クソビッチとモブ子

くーくー

第1話 誰でも彼でも誰とでも?

「ちょっと! アンタまたやったね、うちの彼氏までとったでしょ! 今年だけで何人やれば気が済むんだよー、ふざけんなー!!」


 放課後の教室に、甲高い怒声が響き渡る。

 その声の主の怒鳴り顔が、もうもうと湯気の立った茹蛸みたいに見えて、私は思わずぷぷっと吹き出してしまった。


「コイツ~何をニヤニヤ笑ってんのよぉ! うちとゆう君はね中三のときから付き合ってて、もうすぐ二周年だったのに! こんどの記念日にはバニーファンランドに二人で行こうねって約束だってしてたのに! アンタのせいで全部めちゃくちゃだ、このくそびっちぃぃぃー!!」


 脳天からぴゃーっと出ているかのようなキーキー声をあげながらガッと両手を伸ばしてきたその女子に突き飛ばされそうになったところをひらりとかわすと、どうやら同級生らしいけどどこのクラスかも不明なもちろん名前も知らない女子はぐらりとよろめいて机にどんと手を置いた。


「なーにやってやがんのよ! クソビッチ! 今、あずさを突き飛ばしたでしょぉー! あずさと本橋君はめっちゃラブラブだったんだよ、悪いとか思わないのっ!!」

 

 遠巻きに見守っていた数人の見分けのつかないストレートロングヘアクローン女子たちが、ぞろぞろと廊下から駆けつけて私のことを取り囲む。

 なるほど、あずさっていうのかこの女、ふーんなんて思っていると、今度はロングヘアクローン軍団が私に向けてわらわらと握った拳を振り上げてくる。

 あーこりゃ殴られるわ、歯が折れないといいけど、親に説明しづらいしなだなんて思いつつちょっと顎に力を入れて奥歯を噛み締めていると……


 ガラガラと閉め切られていた教室の扉が開き、眼鏡におかっぱ頭の女子が突如現れて、忘れものらしいノートを鞄にしまうと、どうしたのと声をかけるでもなく、トラブル回避で逃げるように立ち去るでもなく、ちらりともこちらを見ずに、さっさと教室を出て行った。


「ちょ、ヤバいよ、うち等が揉めているの見られちゃったかも、先生呼ばれたらどうしよう……」

「そ、そうだよね……」


 ストレート軍団の親玉っぽいのが口火を切ると、連中は一斉に振り上げた拳をパッと下ろし、ひそひそ話をしながらすごすごと教室を出て行った。


「ウチらはアンタを許したわけじゃないんだからねっ! 覚えておきなさいよ! このクソビッチが~!」


 まるで、ドラマの悪役みたいなテンプレの捨て台詞は忘れずに。


「ふぅー助かった、やっぱボコられるのは勘弁だしね」


 ほっとして自分の机の上に腰を下ろし、半分開いた窓から吹き込む初夏のぬるい風でふらふらと揺れるカーテンの端をつつく。

 カーテンは風と指の振動で、くるりと指に巻き付いた。


 さっきみたいなトラブルは、私にとって日常茶飯事だ。

 黒髪ストレートロングに白のアンクレットソックスいわゆる清楚系ってのがデフォのうちの学校で、ギャルっぽい見た目の私は浮きまくっている。

 でもさー、日に透けると赤茶色に見えるこの髪の色も、くるくるのウェーブも、バサバサのまつげも全部生まれつきの天然なんだよね。

 ネイルだって爪が弱いから補強的な意味もあるしさ、まぁラインストーンとか赤いリップバームはただの趣味だけどー、校則違反のフルメイクしてるわけじゃないし。

 この見た目は、しょうがないんだっつーの。

 目立たないために地毛をわざわざ黒く染めて、毎朝ヘアアイロンでくせっけを伸ばすなんて、めんどすぎるし。

 黒髪ウィッグはちょっと考えたこともあるけど、蒸れそうだしやっぱヤダわ。


 そんな派手な見た目で悪目立ちしちゃっているから、クソビッチなんてあだ名をつけられて、根も葉もない悪いうわさで誤解されていちいち恋愛トラブルに巻き込まれてるのかっていうと、まぁそんなんでもないんだけどね。

