武藤家の食卓(4-2)
大樹は竜泉に誘導され、近所の喫茶店へ向かう。
道中で竜泉が天気だとか最近食べて美味しかったものだとか当たり障りのない話題で会話を広げ、大樹は少し気が晴れたように感じた。
なるほど、見てくれも整っており、これだけ話上手であれば大勢から好意を向けられるだろうし、その中から霊能力があると信じる人間が出てきてもおかしくはない。
彼はきっと霊能者などという胡散臭いものではなくても大成する器であるように大樹には思えた。
「ここにしますか」
彼が指差した先には小さな喫茶店があった。この辺りに居を構えてから数年経つが、徒歩圏内にあるにもかかわらず存在にすら気づかなかった。
――こんな所に店があったのか。
あまり喫茶店を使う機会がないということもあるが、この店構えはまるで住宅地に溶け込むことを目的としているようで客に見つけてもらおうという意思が感じられない。
まったく流行っていないだろうが、〝あえて〟なのかもしれない。店主の道楽の店で新規客をあまり歓迎していないということも考えられる。
狭い店内には小さなカウンターとテーブルが三つが押し込まれていた。
調度品に特徴があるわけでもない。コーヒーの味で勝負しているということだろうか。
大樹と竜泉は二人掛けテーブルの端に向かい合って座る。
「私が奢りますよ。お好きなものを頼んでください」
「コーヒーをいただきます」
「承知しました」
おとなしそうな男性店員が注文を取りにやってくるが、トイレを我慢しているかのような不自然な動きをしており、大樹は少し気味が悪いと思った。
――なんだ?
しかし、店員の奇妙さに気づいているのか、見て見ぬふりをしているのか竜泉は意に介した様子もない。
「ホットコーヒーを二つ」
「はい、コーヒーのホットをお二つですね。あの……その……葛木竜泉先生ですよね? ファンなんです。サインいただいてもよろしいでしょうか?」
――あぁ、この男のファンなのか。それでもじもじしていたわけだ。
「もちろんもちろん」
大樹はファン対応を先に済ませるよう促し、竜泉もにこやかに頷いた。
差し出された色紙にサインを入れながら、竜泉は店内を見まわしている。
「良いお店ですね」
「ありがとうございます。でも客入りが悪くてもう畳もうかと思っていたくらいで」
「今、霊視したところによると、少し気の流れに淀みが見えますね。悪い霊が住み着いているようです」
竜泉の口調が明確に変化した。
あえて胡散臭い話し方をしているように思える。
大樹は霊と気の違いなどわからないが、口から出まかせを言っているようにしか思えなかった。
「やはりそうですか。そんな気はしていたんですが」
「そうでしょう、そうでしょう」
「どうしたらいいでしょうか? アドバイスをいただければ相応の謝礼はもちろんお支払いさせていただきますので」
「謝礼なんて結構ですよ」
「そういうわけには」
「では、我々にコーヒーを一杯ずつご馳走していただけますか?」
「そんなものでよろしいんですか?」
「えぇ、もちろんもちろん。では、紙とペンをお借りできますか?」
「はい、コーヒーと一緒にお持ちします」
竜泉は店員――おそらく店主が持ってきた紙にペンを走らせる。
コーヒーが冷めないように飲みながら横目でその様子を眺めているが、この店の間取り図を簡単に書いた後に、改善点を箇条書きにしているようだった。
別に高級な壺を買えだとか、縁起の良い置物を置けだとかいうことでもなく、まっとうな経営コンサルタントの意見に思えた。
「この通りにすれば必ずこの店が流行る、とは言い切れませんが、特徴を作ってある程度ターゲットを絞った方がファンがつくものです。万人受けを狙っても上手くはいきませんからね。あと私も色んなところで宣伝しておきましょう」
――どこが霊視だ。まっとうが過ぎる。
「ありがとうございます。明日、いや今日からすぐにやります」
そして店主は深々を頭を下げて、奥へと引っ込んでいった。
「竜泉さんって飲食店でも経営されていたんですか? あれ、別に霊視とか風水とかそういうものじゃないですよね」
胡散臭い演出は入れていても、内容に嘘くささはなかった。
大樹が尋ねると照れくさそうに、竜泉は頭を掻いた。
「この仕事の前はホストクラブにいたんですよ。大っぴらにしているわけではないんですが、週刊誌には小さい記事も出ましたね。隠しきれるものでもないので」
「あぁ、なるほど」
大樹は目の前の男の立ち振る舞いに腑に落ちるものがあった。
「まだ抜けてないですか? ホストっぽさ」
「えぇ、しっくりきました」
「胡散臭いですかね?」
「どうでしょう。でも誠意のようなものは感じられます。他人を悪意で騙そうという意図は感じられないので好感は持てます。これもあなたの術中に嵌っているとも考えられますが」
「別にあなたを騙したところで一円にもなりませんよ」
「そうですね。実際にあまり金はないですし」
「でも多少は信用していただけたようでよかったです。これからするお話しですが、正直あまり信じてはもらえないような内容なんですよ。いや、おそらく信じたくないと思います」
霊能者の言うことなど端から信じる気などない、と思っていた。先ほどまでは。
この男は多少は信用できる、今はそう思っている。
ホスト時代に身に着けた立ち振る舞いなのかもしれない。だが、彼になら騙されてやってもいい。騙されたところでもはや失うものなどないのだ。
しかし、彼は何を言うつもりなのか『込み入った話』としか言っていなかった。
「先ほどのコンサルモドキをご覧いただいた後にこんなことを申し上げるのもおかしな話なんですが、おそらく私の霊能力は本物です」
大樹は目の前の男がまるで聞いたことのない外国語を発したかのように感じた。
――何を言ってるんだ、この男は?
