第20話 大隧道

 夜の闇のなか、一行はニカール山に入った。

 トーキルの魔術とたいまつの明かりを頼りに山道を登る。

 休息なしで、しかも夜通しの行軍となるが、今の状況で怪物に襲われれば間違いなく全滅する。この場にいる誰もがそれを理解しているので、文句を言う者はいなかった。


 先頭をイームクレン。その後ろにトーキル、オッシが続く。

 気を失ったままのフィリスはアイラが背負った。人ひとり背負っての山登りは相当きついはずだが、彼女は決して人の手を借りようとはしなかった。

 ラーズはいつでも支えられるよう彼女の後ろを付いていった。そして時おり振り返っては後続の様子を確認する。

 大量の荷物を背負ったダンが、コルウィンを抱く母親の背中を支えていた。

 その後ろには子供たちが列を作っている。慣れない山登りに加え、馬車に積んであった食糧を手分けして運んでいるためかなり辛そうだが、意外にもウォーレンが率先して彼らの面倒を見ていた。


「いいか、お前たちはウォーレン隊の隊員だ。俺の命令に従え」


「体力がある奴はそうじゃない奴に手を貸してやれ。みんなで協力し合うんだ」


「いいぞ、素晴らしい根性だ。この厳しい旅を乗り越えたとき、お前たちは間違いなく立派な戦士になっているはずだ」


 ちょっとしたごっこ遊びと、褒めて伸ばすやり方が功を奏したか、少なくとも子供たちに悲壮感は漂っていなかった。

 なかでも、ルーカスは年長者として一番多くの荷物を背負いながら、年少の子に手を貸している。ウォーレンに「お前は見所があるな。この隊の副隊長に任命する」と言われて嬉しそうにはにかんだ。


 そうして山を登り続けること数時間。

 東の空が白み始めた頃、ようやく一行は隧道に続く抜け道にたどり着いた。

 切り立った崖にできた小さな洞窟がそれだった。ごつごつとした岩場の中に巧妙に隠されていたので、知らなければ誰も気付けなかっただろう。

 トーキルの話では、大隧道の東西にある正規の出入口は頑強な門で固く閉ざされてており、中に入るにはいくつかある抜け道を通る以外に方法がないのだという。


 暗く狭い洞窟を中腰になって進む。

 抜け道はドワーフ用だからか、幅はあれど天井が低かった。子供たちはなんなく通れたが、大人たちは天井のでっぱりに頭をぶつけるなど思わぬ苦戦を強いられた。

 いくつもの段差を乗り越え、三十分ほど進んだところで唐突に開けた場所に出る。


 魔術の明かりに照らし出されたそこは、隧道というより巨大なホールのようだった。

 天井はなだらかにアーチを描いており、高さは大人五人分の身長よりも高い。横幅は馬車が十台は並んで通れるくらいにあるだろう。内壁は自然にできた洞窟と違って綺麗に削られ、装飾まで施されてある。ところどころ崩れているのは、長い年月を放置された証だった。


 全員が隧道内に入ったことを確認すると、トーキルが「ちょっと待っててください」と言って、来た道を引き返していった。

 しばらくすると、なにかが崩れるような大きな音が聞こえてきた。


「おい、今の音はなんだ?」


 戻ってきたトーキルにウォーレンが尋ねる。


「抜け道の天井を崩落させて通れなくしてきたんですよ」


 トーキルは何食わぬ顔で答えた。


「崩落させた!?」


「ええ、これで他の抜け道を発見されるか、山を掘り進まない限り怪物どもは入ってこられないはずです」


「それじゃ万が一のときに引き返せなくなるだろうが!」


「え、引き返すんですか? 引き返したところで黒い霧にのまれるか怪物どもに襲われるだけじゃないですか。それならいっそのこと塞いじゃった方がいいでしょう。大丈夫、隧道の西側にも似たような抜け道がありますから」


「隧道の中が崩落してたらどうすんだよ!」


「……その可能性は考慮してませんでしたねぇ」


 トーキルは悪びれもせずにからからと笑った。


「てめぇ!」


 トーキルに掴みかかろうとするウォーレンを、オッシが「まぁまぁ」と宥める。


「とにかく、みんな夜通し歩いてへとへとだから少し休もうよ。ね、隊長?」


 話を振られたラーズは頷いて、ここでしばらく休息する旨を告げた。

 途端に全員が糸の切れた操り人形のようにその場に座り込んだ。


 ラーズは荷物からたいまつを取り出すと、イームクレンに声を掛け、ふたりで周辺の様子を見て回った。

 隧道内は陽光がまったく差し込まない、まさに暗黒の世界だった。たいまつの頼りない明かりだけでは視界はほとんどゼロに等しい。

 耳が痛いほどの静寂と、生命の気配がまるで感じられないひんやりとした空気……死後の世界があるとしたらこんな感じなのではないだろうか。


 一通り見て回り、危険な生物がいないことを確認したラーズは、未だに目覚めないフィリスの様子を見に向かった。

 純粋に心配だということもあるが、トーキルが言っていた悪霊の存在を考えると、彼女の聖者としての力が必要になるかもしれないと思ったのだ。

 そしてふいに、ラーズはいつのまにか自分が他者の力を当てにしていることに気付いて愕然とした。


(俺は弱気になっているのか……?)


