第2話 音楽室の秘密

朝のホームルームが終わり、授業が始まるまでのわずかな時間。

佐藤芽衣は、机に広げたノートを見つめながらも、昨日起こった出来事が頭から離れなかった。

「高橋さんのピアノ、本当に素敵だったな…」

隣の席の美咲が興味深げに声を掛ける。

「何か考え事?」

「うん、ちょっとね。昨日、放課後に高橋さんのピアノを聴いたんだ」

「え、本当?あの子ピアノ弾けるんだ」

「うん、それがすごく上手で。でも、もっと仲良くなりたいのに、なかなか心を開いてくれなくて」

美咲は頷きながら言った。

「まぁ、転校してきたばかりだし、時間が必要なんじゃない?」

「そうだね。でも諦めないよ!」

その日の放課後。芽衣は再び音楽室へ向かうことにした。もしかしたら、また莉奈がピアノを弾いているかもしれない。胸の高鳴りを感じながら音楽室の前に立つと、中からは静寂だけが漂っていた。

「今日は来てないか…」

少し残念に思いながらも、芽衣は音楽室に入る。そこで、昨日莉奈が使っていたと思われる楽譜が置かれているのに気づく。

「これは…」

タイトルには見慣れない曲名が書かれていた。楽譜を手に取ると、細やかな書き込みがされている。

「自分で作曲したのかな?」

突然、背後から声が聞こえる。

「それ、勝手に見ないで」

振り向くと、入口に立っている莉奈が冷たい目で芽衣を見つめていた。

「ご、ごめん!置いてあったからつい…」

芽衣は慌てて楽譜を元の場所に戻す。莉奈は音楽室に入ってくると、楽譜をそっと抱きしめた。

「大切なものなの。触らないで」

「本当にごめんなさい。でも、これって自分で作ったの?」

莉奈は答えず、視線を窓の外に向ける。その横顔に何か孤独なものを感じた芽衣は、もう一度勇気を出して話しかける。

「すごいね、作曲もできるなんて。私、音楽は聴くのも演奏するのも好きだから、憧れちゃうな」

莉奈は少し驚いた表情で芽衣を見る。

「あなたも、音楽、好きなの?」

「うん!小さい頃からピアノを習ってたんだけど、上手くはないけどね。でも音楽を通じて感じるものが大好き」

初めて見せる芽衣の真剣な表情に、莉奈の心境が少し変わったようだった。

「そう…」

短い返事だが、その声色には先ほどまでの冷たさは感じられなかった。

「もしよかったら、一緒に演奏してみない?」

思い切って提案する芽衣。莉奈は一瞬戸惑った様子で沈黙する。

「…私は一人で弾くのが好きなの」

「そっか。でも、いつか気が向いたら声かけてね」

芽衣は無理強いしないことにした。莉奈のペースで少しずつ距離を縮めていければと思ったからだ。

その翌日。昼休みに芽衣が中庭でお弁当を広げていると、遠くのベンチに座る莉奈の姿を見つける。一人で本を読んでいるようだ。

「今日も一人か…」

美咲が口元にサンドイッチを運びながら言う。

「やっぱり話しかけてみたら?」

「うーん、でもしつこいと思われたら嫌だし」

その時、風が吹いて莉奈の持っていた本のページがめくれ、彼女が慌ててページを押さえる姿が見えた。そして、一枚の紙がひらひらと舞い上がり、地面に落ちる。

「大変!あれ、拾わなきゃ!」

芽衣は立ち上がり、紙を拾い上げると莉奈の元へ駆け寄る。

「これ、落としたよ!」

莉奈は驚いた表情で芽衣を見る。

「ありがとう…」

紙を見ると、それは音符がびっしりと書かれた楽譜だった。

「新しい曲?」

「まあ、そんなところ」

「やっぱり作曲してるんだね。すごいなぁ」

莉奈は少しだけ微笑んだ。

「別に、趣味だから」

その微笑みに胸がときめく芽衣。

「もしよかったら、その曲聴かせてくれないかな?」

「…考えておく」

昨日と同じ返事だが、声のトーンは柔らかくなっていた。

放課後、芽衣が部活を終えて校門を出ようとすると、後ろから声がかかる。

「佐藤さん」

振り向くと、莉奈が立っていた。

「高橋さん、どうしたの?」

「今日、少し時間ある?」

「うん、大丈夫だよ」

「じゃあ、音楽室に来てくれる?」

芽衣は驚きと喜びで目を輝かせる。

「もちろん!」

二人で音楽室に向かい、莉奈はピアノの前に座る。

「昨日の曲、聴かせるね」

「うん、楽しみにしてる!」

莉奈は深呼吸をし、鍵盤に指を置く。静かなイントロから始まり、徐々に力強く、そして感情的なメロディーが紡がれていく。その音色は、どこか切なくも希望に満ちていた。

演奏が終わると、芽衣は感動のあまり拍手を忘れて言葉を紡ぐ。

「本当に素敵…なんでそんなに心に響くんだろう」

莉奈は恥ずかしそうに視線を落とす。

「ありがとう。でも、まだ未完成なんだ」

「そんなことないよ!完成してなくても、こんなに素晴らしいなんて」

芽衣の真剣な瞳に、莉奈は少しだけ心を開き始める。

「佐藤さんは、どうして音楽が好きなの?」

「うーん、難しいけど…音楽を聴いていると、自分の気持ちが素直になれる気がするんだ。嬉しい時も悲しい時も、音楽がそばにいてくれるから」

莉奈は静かに頷く。

「…私も、似てるかもしれない」

「そうなんだ。なんだか嬉しいな。高橋さんとこんな風に話せて」

「莉奈でいいよ」

「え?」

「名前で呼んで。私も芽衣って呼ぶから」

突然の提案に、芽衣は少し赤面する。

「うん、わかった!莉奈」

二人は微笑み合い、その瞬間、確かな絆が生まれたように感じた。

「明日も一緒に音楽、できるかな?」

「うん、ぜひ」

夕陽が音楽室を暖かく照らし出す中、二人の新しい日々が始まろうとしていた。

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