と思いつつも、既に彼の発言を無視したり突っぱねたりしようという気はなかった。
無言のまま、続きを待つ。
「私は自分にそんな力があると昨日までは信じていませんでした」
「昨日いきなり能力に目覚めた、なんて話ですか?」
「いいえ、以前からわかってはいたんです。見て見ぬふりをしてきただけで。勘がいいとか、運がいいとかそんな風に自分に言い聞かせてきました。でも、私は昨日見てしまった」
大樹は息をのむ。
この後に続く言葉を察してしまったから。
霊能力者が見てしまったのであれば――それはおそらく生きている者ではないだろう。
「あなたの奥さんと息子さんは生きてはいません。ご遺体は上がらないでしょうが、この辺りの沼で溺死したと思われます」
――そんな馬鹿なことがあって堪るかっ。
とは口に出来なかった。言葉が出てこない。
「この近くの山には貯水池や沼がありますよね?」
「ありますね」
「捜しましたか? ひょっとして捜索範囲内なのに無意識にその方面を避けていたり、選択肢から外したりしませんでしたか?」
大樹はそう言われて、はっとした。
確かに捜すべき場所にもかかわらず捜していない。
「呼んでいない人間をむやみに近づかせない何か見えない力のようなものを感じました。仕方のないことだと思います」
彼の言うことがあまりに唐突で漠然としているからか、それとも心のどこかでそうかもしれないと思っているからか。
しばらく黙ってテーブルの木目を見つめる。自分は何を言えばいいのか。
「二人が死んだ場所はわかったんですか?」
彼を信じているわけではないが、他に何を言えばいいのかはわからなかった。
不思議と怒りの感情は湧いてこなかった。
「ダウジングとは違いますからね。私が見た幻影のようなものが死んだ場所なのか、今ご遺体がある場所なのかはわかりかねます。この辺りの水場は地下深くで繋がっていたり、水流が急だったりするようなので、お亡くなりになってすぐに見つからなかったのであればどこかに流されたのかもしれません。でも、私が見たあそこ――登山道から脇道に入ったところにある沼には何かがあるんでしょうね、見える見えないはともかくとして」
「なるほど。二人はどうして溺死したのでしょうか? 妻は息子が失踪した時も、自分自身が姿を消す前にも悪魔に攫われたのだ、というようなことを言っていましたが、何か関係あるのでしょうか?」
竜泉は一瞬瞠目した後、目を閉じる。自身が見たものとこの発言をすり合わせているのだろうか。
「そうですか。そんなことを……。私が見たものは水の中からこちらを睨む邪悪なものと、おそらくそれに引きずり込まれた人たちです。その中にあなたのご家族と思しき人たちがいた、ということは言えます。もともとご自宅を撮影でお借りする時にご自宅で起こっていた怪奇現象とご家族の行方不明については伺っていましたし、写真を拝見していたのですぐにわかりました」
そして、コーヒーではなく汗をかいたグラスの水で口を湿らせた竜泉は続ける。
「息子さんはあなたによく似ていました。奥様があの水の中にいたものを悪魔と呼んだのであれば、あれがそうなのかもしれません」
荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい話だ。
だがそう思っても、否定する言葉がどうしても出てこなかった。
「あれがもともと何だったのかはわかりません。悪魔なのか河童のような妖怪なのかはたまた全く別のものなのかもしれません。それがあの沼や水辺に引きずり込むために人を呼び寄せているんでしょう。実際に引きずり込む人間は選別しているようではありましたが、あのマンションの人間を主に狙っているようでした」
大樹はこれまでのことと彼の発言を頭の中で反芻する。
確かめようもないし、そもそもこの男の霊能力があるという最も信じがたいことが前提とはなってはいるが、特に矛盾はないように思えた。
「なるほど」
「別に信じなくてもいいんです。私はただ自分の言いたいことを言ったまでです。それにあなたの奥様と息子さんを証拠もないのに死んでいると決めつけるというのは失礼極まりないことです。私は殴られてもいいと思ってここに来ています」
「信じたくは……ありません。でも、なぜかあなたの言う通りだという気がしてならないんです」
大樹のこの言葉は嘘偽りないものだった。
心霊番組に応募した時点で自分の中にも非現実的な何かに二人が巻き込まれたのかもしれないという予感があったのかもしれない。
「その沼に二人の魂――のようなものがあるとして、二人はそこに囚われているのでしょうか? 花でも供えれば成仏してくれるものですか?」
「正直、私は人より少し霊感が鋭いだけのホスト崩れです。成仏という概念もよくわかっていません。ただ、感じた悪意や怒りは花を供えたくらいではなんともならないような気はします」
「では、どうしたら?」
「考え、はあります。正しいかどうかはわかりませんが」
大樹にはその時の竜泉の表情は何かを諦めたかのようで、決して良いアイディアを発表する時のものには見えなかった。
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