空の魔術師~両極才能でも努力で武器にする〜

蛇ばら

 気がついたら、見知らぬ女の顔があった。

 女は俺よりずっと大きかった。顔をこちらに近づけて、ニコニコと笑っている。


「ほーらスヴィン。新しい絵本をもらってきたのよ」


 女の手には薄い紙の束。ヒトらしいイラストと見知らぬ文字が書かれていて、女は俺を軽々と抱え上げ懐におさめた。


「ママが読んであげますからね」


 なるほど。この女が俺の母親らしい。

 あまりみたことのない亜麻色の髪、青色の瞳。どうみても日本人ではない。

 ぱちぱちとまばたきする瞼の裏で、俺は過去を思い出す。


 俺には両親がいなかった。

 いや、生まれたからにはいたのだろうが、物心ついたときには別の家庭にいた。

 家事全般をこなし、勉学に励み、家族という名の他人に迷惑をかけないように生きていた。

 そうすることが生きる方法だった。

 今日も、明日も、明後日も。

 色のない日々を過ごしていたと思う。

 友人なんていなかった──勉強しなければいけなかったから。

 遊ぶ暇なんてなかった──お金はすべて管理されていたから。

 それらから解放される術を、俺は知らなかった。


 ──だけど。


 直前に覚えているのは電車の音とアナウンス。

 不快なブレーキ音をぼんやり聞きながら、冷蔵庫の中身を思い出しつつその日の献立を考えていた。

 いつも通りの日常。

 終わらない苦痛の延長線。

 ただ違ったのは、電車がホームに差し掛かったとき、ぐらりと自分の体が傾いだことだけだった。

 全身に衝撃を受けた。

 何かが弾けるような音が聞こえた。

 最後の視界には驚いたような顔の人々と、赤ら顔の男がその顔色を青く変えていく様だった。


「どうしたの、スヴィン? 熱があるのかしら。大丈夫?」


 両脇を抱えられあげてぎゅっと抱きしめられる。

 いつのまにそばにいたのか、これまた見知らぬ男が不安そうな顔で寄ってくる。

 それだけで悟った。

 ああ、これは俺が欲しかったものだ。


 心の底からの涙が溢れ出す。

 あられもなく声を上げて俺は泣いた。

 他人のために生きて、何ひとつ自由にならないままの道を歩んで、最期さえ他人の都合によって決められたそれをやり直す、チャンスが与えられたのだ。


 たとえそれがという方法であっても。

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