 うん、あいつらが言ってきたのは、別に言いがかりってわけじゃないんだよね。

 そう、人から見れば私はいわゆるビッチってやつなのかもしれない。


「もう三週、次はタイムとるぞー」


 またひらりと揺れたカーテンの裏から、体育教師のガラガラとした声が流れ込んでくる。

 ふと目を向けてみると隙間から差し込む夕暮れ越しに、陸上部の部員がトラックを走る姿が目の端に映る。

 あれが、さっきの騒動の原因、本橋悠人だ。

 本橋には先々週告られて、先週別れた。

 どっちも向こうから言われるがままに。


「俺と付き合ってくれ!」


 はい、どうぞ。


「こっちから告っておいて悪いけど、お前いつも上の空だしなんか違う気がする、別れてくれ」


 ほいほい、ご自由に、じゃあさようなら、またどうぞとは言わないけどね。

 一事が万事この調子で、私はずっとやってきたんだ。

 

 来るものは拒まず、去る者は追わず。

 彼女がいるかいないかなんて、いちいち確かめたりもしないし、正直どうでもいい。

 だってそれって、そっちの問題でしょ?

 私には、全く関係なくない?

 私は告られたら基本断らないし、次から次へ付き合っては別れてを繰り返してきた。

 でも一度も、自分から二股とかかけたことなんてないし。

 誰かと付き合ってるときにほかの男子に告られたら、ちゃーんと断ってもいるんだよ。


 告る前にちゃんと女関係整理しておかずに次に行った本橋には文句ひとつ言わずに、私にだけ責任を押し付けるとはさ、なんつーかちょっとフェアじゃないと思うんだよね。

 しかし、今まで二股をかけられた彼女本人からビンタされたことは一度か二度くらい……うーん、三度だったっけか? それくらいはあったんだけど、大勢に囲まれてボコられるってのは未経験だったから、あのいくつもの拳にはさすがの私もちょっとビビったし。

 偶然とはいえ、さっきのアイツの登場にはほんと助かったなぁ。


 さっき騒ぎの最中に教室に入って来たのは、クラスメイトの田中さん、中学は別だけど高校に入って一、二年共に同じクラスだ。

 でも、しゃべったことは一度もなく、下の名前も実は知らない。

 田中さんは見た目も苗字も普通中の普通、日本人形のような真っ黒ヘアのおかっぱ頭に赤い眼鏡をかけ、学校指定のマーク入りのハイソックスをきちっと履いて、スカートの長さも標準の膝丈、うちの学校のメインを占める清楚っぽい系とはだいぶ違う感じだけど、全国のどこの高校のいつの時代にも、いや三次元どころか二次元でも似たやつがぞろぞろいそうな見事なまでの真面目ちゃんのテンプレなモブっぷり、私はひそかにモブ子と呼んでいる。

 もちろん、心の中でだけだけど。


「どうしよ、明日は祝日で会わないし、明後日学校に来たら一応お礼言った方がいいのかなぁ、でもたまたま入って来ただけだし、うーんでも助かったのは助かったし……」


 腕を組んで独り言ちていると、ベストの胸ポケットがいきなりぶーぶーと震えて、びくっとしてしまい慌ててスマホを取り出したけど、手が滑ってぽーんと窓際に放り出されてしまった。


「やっばー、液晶割れてないかな」


 急いで拾いに行ったスマホの液晶は無事で、そこに表示されていたのはママからのメールの受信のお知らせだった。


【ヤッホー杏奈ちゃん! 今日の晩ごはんは、フェイジョアーダだよーん☆】


 うっわー、慌てるまでもないめっちゃどうでもいい内容だった。

 いや、私ママのフェイジョアーダ好きだよ、好きなんだけどね、二週間前も食べたし。

 何故、これをこのタイミングで送る?

 はてなマークが頭を飛び回っている間に、私の心はすっかり軽くなって、メッセージの横にふざけた踊るパンダのスタンプが押されたスマホの画面を見ながらなんだか一人でクスクス笑い始めてしまった。

 めちゃくちゃ明るいうちのママは、意図せずもこうしてすごいタイミングでちょくちょく笑いを運んできてくれるんだ。


「もういいや、モブ子のこととかは明後日考えればいいよね!」


 私は鼻歌を歌いながら学校を出て、パパがペイントしたニコニコマークがいっぱいのチャリで家路へと急いだ。


「ただいまー! うわーいいにお―い」


 ドアを開けたとたんにふわっと広がるのは、ニンニクとバターとお肉の煮込まれたフェイジョアーダの匂い!

 うーん、食欲が刺激されちゃう。

 帰ってくるまで気づかなかったけど、私、わりとお腹空いてたんだなぁ。


「あんなちゃーん、帰って来たのー、手を洗ってからごはんたべなー」


 あったかい湯気とともにこっちへ流れてくるママの声、待っているのはおいしいごはん。

 うん、私、幸せじゃん。

 学校なんか、どうでもいいじゃん。

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