六話

 アイドルをテレビで見なくなったのは中学三年の頃だった。親譲りの学力を活かしてすでに高校の推薦を得ていた私はアイドルの門を叩いた。友達がいた。憧れのスターがいた。将来への希望もあった。まさしくそれは新たな世界への挑戦だった。

 叩いてみて初めて知ったことが一つあった。右にも左にも、色形の違うドアがずらりと並んでいた。私は叩ける限りの門を叩いた。唯一ノックが帰ってきたのはいつ叩いたのか忘れるほど普通なドア。私は効率的にアイドルの厳しさと私の運の良さを実感した。

 当初は歌って踊るアクティブなアイドルを目指していた。憧れのアイドルはみんなそうしていたし、それがあるべき姿だと思っていた。だから私は自分を変えた。長い髪を切って人気のボブに。眼鏡もコンタクトにして、ボイトレも毎日必ず行っていた。

 転機になったのは高二の六月、梅雨明け初日に異常な気温を観測した日だった。

「聞こえますかー、聞こえますか?」

「急げ、やばいぞ、とにかく急患行けるとこ全部当たれ!」

網膜の裏に当時の情景が焼き付けられたせいで、今でも目を瞑ると思い出す。夏前の三者面談の帰り道で父は倒れた。

 くも膜下出血だったそうだ。一週間こえても生死の狭間にいたが、数%の確立をモノにし、お父さんは帰ってきた。そして、何日ぶりかもわからないお父さんの側を手に入れ、私はお父さんと会話を交わした。紙で。

 今も父が音を発することはない。私の中の父は三者面談を最後に喋らなくなった。

「私はこの娘らしさを応援してあげたい。それが私の喜びであり、この娘の喜びにきっとなる。」

 私はこの言葉を胸に三年を過ごした。学校も辞め、アイドルとして収入を父と自分の生活に当てる日々だった。今思い返しても特筆すべきことはない。ただ、一番熱中していた時期でもあった。

 二十歳のとき、スマホが一台お釈迦になった。滑り落ちたスマホは意志のないコンクリートに叩きつけられ、ガラスが粉々に砕け散った。かろうじて無事だった上部には、元凶のメッセージが佇んでいた。

「私には向いてなかったわ。もう辞める。今までありがと。」

私自身クレバーなタイプだったから、文体は特に変ではなかった。ただ、迫りくる疎外感と孤独感には、なすすべのない流木となった。

 そんな状態だったから、父の訃報に一週間気づけなかった。病室に行くことさえ叶わず、葬式に参加することしかできなかった。会の間、隣に座る会社の同僚らしき人は常に泣いていた。私も泣いたほうがいいのだろうか。考えれば考えるほど視界はクリアになり、悲しむ気持ちが遠ざかっていく。私はただただ漠然と、呆然と父に話しかけていた。

 三日後、私は輝きを捨てた。もし、ここでディレクターあたりが全力で止めに来てくれたら、私の心を動かす言葉をかけてくれたら、少しは過去の私を美化できたかもしれない。ただ、誰一人として、私の深い悲しみの表情に声をかけられる力を持ち合わせていなかった。

 もちろんその後に就職はした。一方で私の心の中には孤独感が主として居座り続けた。なんとかして解消しようと自己満足のためにブログでいいね稼ぎを始めると、これが予想外に受けた。そして私はブロガーoshioshiとして生きていくことになった。


 きっと彼女には退屈な時間だったはずだ。苦々しい部分は矢継ぎ早に流したし、日常的な部分では何度と長考した。それでも相槌をうち、涙をこらえて耳を傾けてくれる彼女はやはりアイドルだった。

 「そう、だったんですね。話してくれてありがとうございます。」

どういたしまして。とは言えない。なぜならここからが本題であるからだ。

「アイドルって言う存在はきっと一人だと思う。それは正直変えられないし、受け入れる必要がある。でもね、私達は推される存在でしょ。そこには他の人の思いがあるの。」

日が落ち始め、茜色に染まる二人は自然と包容し合っていた。

「私はアイドルを推す行為を、『第二の人生』だと思ってる。自分をアイドルに投影して、自分が歩めなかった輝かしい人生を代わりに送ってもらうの。だからあなたのファンはあなたと共同体なの。だからきっと、あなたの悲しみは彼らも背負ってくれる。」

もう呂律が限界だ。それでも、彼女に伝えたいから。私は最後の力を振り絞った。

「私は、一ファンとしてあなたとともに生きて、あなたを応援したい。」

 朱色のパレットに黒が足され、影が消えていく空には半月が煌々と輝いていた。

 

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