第29話 フウセンカエル


 歩き始めてからどれくらいの時間が経過しただろうか。

 腕時計が指し示す時刻は午後十一時半である。

 リーダーの不治野が予定している今夜の野営予定まであと三十分だ。

 その間小休憩を挟むことも、もうないだろう。


 空に朝日が浮かんでいるせいで、まるで夜中の気分がしない。

 先頭を歩きながら僕はつぶやいた。


「……この世界って、最初は新鮮で面白いって感じてたけど、思ったよりつまらないかもしれない」


「そうですか?」


 と背後から湖身の返事が戻ってくる。


「二位之! 士気を下げるようなこというじゃねえ!」


 不治野の声が一番後ろから突っかかって来た。


「二位之先輩にとっての面白いってなんですか?」


 真白の小さな声が湖身の頭を越えて僕の耳たぶを打つ。


「変化がないってのが面白くない」


 ずっと朝焼けが空を支配したままだ。


「てめえの目は節穴かよ! 土の大地から草の地面に変わってんだろうが!」


「……いちいちうるさいな」


「でも、ボクも二位之先輩の言いたことはちょっとわかります。農作業の手伝いをしている時も家の中で眠る時も、一年中空の風景がずっと変わらないままだったらきっと寂しくなるんじゃないかな」


 湖身に相槌を打つ真白の苦笑が聞こえた。


「終点世界は、鈍いから仕方ないよ」


「……終点世界は鈍い?」


 なんとなく聞き返してしまった。

 が、気になったのは僕だけじゃなかったらしい。

 前へ進もうとする足は止めないまでも、皆の意識は真白へと向かっていた。


「え? ち……ちが。違うんです! わたしがそう思ってるとかじゃなくて、本にそう書いてあったんです!」


「別にそんなに慌てて弁明するようなことかぁ?」


 不治野の呆れ声が落ちた。

 上擦った声で真白は説明する。


「本当なんです! 終点世界にあるダンジョンは自分たちが滅びてしまったことに気がついていないくらい鈍いから景色が変わらないのは仕方がないよってそう本には書かれてたんですよ! わたし滅びた世界のことそんな風に思いたくないんです! かわいそうじゃないですか!」


 真白の声があまりに煩かったせいで、場に沈黙が落ちる。


「えっと、優しいんだね、真白さんは?」


 と湖身が無言を破った。


「や、優しいなんて、わたしそんな優しくなんかないよっ!?」


 ピンク色の髪の毛を激しく揺らす真白の姿が僕の瞳に映る。


「――君らのくだらない私語はそこまでにして戦闘の時間だよ? 正面奥に敵がいる」


 僕は足を止めた。


「本当かよ!? ……眩しくてよく見えねえぞ?」


 不治野がつぶやいた。


「あ、本当だ! います、奥に! たぶんフウセンカエルが三体!」


 あの魔物の見た目は大型犬くらいのサイズがある丸々としたカエルだ。


「……フウセンカエルはレベル一だったはずだよね……それならわたしでもいけるかも……っ。……先輩? なにしてるんですか?」


 真白の疑問に僕は答える。


「見たら分かるだろうけどただの準備運動さ。さっきの戦闘からだいぶ間が空いてしまったからね」


 あの後も何度か魔物との戦闘があったが、そろそろ一時間くらいは遭遇していなかった。

 屈伸する。


「真白」


 不治野の呼びかけだ。


「お前、あれとやってみてえか?」


 あれ、とは徐々に僕らの方へ近づいてきているフウセンカエルのことだ。


「いいんですか!」


「体に残るダメージはどうだ?」


「完全に治りました!」


「やれ!」


「了解です!」


 大鎌を手に、真白が駆け出した。


「おま!?」


 慌てて後を追った不治野の伸ばした手が空しくもすり抜ける。


「おいコラ、待てや! 俺様はすぐに一人で向かえとは言ってねえだろうがあのクソ馬鹿間抜けッ!」

 

 薄々感じていたことだったが、真白は時折、周りが見えなくなるタイプみたいだ。

 それでいて足が速い。真白はたぶん猪に似ている。

 準備運動を中断し、僕はロングソードに手をかける。


「二位之! 今すぐに真白のフォローへ向かえ!」


「……偉そうに」


 愚痴りながらも僕は悪い気はしていなかった。

 誰かを守るために行う戦闘ってのはどうも新鮮に感じてしまう。

 少なくとも剣闘士として戦っていた頃には縁のなかった景色だ。

 小さな真白の背中を追いかけて、僕は全力で駆け出した。


「湖身! 俺様たちも行くぞ!」


 最初は乗り気じゃなかったレベル四のダンジョン攻略、なんだかんだで周りの雰囲気に当てられて楽しくなってきていた。 


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