ASD随想録 ~社会人17年目でアスペルガー症候群が発覚した件~

桐野

第1話 - 「理解される」ならそれでいい

例えば、下半身不随の人に向かって「頑張って自分のチカラで立ち上がれ!」と言ったとする。


 これは殆どの人が「そんなひどいことを言っては駄目だ!」と感じると思う。常識として、下半身不随の人はどう頑張っても足を動かすことが出来ない障害者だと理解しているからで、それをさも本人の努力不足で立ち上がれないかのように言うのは、現代社会では非道徳的な言動であり、言われた人がひどく傷付いてしまうのは想像に難くない。


 実は、ASDの人に「コミュニケーション能力を高めろ!」と言うのは、努力だけではどうにもならない要素が存在するという点で、先の例に近しいことなのだと思う。人との付き合い方、接し方、共感や思いやり、これらの改善を強く求められても、ASDの自覚が無かった時はどうすることもできなかった。何故どうすることもできないのか考えても、それも分からなかった。下半身が麻痺しているから立ち上がれないというのは、ある意味で分かり易いとも言えるが、そういった分かり易さが無いのもASDの厄介な性質である。


 ASD(自閉スペクトラム障害・アスペルガー症候群)は、生まれつきの脳の発達によって生じる特性、および障害であり、その根本が変化することは基本的に無く、治療されるようなものでも無い。生まれつきだからこそ、自分と他人の感覚がどう違っているのかを自覚することが難しい。言われなければ違っていること自体に気づきもしない。この感覚のズレが原因となって、他人には理解しがたい言動行動に繋がり、意図せず他人を傷付けることになってしまうのだと思う。


 周囲には、そういった言動行動が「コミュニケーション能力が低い」と評価される。性格の問題、育った環境、対人経験の乏しさなどに原因があるのだろうと捉えられる。そして、それなら本人の努力次第で改善できるものであり、なのに改善しないのは努力を怠っているからだろうと、しまいには愛想を尽かされてしまう。


 自分自身も、ASDを自覚して診断されるまでは同じように捉えていた。何故かコミュニケーションに関することを改善するのは気持ちが乗らず、求められるのも大きなストレスで、しまいには「そういう生き方が自分らしい」と開き直ることで精神のバランスを保っていたように思う。


 しかし、どうやらもっと根深い原因が、自分の頭の中にあるらしいと気付くことができた。心療内科で診察を受けたが、案の定の結果だった。下半身不随の人が立ち上がれないのと同じように、自分の脳内のどこかが特性を生じさせ、人とのコミュニケーションに著しく悪影響を与えているのだと解釈し、腑に落ちた。


 根本原因を取り去ることはできないが、だからこそ自分は自分を掘り下げて、深く理解したいと思っている。自分の中にあるこの感覚は何なのか、何故そのように感じるのか、同じことを他人はどう感じるものなのか、それらを1つ1つ言語化して、自分の中で腑に落ちる解釈を得たい。


 そして、それを人に伝わる形で文章化しておくのは意味があると考えている。その時の考えを、自分も他人も後になって「理解可能な状態」にパッケージ化しておく。それだけでも精神の安寧を得られそうだと感じているからだ。共感してもらいたいわけではなく、かといって過度な肯定も否定も困ってしまうだろう。ただ書いたことが「理解される」ならそれでいい。


 ベストなのは、書かれていることが、読んだ人にとって「面白い」「興味深い」ものだったりすることだ。そういった状況を生み出せる可能性があるなら、書いたことの公開にもまた意味がある。なのでこれから、定期的に書き続けようと思う。

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