第16話 香奈と文化祭_3

 香奈からメッセージが届いたのは、その劇が終わってほどなくしてからだった。そこには時間と場所しか書かれてなくって、なんとなく慌てて送ったのが感じ取れる。


「せ、先輩、ゴメン、私、先に帰る。人酔いした……」

「わ、顔色悪い。大丈夫? 一人で帰れる?」

「ここ出ちゃえば楽になると思うから、大丈夫。先輩は待ち合わせある」


 そう言って少しふらつきながら出て行った。かさねはもともとあんまり来る気なかったみたいだし、ちょっと悪いことしたかなと思う。今度会った時はなにか埋め合わせしないと。

 その後、少し時間の空いた私は一人で展示などを見て回り、その合間に恵奈とそのダンナ……啓介さんとも初めて顔を合わせたりした。

 啓介さんは優しそうな……正直言うと恵奈に尻に敷かれていそうな雰囲気がすでにしていた。だけど二人の距離感は幸せそうな夫婦そのもので、その光景を見て私はなぜか涙ぐんでしまい恵奈達を心配させてしまった。

 恵奈たちは午前中に香奈と会っているみたいで、演劇も終わったしそのまま帰るらしい。少しだけ一緒に出店を見てから、今度は三人で飲みに行く約束をして別れた。


 その後もふらふらと校内を練り歩き、約束の時間。

 私は四階の端で香奈を待っていた。指定された場所はその先トイレしかなく、いわゆる死角になっている場所だ。がやがやとした喧騒は少し遠くから聞こえてきて、こんなところ一般の人は来ないだろうなと思うから、ちょっと居づらい。


「こんなところでどうしました?」

「あ、クラスにいた……」


 香奈かと思ったら、そこにいたのは1年1組で私が香奈の居場所を聞いた女の子だった。


「この先はなにもないですよ、もう文化祭も終わりますし、お帰りはあちらです」

「えっと、ちょっと待ち合わせをしてて」

「どなたとですか? 香奈さんなら来ません」

「え? なんでそれを」

「……飯野さん、私がなんて言いました?」


 来ないと言われた香奈が、女の子のすぐ背後にいた。


「な、香奈さんダメですよ! この人は香奈さんを探し回っていた危険人物ですよ!」


 危険人物ってそんな風に思われてたのか、失礼な。

 私を遮るようにその女の子は手を広げた。香奈を守っているように見えるけど、呆れた顔をしたのは香奈の方だった。


「危険でもなんでもないです。それにこの方は私の知り合いで間違いありません。飯野さん、クラスの方で呼んでいましたよ。先に行ってください」

「でも香奈さんが……」

「私もすぐに戻ります。まだ学校祭は明日もありますし、生徒会の仕事もあるので」


 その子はなぜか私を一睨みすると、その場を去っていった。


「えっと、香奈。私も怖がらせちゃったかもしれないし、後で謝っておいて」

「その必要はありません。……なんだか仕事が多いと思ったら、こういうことだったんですね」


 スマートフォンをいくつか操作してそんなことを言う。


「まぁ、過ぎてしまったことはいいでしょう。時間もありませんし、あゆみさん、こちらへ」

 

 状況はよくわかっていないまま、香奈は階段を上に昇っていく。あれ、この学校四階建てじゃ。


「香奈、どこ行くの?」

「ふふ、あゆみさんの好きそうなところです」

 

 階段の先、現れた扉に香奈は持っていた鍵を差し込む。さぁ、と風が吹き抜けると、開かれた扉の向こうにはオレンジ色に染まった世界が広がっていた。

 

「うわぁ! 屋上なんて、私が高校の時でも来たことないや」

「他の生徒に見られると良くありませんので、あまり金網に近づかないでくださいね」

 

 本当は金網まで寄って下を見たかったけど、香奈に先手を取られてしまった。確かに見つかって教師が来たら怒られるのは香奈だから、言うとおりにする。

 屋上は思った以上になにもない。だだっ広い空間、周りを囲む金網、それだけだ。だけど屋上というだけで、なんだかうきうきしてしまうのはなぜだろう。

 西日が強く、また気温は少し高い。影になっている部分に香奈がレジャーシートを広げた。どうぞといわれそこに座ると、そこは二人だけの世界になった。

 

「あゆみさん、午前中はどうしてたんですか?」

「香奈探してたんだけど、さっきの子に三階にいるって教えてもらったよ」

「やっぱり……飯野さんのせいですね。私のファンクラブがちょっと悪さをしていたみたいです。そうだ、あゆみさんにこれを差し上げます」


 そう言って香奈が生徒手帳から取り出したのは一枚のカードだった。


「なにこれ……『東屋香奈ファンクラブ会員証』? 凄いね、ちゃんとしたカードじゃん。っていうかなんで本人が持ってるの?」

「まぁ細かいことは気にせず。いつか役に立つかもしれないので常に身に着けておいてください」

「これじゃ私が香奈のファンじゃん」

「ファンになってくれないんですか? 私はあゆみさん推しですけど」

「……その言い方は、なんかずるくない?」

 