 信じられるのは己の力と隊の仲間だけ。

 そう豪語していた自分が遠い過去の存在に思えた。


 昨晩の襲撃……初めて遭遇したあの鎧の怪物はメッサーなどとはあきらかに強さの次元が違った。フィリスの助けがなければ間違いなく殺されていただろう。戦いで後れを取るなど、ここ数年はなかったことだ。

 この三か月間、こちらが手をこまねいている間にも、奴らは着実に勢力を伸ばしていた。今後はもっと恐ろしい力を持った怪物が現れるかもしれない。

 そうなったとき、はたして皆を守り切れるのか。

 それだけではない。この隧道を進むことが本当に正しい選択だったのか。他にもっと良い方法があったのではないか。不安という名の暗雲が心の内に広がっていくのを、ラーズは止めることができなかった。




 フィリスは相変わらずアイラの膝の上で眠っていた。


「具合はどうだ?」


 ラーズは小声でアイラに問いかけた。


「眠っておられるだけだ。心配はいらん」


 その言葉が嘘ではないと示すように、フィリスの寝息は穏やかだった。


「フィリス殿はいつもあのような無茶を?」


「……お嬢様はとても真っ直ぐなお方ゆえ、目の前で危機に陥っている者がいたら考えるよりも先に身体が動いてしまわれるのだ。たとえそれが貴様らのような田舎騎士であってもな」


 言葉に棘はあるが、アイラの口調は出会った当初に比べれば幾分柔らかかった。


「おかげで俺と、部下の命も救われた。礼を言う」


 ラーズは正式な騎士の礼をした。


「私に言われても困る。礼ならお嬢様に直接言え。もっとも、お嬢様はそんなものを望んではおられないだろうがな。神の信徒として力を使う以上、それは我欲を満たすためでなく、人々のためでなくてはならない……お嬢様が常々口にされているお言葉だ」


 いかにも聖職者らしい言葉ではあるが、それを命懸けで実践できる者などそうはいないだろう。だからこそ若くして聖者が務まるのかもしれないが、もっと年相応に他者に甘えてもよいのではないか。目の前で眠っている少女を見ていると、ラーズはそう思わずにはいられなかった。


「……フィリス殿が目を覚ましたら教えてくれ」


 ラーズはそう言って立ち去ろうとしたが、「待て」と声を掛けられて足を止めた。


「こっちの礼がまだだ」


「礼?」


「あの鎧の怪物との戦いで貴様に命を救われた、その礼だ」


 やや不満げな顔で言うと、アイラは頭を下げた。


「貴殿に感謝を。このような体勢ゆえ、正式な礼ができぬことはご容赦願いたい」


「それは構わんが……意外だな、素直に礼が言えたのか」


 あまりに予想外なアイラの言動に、ラーズは思わずそう口走っていた。


「貴様は私をなんだと思っているのだ!」


 激高したアイラが腰を浮かしかけるが、膝上のフィリスが落ちそうになって慌てて元の姿勢に戻る。


「と、とにかく、礼は言ったからな!」


 そう言ってそっぽを向くアイラの横顔は不貞腐れた子供のようだった。

 それが妙におかしくて、ラーズは苦笑を漏らした。


「フィリス殿ではないが、俺も身体が勝手に動いただけだ。恩に着せるつもりはない」


「ふん……」


 そのとき、フィリスが寝返りをうった。

 てっきり目を覚ましたのかと思ったが、そうではなかった。よほどアイラのことを信頼しているのだろう。甘えるように太ももに頬をこすりつけ、再び寝息を立て始める。

 アイラはそんなフィリスの髪を優しく撫でてから、榛色の瞳をあらためてラーズに向けた。


「……事のついでだ。貴様にひとつ聞いておきたいことがある」


「なんだ?」


「貴様はお嬢様について、ハイマン殿からなにか聞かされてはいないのか?」


 ラーズは唐突な質問に面食らうが、隠し立てするようなことでもないので素直に答えることにした。


「特に何も聞かされていない。ただ守るよう命じられただけだ」


「そうか……」


 そう呟くと、アイラはしばし黙考したのちに姿勢を正した。


「貴様のような田舎騎士でも、レンシア王国の名は知っているだろう」


「当たり前だ」


 レンシア王国は数あるエレニール帝国の属国のなかでも、一、二を争うほどの広大な領土を持つ、帝政の中枢を担っている大国である。


「お嬢様はレンシア王国の現国王、サイラス=ベルトラン陛下のご息女だ」


「……そうなのか」


「あまり驚かんのだな」


 期待していた反応が得られなかったからか、アイラは少し残念そうだった。


「いや、そんなことはない。ただ、フィリス殿がやんごとなき身分の方だというのはなんとなくわかる。さすがに王族とまでは予想していなかったがな」


「ほう、やはりお嬢様の高貴な気品は隠していても表に出てしまうか」


「というより、お前のフィリス殿への接し方を見れば誰だって察しがつくだろう」


 ラーズの指摘に、アイラは露骨に「しまった」という顔になった。


「……わざとやっていたんじゃないのか?」


「う、うるさいっ! とにかく、お嬢様はれっきとした王族なのだ!」


 ラーズは「わかったわかった」と宥めた。

 たしかにフィリスの高貴な雰囲気や品のある佇まいが王族特有のものだとすれば納得がいく。が、同時に納得できないこともあった。


「しかし、それならばなぜ我々に護衛を? 王族ならば要請すれば王国騎士団からいくらでも護衛をつけられたはずだ」


「むろん、そうできぬ事情があったからだ」


 そう言うと、アイラは真剣な面持ちでフィリスが抱える問題について語り始めた。


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