。
もし、これがバックヤードに人のいないタイミングだったら、初動はもっと遅れただろうと思うと、多少なりとぞっとする。
「にしても、ゲリラが一番困る。天気予報で言ってくれないもんね。可能性ってぐらいでさ」
広瀬が首にかけていたタオルを外しながら、苦笑した。
「ある程度進路決めて進んでくれる台風だと、こっちも事前に準備できるんだけど」
「台風……」
バイトをはじめた去年の夏は、台風が二度ほどやって来た。直撃コースかといわれていたが、結局進路がそれて酷い事にはならずに済んだ。その際には確か、台風が来るかもしれないから…と、準備をした記憶がある。確か、あらかじめ軒下の商品などにも、ブルーシートを掛けておいたのではなかったか。
けれど、それも予想ができたからだ。今日のようなこんな天気は、そこまで予想できない。何せ、本当に小一時間ほど前までは晴天だったのだ。
「天気の急変はね、困る。天気予報で、雷雨の可能性が…っていっても、ずっと雨雲とにらめっこしてるわけにはいかないから」
しばらく、軒下にはブルーシート掛けっぱなしにしておこうか、と広瀬は言い、それより…と近くにいる面々を見渡す。
「みんな、濡れたでしょ。今のうち、着替えとか」
「ですねー。タオルあったかな…」
広瀬の声掛けに、吉永をはじめ、そこにいた者がぞろぞろとロッカーへと向かう。
碧が戸惑うようにしていると、広瀬が
「……牧野くんは?」
問いかける。
「えっと……」
「着替えある?」
「……ない、です……」
残念ながら、ロッカーの中に入っているのは、着てきたTシャツとカバンだけだ。タオルやポロシャツの替えなんて入っていない。
「あー…。分かった。取りあえず、ロッカー行こうか」
おいで、と言われて、トコトコと広瀬の後ろを付いて行った。
ロッカーでそれぞれが着替えたりしている中、広瀬は自分のロッカーを開けると、中からポロシャツを取り出し、碧に差し出した。
「はい」
「え?」
驚いて広瀬を見る碧に、広瀬がふっと表情を緩める。
「俺のだから、ちょっとサイズ大きいかもだけど。そんなに変わらないでしょ」
「あ……」
えっと…と受け取るのに一瞬躊躇った碧に、広瀬は慌てるような仕草を見せた。
「あ!え、洗濯はしてるよ!?着替用に置いてあるやつだから! 」
言われて、そうじゃなくて…と碧は口を開く。
「でも、広瀬さんのが」
「俺は大丈夫。店長に話して、一回家帰るから」
だからほら、と碧の手に広瀬は自分のポロシャツを押しつけるようにして渡してくる。
「それなら。俺も、帰ればもう一着あるんで」
俺が帰ります、と碧が言ったのに、
「どうやって?」
広瀬は少し声のトーンを落として言った。
「え?」
「どうやって帰るつもり?牧野くん…自転車でしょ?まだ、雨降ってるよ?傘は?カッパは?ある?持ってないよね」
淡々と告げる声。心なしか、声が怒っているように聞こえて、碧は小さく息を呑んだ。
「あ、そう……ですね……」
「だよね。だから、遠慮しない。早くしないと、風邪引く。」
ほら、と押しつけられるポロシャツを、受け取る。
「すみません」
「謝る場面じゃないよ」
広瀬は言うと、今度はロッカーの中からタオルを取りだし、碧の頭に被せる。
「ほら、早く拭く!」
「え、わ、ちょ……」
そのまま勢いよく髪を拭かれて、驚き、戸惑う。
まるで小さい頃、風呂上がりに親にやってもらったような事を、この年でやられるとは…という恥ずかしさと、照れ臭さと。
そして、こういう場面に対して、事前に準備できていなかった自分への反省と。
自分を置いて碧の事を気に掛け、優先してくれる広瀬の優しさに、何故だかきゅうっと胸が苦しくなるのを覚える。
タオルで顔が隠れていて良かった。
きっといま、すごく変な顔になっている気がする。
碧は俯いたまま、きゅっと唇を噛んだ。
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