第21話 要求
アイラの口から語られたのは、レンシア王国の王位継承を巡る争い……いわゆるお家騒動についてだった。
フィリスの祖父――レンシア王国の先代の王ユライアは男児に恵まれなかった。
そこで、一人娘の王女に婿を取って王位を継がせることにした。
それが現国王のサイラス=ベルトランである。
ところが、サイラス王と王妃のあいだにも長らく子が生まれず、やむなく第二夫人とのあいだに生まれた男子に王位継承権が認められることになった。
その一年後に王妃がフィリスを出産したことで事態がややこしくなる。
フィリスは先代の王ユライアの実子である王妃の娘……つまり血筋で言えば正統な王位継承者である。
かたやサイラス王は伯爵家出身の貴族ではあるものの、王家直系の血族ではない。当然、第二夫人との間に生まれた王子も同様である。
直系の姫と、長子である王子。
王宮内では、ふたりの王位継承をめぐる争いが勃発した。
このときすでに野心という名の獣に憑りつかれていたサイラス王は、自身の権力を確固たるものにすべく、王家の血筋もろとも反抗勢力を一掃しようと画策した。当然、その毒牙はフィリスにも及んだのである。
「実の娘を?」
ラーズは思わず口を挟んでいた。
「サイラス王とて最初から悪心を抱いていたわけではないだろう。だが、権力は人を狂わせる。出産の際に王妃様が亡くなられたことも、ひょっとしたら影響していたのやもしれん。いずれにしろ、野心に憑りつかれたサイラス王にとって、たとえ血を分けた娘であっても排除する対象となりえたのだ」
サイラス王が稀代の野心家だという噂はラーズも聞いたことがあった。
実際、サイラス王が王位についてからのレンシア王国は、他国の領土を次々と侵略し、この十年間で帝国内で他の追随を許さぬほどの勢力を築き上げていた。現在起きているプルトゥスとの戦も、レンシア王国主導で行われているいうのは有名な話だった。
「だが、先代の王ユライア様は、サイラス王の悪心に気付き、亡くなる直前にお嬢様の身に危害が及ばぬよう手を打っておいてくださったのだ」
「それがロセヌ教団、というわけか」
アイラは頷いた。
「いかに一国の王といえど、教団にはそう簡単に手出しはできない。ユライア様はサイラス王が実力行使に及ぶ前に、お嬢様の身柄を教団に預けたのだ。もっとも、その代償としてお嬢様は王位継承権はおろか、王族としての特権をすべて放棄せざるを得なくなったのだがな……」
そこからアイラの話は、フィリスが教団に身を寄せてからのことに及んだ。
フィリスはロセヌ神への信仰心が厚く、幼少の頃より神の声を聞くことができ、聖霊術を操る才にも長けていた。
わずか十二歳という年齢で教団から正式に聖者と認められると、精力的に各地を巡り、人々に神の教えを説き、聖霊術で病人を癒し、悪しき霊魂を祓い、ときには戦地に赴き死者の魂を弔うための儀式を執り行ったりもした。
若く美しい聖女の噂は瞬く間に広まり、やがてフィリスは帝都で絶大な人気を博すようになった。
その一方で、活動を通して戦争の犠牲となった民の窮状や、帝国が抱える様々な問題を知った彼女は、武力による大陸統一に反対する気持ちを強くしていった。そして、ついには聖者という立場から反戦を訴えるようになったのである。
だが、それは同時に、帝国による大陸統一を『秩序ある世界の実現』として支持するロセヌ教団の方針に逆らうことでもあった。
ロセヌ神は光と秩序を守護する善なる神だが、その神に仕える組織が必ずしも清廉であるわけではない。侵略によってもたらされる莫大な富は、当然ながら一部の教団関係者にも流れていた。彼らにとって声高に反戦を口にするフィリスの存在は邪魔以外の何物でもなかった。
そしてそれはサイラス王にも同じことが言えた。
大陸統一を推し進める彼にとって、実の娘……それも絶大な人気を誇る聖者に反対されているという状況は到底看過できるものではない。下手をすれば、虫の息だった旧王家の勢力が息を吹き返しかねないという危機感を募らせ、今度こそ娘を排除しようと動き出したのである。
「帝都にいる間は、お嬢様の身に危険が及ぶことはそうそうない。だが、辺境の地に赴くとなれば話は違ってくる。もし王国騎士団に助力を仰ごうものなら、サイラス王の息のかかった者たちが喜々としてお嬢様を亡き者にしようとするだろう。教団も同様だ。だからどちらにも頼るわけにはいかなかったのだ」
そう締めくくったアイラの拳は怒りで震えていた。
「なるほどな……」
世界の命運を左右するような重要な使命に、たったふたりしか供を連れていないことがずっと疑問だったラーズからすれば、ようやく得心がいった瞬間だった。
とはいえ、今のアイラの話で疑問のすべてが解消されたわけではない。
「だが、だとすればなおさら俺たちを頼る意味がわからない。辺境の守備隊とはいえ、俺は帝国騎士だ。教団やサイラス王の息がかかっているとは思わなかったのか?」
ラーズが疑問を口にすると、アイラは小さく笑った。
「その様子だと、貴様は自分の上官の出身地がどこかも把握していないようだな」
「ハイマン司令の?」
「ハイマン殿はレンシア王国の元騎士で、先代の王ユライア様に仕えていた忠臣だ。そしてお嬢様が信頼する数少ない人物のひとりでもある」
「そういうことか……」
ハイマンが見せていたあの恭しい態度は敬虔なロセヌ信者だからではなく、本物の忠臣のそれだったのだ。
「……話はだいたいわかった。その上であらためて聞くが、なぜフィリス殿の素性を俺に話した? 彼女を守れというのなら言われなくてもそうする。命令だからな。だが、お前が望んでいるのはそんなことではないのだろう? お前は俺に何を求めている?」
