第7話

 かろうじて馬車はまだ使えたが、御者の顔は塗りつぶされたように真っ黒になっていた。

「もう嫌よ、こわいわっ」

 と、耐えきれなくなったわたしは車内で体を震わせる。

 ヴェリシュはいまだにわたしの手を握ったまま、冷静な口調で言った。

「バグがここまで広がっているなんて、思いませんでした。しかも、今朝から急速に広がっています」

「どうするんだ、ヴェリシュ。フロリーヌに聞いて、どうにかできることなのか?」

 フィデオンの問いに彼は首を左右へ振った。

「さあ、分かりません。初めは彼女になら、と思っていましたが……」

 すると、ミグニットが口を挟んだ。

「ボクとフロリーヌの力があれば、何とかできなくもない気がするけれど」

 わたしたちははっとして彼に注目した。

「魔王の強大な結界を打ち破れたのは、ボクと彼女の魔力があったからでしょう? 今回の事態がどれほどのものか、よく分かってないけれど、一時的に時間を巻き戻す、とかならできると思うし……」

 時間を巻き戻す? どこかで聞いた言葉だ。たしか、この世界が繰り返されていると話してくれた時に、ヴェリシュが言っていたような。

 ヴェリシュは目を瞠って、ミグニットへ問いかけた。

「まさか、ミグニットの仕業だったのですか?」

「え、何が?」

 きょとんとする魔法使いへ弓使いは言う。

「この事態を引き起こした、そもそもの原因です! この世界はもう何度も、時を巻き戻されているんですよ!?」

 と、彼らしくなく大きな声をあげた。

 ミグニットは頬をひきつらせ、フィデオンも低い声で問う。

「お前がフロリーヌと共謀したっていうのか?」

「ま、まさか。ボクにはちっとも覚えがないよ。そもそも、こんなことになっているのも、やっと分かってきたところだし」

 と、しどろもどろに返すミグニット。

 ヴェリシュは大きくため息をついた。

「ということは、元をたどれば俺が悪かったのかもしれません」

「え、どうして?」

 わたしが半ば無意識に問うと、ヴェリシュはわたしの方を見た。

「貴女を幸せにしたいがために、フロリーヌを望まない結末へ導こうとした。それによってミグニットと結ばれた彼女は、結果的に何度も時を巻き戻し、やり直すことになったんです」

 わたしははっと息を呑んだ。フロリーヌを憎く思ったことが、物語を、この世界をこんなことにしてしまったの?

「いっそ、フロリーヌを暗殺する計画の方がよかったのかもしれません」

「そんな……」

 つまり、言い換えるとわたしも悪いのだ。わたしたちの計画した悪事が、そもそもの元凶だった。

 苦い気持ちでため息をつくわたしだったが、フィデオンは言った。

「今は誰が悪いとか、そんなことどうでもいい。とにかく、フロリーヌを見つけるだけだ」

 わたしとヴェリシュはほぼ同時に顔をあげた。

「そうだよ。フロリーヌが無事かどうかも分からない今、どんなに考えたって無駄だよ」

 と、ミグニットも言う。

 わたしは彼らに励まされ、ヴェリシュへ言った。

「そうよ、ヴェリシュ。今はとにかく、フロリーヌを探すだけだわ」

 わたしへ顔を向けた彼が、いつもの調子を取り戻して言う。

「ええ、そうですね。急いで彼女を見つけましょう」

 場の雰囲気が落ち着く間もなく、馬車が急停止した。何が起きたのかと思った直後に聞き覚えのある声がする。

「ユヴィーニャ!」

 はっとしてわたしたちはそれぞれに窓から顔を出す。

 馬車の前に立っていたのはシェイヴァだった。

「シェイヴァ! 無事だったのね!」

 と、わたしは安堵して叫ぶ。

 シェイヴァもほっとした様子でこちらへ駆け寄った。

「君こそ、無事でよかった。ヴェリシュたちも」

 と、馬車に乗っている三人を見る。わたしは扉を開けながらたずねた。

「わたしたち、フロリーヌを探しているの。彼女がどこにいるか、知らないかしら?」

「知っているよ。この先にある競馬場だ」

 わたしたちは顔を見合わせ、ヴェリシュが言った。

「どうぞ、中へ」

「ああ」

 すぐにシェイヴァがステップに足をかけて上ってくる。

 四人乗りの馬車に五人が乗るのはきつい。しかし、この非常事態にそんなことは言っていられなかった。


 自分たち以外に誰もいない競馬場で、フロリーヌはトゥールへ寄りかかる。

「ねぇ、トゥール。知ってる?」

「何をだ?」

 彼が穏やかに問い返し、フロリーヌは言った。

「舞踏会はね、ファンの人たちが競うように作りあげた、二次創作の話なの。それぞれが好きな相手と、思い思いにダンスを楽しむのよ」

 物語には存在しない未来を、フロリーヌは見たかった。

 貴賓席の座り心地のいい椅子で、何もないグラウンドを見下ろす。

「あたしも、あなたと踊りたかった。きらびやかな舞踏会で、ロマンチックな夜を過ごすの。きっと、一生忘れられない思い出になるわ」

 トゥールは聖女の体を抱き寄せ、ゆっくりとうなずく。

「素晴らしいな。私もフロリーヌとともに踊りたいものだ」

「そうよね。だから、無理やり組み込んでみたの」

 と、フロリーヌはくすりと微笑んだ。

 何も知らないトゥールはただ笑みを返す。

「そんな大事な日に、どうして私をここへ呼んだのだ?」

「だって、もう取り返しのつかないことになっちゃったから。せめて最後は、大好きなあなたと一緒にいたかったの。誰にも邪魔されない場所で、ずっと二人で」

 目と目を合わせれば、彼が優しく顔を近づけてくる。

 フロリーヌはそっと両目を閉ざし、夢見心地でキスをした。たしかに感じられる彼の温もりに、心が温かくなってくる。これ以上の幸せはないと、心の底から感じられた。

 どちらともなく唇を離し、互いをじっと見つめ合う。心地のいい胸の高鳴りに身を任せている時だった。

「こんなところにいたのね、フロリーヌ!」

 もっとも嫌いな声に名前を呼ばれ、聖女は振り返る。

「ユヴィーニャ……! どうしてここへ!?」

 戸惑うフロリーヌだが、彼女の周りに男たちがおり、その中にシェイヴァのいるのを見て納得した。彼がこの場所を教えたのだ。王子の側近である彼のことだ、トゥール王子から聞いたに違いない。

 フロリーヌはトゥールの腕を引いて立ち上がった。

「行きましょう、殿下」

「どこへ行くのだ?」

 危機感のない声で返した彼へ、フロリーヌは思わず苛立った。

「彼女たちから逃げるのよ――っ」

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