 差し出されたそのカードをお財布の中に入れておく、役に立つことなんてないと思うけど。


「それはそうと、劇凄かったね。というかよくあの役やったね」


 受け取ってもらって嬉しそうな香奈に、仕切りなおすように会話を変える。

「実は直前まで私も知らなくて……初めは劇に出ないで裏方だけしようと思っていたんです。でも最後に少しだけ出るセリフ無しの脇役やってほしいって言われて、その時は忙しかったのもあってそのくらいならと了承してしまって……その役の詳細を聞かなかったのが敗因でしたね」

「脇役ねぇ、確かに出たのは少しだったけど、主役よりよっぽど目立ってたよ」

「明日もあるので、気が重いですね……」

 

 とはいえすっかりクラスでの地位を獲得したみたいで、私は安心していた。

 香奈は引き続き、生徒会での準備期間の間の話をしてくれる。やっぱりこの時期の生徒会は仕事が山積みのようで、忙しくも充実しているみたいだった。生徒会も優しい人が多く、現生徒会長が香奈と同じく背が高めの女の子で、話が合うらしい。

 そんな話をする香奈は、中学生の時のような『特別な香奈』はもういなくって、ちゃんとクラスの一員として過ごしているみたいで、私はなんとなく嬉しくなった。

 よく話す香奈の話を聞いていると、ふと香奈のスマホからアラームが鳴る。

 

「あー、もう三十分経っちゃった……」

「戻らなきゃいけない?」

「もともとここも見回りの体で来ているので……えいっ!」

「うわっ」

 

 香奈の頭が私の伸ばしていた足、というか太ももの上に乗る。いわゆる膝枕というやつだ。

 

「今日、私は少し頑張ったので、褒めてくれても良いと思います」

「はいはい」

 

 目の前にある頭を撫でると、少しくすぐったそうにしていた。

 

「そういえば今日さ、飯野さんに香奈の居場所聞くとき、香奈とどういう関係って聞かれたんだ」

「……なんて答えたんですか?」

「友達って。でも答えてから思ったんだけど、私と香奈の関係って友達だとなんかしっくりこなくって」

「そうですね、確かに一般的な友達ではないかもしれません」

 

 それは以前からずっと考えていたこと。

 もともと私にとって香奈は、『友達』というより『恵奈の妹』だった。

 でも今じゃ一緒に遊ぶ機会は恵奈よりも多くなって、私の部屋には香奈の私物が増えていって、お泊りだって何回もして、一緒の布団で寝ている。

 それは『友達』よりも、『恵奈の妹』よりも、もっと近い距離感で、いつの間にか、私の中でも香奈の存在感が大きくなっていた。

 

「私も考えたことあります、私にとってあゆみさんがなんなのか」

「うん」

「私は昔からおねーちゃんが好きで……いわゆるシスコンでした。でもおねーちゃんはどんどん私から離れていっちゃうし、今じゃ結婚相手なんてできちゃったし……だからあゆみさんにおねーちゃんを重ねていたのは否定しません」

 膝枕をしたまま、香奈はそう話す。

「でも今じゃあゆみさんはおねーちゃんよりもずっと、私にとって大切な人です。それはおねーちゃんが好きみたいな、家族的な好きとは違って、でも恋愛的な意味でそうかといわれると、はっきりと答えることができない私もいます。そんな、中途半端な気持ちなんです」


 香奈が頑張って言葉にしてくれるその気持ちは、私にもよくわかった。なぜならそれは、私も同じ気持ちだから。

 私の場合、香奈には『恵奈の妹』という側面がいつも付きまとう。実際の歳の差もあるし、そう思うことでどこか一線を引いている。その線から一歩踏み出してしまうと、今までの私達ではいられなくなってしまうような気がした。


「今は、それでいいと思う」

「そうでしょうか」

「きっとそのうち、分かるから」


 それは私の得意な先送りでしかない。

 でも私と香奈のこの関係性は、変わらずにずっとここままというのは難しい気がする。その時が来れば、きっと私達は、はっきりと名前が付く関係になるかもしれないし、そうならないかもしれないし……。それはまだわからない。

 それは一般的な恋愛というものじゃないかもしれない。

 好きになって、自分だけのものにしたくって告白して付き合って。

 そういうちゃんと段階を踏むようなやつではなくて、ゆっくりと変わっていく私たち。

 きっと近いうちに。


「試しにここでキスとかしてみます? 私達の関係が何かがわかるかも」


 そんな風に考えていたのに、私の考えは全部無視して、香奈はなかなか強烈な提案をしてきた。


「……それは、なしで」

「え、なんですか? 私、結構いい案かなと思ったんですけど……提案してみたらこれが一番いい気もしてきました」

「それ本気で言ってる?」

「本気ですよ。私、あゆみさんとならぜんぜんできます」

 

 香奈に見つめられて、頬に熱を持つ感覚がする。

 私も絶対嫌! って気持ちはなくて、むしろちょっと興味はあって……いやいやいや、なんだかそんな空気になってない?


「も、戻ろう!」

「えー……あゆみさんのいくじなしー」


 火照る顔を見られないように、私はさっさと出口へ歩き出す。

 追いかけてくる香奈は上機嫌で私の横に並び、手を重ねた。


「じゃあこれくらいで許してあげます」

「……今日は香奈頑張ったみたいだから、特別ね」


 その手を振りほどくことなんてありえなくて、私は香奈の手を優しく握った。

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