第2話
♤
「なあ、昨日の新巻読んだ? 最高だったよなー」
「いやー、マジ作者わかってるわ。義妹まじ可愛いし。早く付き合ってイチャイチャしてほしいよな」
朝。
ホームルーム前の教室でクラスメイトの男子数人が昨日俺も読んだラノベのことで盛り上がっていた。
ただ、俺はそんな会話を聴きながらも話に入っては行けずにいた。
なぜか。
それは偏に、俺が義姉派だからである。
通称『義姉妹』と皆が呼ぶこの作品のファンの間では、義姉派は人権がないとまで言われている。
実際クラスメイトたちの会話でも「今回はあのくそ姉が出番少なくて助かるわー」って声もあったくらいで。
そんな話題で盛り上がる中に「義姉もいいとこあるんだぜ」なんて割って入る勇気はオタクの俺にはない。
高校に入学して一ヶ月が過ぎたというのに、未だ誰とも会話できていないのはそういう理由もある。
うちの学校で自分の好きな作品が流行っているのは嬉しいことなのに、推しが嫌われているせいでその輪に入っていけないというなんとも辛い現実。
ほんと、誰か一人でも俺と同じ価値観の人とか……いや、そういえばいたな。
和泉カレン。
彼女は昨日、姉派だと言っていた。
いや、でも流石に学年も違う上に相手は学園のアイドル的存在だ。
一年生のぼっち男子が気軽に話しかけていい相手じゃないし、学校内で堂々と話しかける勇気はもっとない。
また、昨日みたいに本屋で偶然なんて……ん?
「お、おい見ろよあれ!」
「きゃーっ、本物!?」
教室が急に騒がしくなり、顔を上げると皆が廊下を指差してはしゃいでいた。
誰か来たのかと目を向けると、開いた窓から教室の中をじっと見つめる美人がそこにいた。
「和泉、先輩……?」
間違いない、和泉カレン先輩だ。
長い黒髪、キリッとした大きな目、瑞々しい口元。
そこに立っていたのは紛れもなく学園のアイドル和泉カレンだった。
そして彼女はパニックになりかけている教室の入り口まで来ると。
か細くも透き通る声で言った。
「矢嶋君、おはよう」
聞き間違いかと思った。
でも、彼女は間違いなくそう言った。
そしてこのクラスに矢嶋という苗字は他にいない。
俺は思わず立ち上がった。
「お、おはようございます」
「うん。ねえ、ちょっといいかしら」
「え? お、俺ですか?」
「うん。ここ、騒がしいからついてきて」
振り向いてさっさとどこかに行く先輩を、戸惑いながらも追いかけた。
クラスメイトたちからの懐疑的な視線が痛かったけど、俺も何がなんだかすぎてそれどころでもなく。
やがて先を行く先輩に追いついたのは、人気の少ない階段の踊り場だった。
「ここなら静かだね」
「あ、あの……」
「ごめんなさい急に押しかけて。ちょっと昨日の件でお話したいことがあったから」
「昨日の件……」
言われて、心当たりを探ると一つ思いあたることがあった。
和泉先輩はきっと、実は先輩がオタク趣味を持っているということを俺が言いふらしていないかチェックしにきたんだ。
まあ、先輩みたいな有名人なら人目を気にするのも当然だろう。
最近はオタクも随分と生きやすい世の中になったけど、それでもまだ偏見を持つ人は多い。
特に女子なんて、「アニメ好きはいいけどラノベとか読んでるオタクはキモいよねー」とよく話しているし。
ラノベ読むのってどこかディープなオタクのイメージを持たれがちだ。
「あの、昨日のことは誰にも言ってませんから」
「うん、ありがと。あのね、お昼休みはいつも何してる?」
「昼休み、ですか? 特に何もないですけど」
「お友達とご飯食べる? もしかして彼女さんいたりする?」
「ど、どうしてですか?」
「質問してるの。答えてくれる?」
まっすぐ俺を見る彼女の鬼気迫る様子に俺は圧倒されながらも必死に頭を巡らせた。
なぜそんなことが気になるのか。
おそらく、俺のことを信用していないのだろう。
近しい人間に先輩の秘密を漏らしていないか、詮索しているに違いない。
んー、情けない話だけど、疑われるのも嫌だしちゃんと答えよう。
「すみません、俺って友達いないんですよ。もちろん彼女なんていたこともありませんし。だからいつも一人で飯食べてます」
堂々と喋るようなことではもちろんないが、俺が潔白だと信じてもらうためにはっきりとそう言った。
すると、
「ほんと? じゃあ、いつも昼食はどこで食べてるの?」
「え、ええと、だいたい非常階段のとこで食べてます」
「どうして?」
「……本を読みたくて。教室だと、ほら、他のクラスメイトに見られて気が散りますし」
疑った様子の先輩に答えると、ようやく先輩は「わかった」とだけ。
言い残してさっさと行ってしまった。
◇
「……やっと昼だ」
先輩に呼び出された後、教室に戻った俺は嫌と言うほど変な視線をクラス中から送られて地獄だった。
じろじろ見られるけど、誰も話しかけてはこない。
俺を見ながらヒソヒソと何かを話していたけど、その会話が俺に届くこともない。
それならいっそのことイジられた方がマシなくらい、生殺しな時間を過ごしてようやく昼休みになった。
俺は朝コンビニで買った弁当とラノベを一冊持って、さっさと教室を出た。
一目散に向かったのは、俺にとっての「いつもの場所」。
旧校舎側の非常階段前の踊り場だ。
人通りがなく、一人でのんびりと過ごせる場所をこの一ヶ月探し続けた結果、ようやく見つけた俺の居場所。
あそこは先生すら滅多に通らない。
さっさと弁当を食べてからゆっくりと読書タイムだ。
「……ん?」
俺の目指す踊り場が見えてきたが、同時に人影が見えた。
一瞬立ち止まってから目を凝らすと、なんとそこにいたのは和泉先輩だった。
「え、なんで?」
「あ、来た。こんにちは」
「こ、こんにちは……あの、どうしてここに?」
「ここでご飯食べてるって聞いたから」
まるで俺に会いに来ましたと言わんばかりの言葉に一瞬胸がドキッとしたけど。
冷静に考えてその理由は俺が恋しいからではないことくらいわかる。
やっぱり先輩は俺のことを疑っているのだろう。
ぼっちだと言いながら、本当は誰かと食事を共にしているんじゃないかと。
で、そいつに先輩のことを話すんじゃないかと。
「あの、本当に友達とかいませんから」
頼むから信じてほしいと思いながら言った。
友達がいたところで人の秘密を口外するような人間に育った覚えはもちろんないけど、そもそも話す相手もいない虚しい少数派オタクボッチなのだとわかってほしい。
疑われるだけ自分が惨めになる。
「そっか。じゃあ、ここには誰も来ないんだね?」
「ええ、まあ。信じてもらえました?」
「うん、信用する」
頷いてから、先輩は冷たい廊下に静かに腰を下ろした。
「あ、あの」
「ご飯、食べるんでしょ? 私もここで食べてから読書しようかなって。いけない?」
「そ、そんなことはないですけど」
「けど?」
「……失礼します」
ここは別に俺の私有地でも部屋でもない、ただの学校の廊下だ。
だから先輩にどこかへ行ってくれと言えるわけもないし。
俺もまた、どこか他に行く宛もなく。
少し距離を取りながら廊下へ座った。
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