Aパート
隣に住む男は林田修一郎、28歳。今は機械の修理などして日銭を稼いでいるようだが、かつては東都大学工学部の研究者だった。私は彼をマークするため、正体を隠してこの部屋で盗聴しようとしている。
最近、管轄内で爆弾事件が頻発していた。いつもと変わらない、静かな町にいきなり爆発が起きて、辺りが火の海に包まれたのだ。そしてそこで多くの死傷者が出た。
時限式の小型で強力な爆弾を使った事件だった。現場を調べたが、そこからは犯人に結び付くような手掛かりは見つからなかった。そしてその動機も不明だった。犯人が何の要求もしてこないのだ。金銭目的でもないとしたら、愉快犯でしかない・・・捜査本部ではその見解だった。だがそれだけに不気味だった。犯人への手掛かりがつかみにくいのだ。
捜査は行き詰ったかのように見えた。だが事件現場の防犯カメラに映りこむ一人の男がいた。それが林田修一郎だった。調べてみると彼には爆弾製造の知識はある。
だがそれだけだった。家宅捜索をするほどの決め手はない。それに下手に踏み込んで爆弾を作動させられたら、この辺り一帯が火の海に包まれてしまう。慎重かつ密かに林田を調べ、証拠をつかみ、爆弾を作動させないように逮捕しなければならない。
そのため林田に接近する方法が考えられた。その時、ちょうど彼の住む隣の206号室が空室になっていた。そこで私が引っ越しして、怪しまれないように彼を探ることになった。
向いのマンションの部屋には倉田班長たちが張り込んでいる。私は定期的に無線連絡を入れた。
「こちら日比野。今のところ、動きはありません」
「気をつけろよ。奴はいくつも爆弾を持っているからな」
「はい」
24時間、私は林田の行動を監視しなければならない。ここでは私は派遣社員ということになっている。リモートワークが多くて部屋にいることが多いという設定だ。それでずっと部屋にいても怪しまれないだろう。
それだけでなく私は林田と親しくならなければならない。それで何か尻尾を出すかもしれないのだ。まずはタオルの粗品をもって彼の部屋を訪ねた。先ほどのお礼を言おうというのだ。
SE// ドアをノックする音
「すいません。隣の日比野です」
SE// ドアを開ける音
「これはお隣さん。ええと・・・お名前は・・・」
「日比野美沙です。よろしく」
「僕は林田修一郎といいます」
「さっきはありがとうございます。これは引っ越しのごあいさつです」
私は包みを差し出した。彼はうれしそうにそれを受け取った。
「いや、ご丁寧に。すいませんね。何か困ったことがあったら言ってください」
「ありがとうございます」
林田は優しそうに見えた。この男が恐ろしい爆弾犯だと言っても誰も信じないだろう。だがこの男の表の仮面を引っ剥がして、本当の裏の顔をさらさねばならない。私は多くの被害者のため、必ずやり遂げるつもりだ。
私は一応、他の部屋にもあいさつに回った。だが日中は勤めに出ているせいか、203号室の人しかいなかった。それは矢野美恵という高齢の女性だった。昔の人にしては大きい方だが、腰が曲がってそれほど大柄な印象を受けなかった。
「206号室に越してきました日比野です。これはごあいさつです」
「あっ、そうなの。ありがとうね。名前は何とおしゃるの?」
「美沙です」
「いいお名前ね・・・」
矢野さんは独り暮らしの様だった。日頃しゃべる相手がいないのか、あいさつだけのはずが長話になってしまった。
「他の人にはあいさつに行けていないんです。皆さん、お勤めに行っているんですね」
「ええ、そうよ。でも林田さんはいつもいるみたい。何をされている方なんでしょうね・・・」
このアパートでも隣近所の交流はないらしい。愛想のいいように見える林田もそうだったようで、何の情報も得られなかった。あまり出歩かない以外は・・・。
私は部屋に戻って林田の様子を探った。壁越しに聞こえる音をヘッドホンでじっと聞いている。
SE// ロック音楽とごそごそする音
この音声は向かいのマンションの張り込み部屋にも聞こえるようになっている。
彼はずっとロックを聞いているようだ。もちろん近所迷惑にならないように音を絞っているが・・・。だがそのために林田の部屋での行動はつかみにくい。それに買い物などの外出もあまりせず、ネットスーパーで済ませているようだ。配達員が彼の部屋を訪れていた。もちろんその配達員の身元は張り込みの同僚刑事が確認している。
そうやって様子を見たが、ここ2日、動きはなかった。だが、
(今までの事件の起こった間隔からいってそろそろ動き出す・・・)
私はそう思っていた。
◇
その日も林田の様子に変わりはない。
SE// ロック音楽が流れる。
私は定期的に無線連絡を入れた。
「日比野です。林田に動きはありません」
「わかった。続けてくれ」
倉田班長からはそれだけだった。
SE// ロック音楽が急に止まる
隣の部屋から聞こえる音楽が急に止まった。そして林田の声が聞こえた。
「ああ、疲れた。少し外の風でもあたるか・・・」
林田は部屋の外に出るようだった。彼を監視してからこんなことは初めてだ。この機を逃さず、彼に接触しなければならない。
SE// ドアを開いて閉める音
私は先に外に出た。
SE// 静かな風の音
外の廊下を吹く風が涼しくて、部屋の中のよどんだ空気と違ってすがすがしかった。そこで私は伸びをして、仕事の気分転換でもしているように装った。
SE// ドアの開く音
やがてドアが開いた。私が振り返ると林田と目が合った。彼は私に気づいて笑顔で会釈した。私もニコッと笑って会釈を返した。
「お出かけですか?」
「いえ、ずっと部屋にいたから、ちょっと外の風にあたろうと思いまして」
林田はこう答えた。彼は疲れた目をパチパチとしていた。私はここぞとばかりに少し踏み込んで尋ねてみた。それは彼の反応を見るためだ。
「私はリモートワークなんです。林田さんも在宅でのお仕事なんですか?」
「仕事というか・・・実は僕は修理屋なんです。送られてきたものを修理しているんです」
林田はこともなげに答えた。だがそれは巧妙なウソのはずだ。そう言っておけばずっと家にいても怪しまれないと考えたのだろう。
「じゃあ、ずっと家に?」
「ええ。たまに直接手渡しと言われて出かけることはありますけど、ほとんど家にいます。今は難しい修理だからしばらくかかりそうです。ずっと家にこもっています」
林田はこう答えた。彼は久しぶりに人と話せてほっとしているのだろうか・・・優しい微笑みを浮かべていた。私にはその様子がとても演技には見えなかったのだが・・・。
しばらくするとアパートの前に小学生くらいの男の子が走って来た。
SE// 子供の走る足音
「おにいちゃん。直った?」
「ああ、そうだった。直ったよ。ちょっと待って」
林田は部屋に戻ると、手に車のラジコンを持って出てきた。
「うわーい!」
「動かしてごらん」
SE// ラジコンの車の動く音
「動いた! 直ったんだね! ありがとう!」
男の子は車を抱えて帰っていった。それを林田はうれしそうに手を振って見送っていた。私はその光景を2階の廊下からすべて見ていた。
(とても犯罪者には見えない。それに彼の話に矛盾はない。林田が本当に犯人なのか・・・)
私は迷い始めていた。
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