ラーズが問うと、アイラは膝で眠るフィリスに視線を落とした。
そしてしばしの沈黙の後、静かに口を開く。
「……貴様に、お嬢様を対等な仲間として扱ってもらいたいのだ」
予想もしていなかった要求に、ラーズは思わず女聖騎士の顔をまじまじと見てしまった。
「どういうことだ?」
「さっき話した通り、お嬢様は生まれてすぐにお母君を亡くされ、お父君には疎まれて育ってこられた。近寄ってくるのは権力争いの道具として利用しようとする輩ばかり。教団に入ってからもそれは変わらなかった。聖者として崇める者はいても、まるで腫物を扱うかのように距離をとり、友情や親愛の情を示すものは誰ひとりとしていなかった……。ずっと孤独のうちに過ごされてきたせいか、お嬢様にはどこかご自身の命を軽んじておられる節がある。特に神託の子の啓示を受けてからはその傾向がより一層強くなった。このままでは無茶ばかりを繰り返し、いつかお命を落とされてしまいかねない」
その懸念はラーズにも理解できた。
フィリスは信仰や大義のために命を捨てることを厭わない、滅私奉公を絵に描いたような少女だ。おそらく神託の子を守るためなら、いや、この場にいる者たちの命でさえ、自らを犠牲にしてでも守ろうとするだろう。
例えるなら、真っすぐに立つ一本の柱だ。短いうちはまだいい。だが、そのまま伸ばし続ければ、横からの衝撃であっさりと折れてしまう。
フィリスという少女には、そんな危うさがあった。
「だが、もしお嬢様のお傍に、心からお嬢様の身を案じ、正面から向き合い苦言を呈してくれる友のような存在がいれば……対等な仲間として心通わせられる者がいれば、お嬢様も少しはご自身を大切にしてくださるのではないか……そう思ったのだ」
「お前やトーキル殿がいるではないか」
「私とお嬢様は主従の関係だ。対等な仲間ではない。トーキルも似たようなものだ」
「だからって、どうして俺が候補になる?」
ラーズとしては聞かずにはいられなかった。
「わからぬか?」
「わかるはずないだろう」
「貴様が甘い男だからだ」
咄嗟に何を言われたのか理解できず、ラーズは固まった。
「……甘い? 俺が?」
「そうだ。でなければ、あの村で子供たちを保護しなかったはずだ」
「あれは帝国騎士としての務めを果たしただけだ」
「違うな。貴様に与えられた命令はなんだ? お嬢様の護衛だろう。騎士にとって命令は絶対だ。ましてやあの子供たちは敵国の民。天秤にかけること自体がありえない。にもかかわらず貴様は子供たちを保護した。しかもご丁寧にお嬢様に責が及ばぬように配慮までしてな。これが甘さでなくてなんだというのだ?」
「……」
「貴様は甘い。だが、その甘さがお嬢様の心を掴み、信頼を得た。そして、そんな貴様を見て私はこう思った。貴様がお嬢様の身の上を知れば、必ず心を寄せる。お嬢様に対し特別な情が湧く。命令だからではなく、自らの意思でお嬢様を守ろうとするはずだと。違うか?」
違わなかった。実際、ラーズはフィリスの生い立ちを知って同情し、彼女の力になってやりたいと強く思っていた。
「はなはだ不本意な事実だが、お嬢様は貴様を頼りにしている。それと同じように、貴様にもお嬢様を頼ってほしいのだ。仲間として必要とされることが、今のお嬢様がなによりも望んでおられることだからだ」
「……俺はお前のようにずっとフィリス殿の傍にいられるわけじゃない。さほど意味があるとは思えないが?」
「そんなことはわかっている。今だけでいいのだ。この使命の間だけ。たとえわずかな時間でも、それがお嬢様にとってかけがえのないものになるはずだから……」
そう言いながら、アイラの手はフィリスの髪を優しく撫で続けていた。その姿から彼女が心からフィリスを慈しみ、大切にしていることが伝わってくる。
「……聖騎士とやらは仕える主の交友関係にまで気を回さねばならないのか。気苦労の絶えぬことだな」
ラーズが吐いた台詞は、半分以上が負け惜しみでできていた。
「私はお嬢様をお守りするためならなんだってする。だが、ただ守るだけでは駄目だ。その上で主の望みを叶え、幸せになっていただく。そのために利用できるものはなんだって利用する。それが私の騎士道だ」
アイラは誇らしげに胸を張った。
なんとも身勝手な言い分だが、その態度は清々しくもあった。
ラーズは盛大にため息を吐いてから、忠儀心に篤い聖騎士に向かって言った。
「いいだろう。あまり過度な期待をされては困るが、フィリス殿との接し方については可能な限り善処しよう」
「……恩に着る」
「気にするな。その方が任務の成功率が上がると踏んでのことだ」
ラーズのその言葉に、アイラはふっと小さく笑った。
「本当に甘い男だな……。そういえば前にオッシが言っていたな。うちの隊長は普段は頑固で融通がきかないくせに、たまに馬鹿になって暴走するから困る、とな」
オッシの奴め、と口の中で毒づいてから、ラーズは聖騎士の顔を見た。
「それよりも、いきなり馴れ馴れしくしてお前の主に煙たがられたら、そのときは責任を取ってくれるんだろうな?」
「それはそれで私の望むところだ」
そう答えたアイラの顔は実にさわやかな悪意に満ちていた。
ラーズは肩をすくめるに留め、今度こそ立ち去った。要らぬ気苦労を背負い込んでしまったような気がしたが、不思議と悪くない気分だった。
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