第11話 赤い瞳

 俺と古村さんが見た黒い犬。

 そういえば始業式の日、古村さんによる謎の儀式で歩きスマホが消えた後にも、なんか黒い犬が出て来たけども。

 確かにアレと雰囲気が似ていたような気がするな……


「行ってみていい?」


 古村さんがそう言うので、俺達は向かいのビルの方へと移動した。ビルとビルに挟まれた薄暗い道へと入っていく。女子が通るには避けた方がよさそうな不気味さだ。


 それでも全く臆することなく、ぐんぐん先を行く古村さん。

 やがて足を止めた時。


「望月君。あれって」

「ああ……」


 果たして九門鏡子が言う運命とやらに引き合わされたのか。

 そもそも本当にアレがそうなのか。


「まさか……あいつが『破滅の魔王』?」


 山のように積まれたゴミ袋をクッションにするように。

 黒いワンピースを纏う金色の髪の少女が座っていた。


 見た目からすると十才くらいか。

 髪は夜空の星みたいにきらきらした金色。黒いリボンで左右をくくり、いわゆるツーサイドアップ状に結い上げている。顔立ちはここからだとよく見えないけど、細かな装飾が施された黒いひらひらのワンピース姿はどこか高貴な印象を受ける。


 闇の中にあってなおも輪郭がハッキリした、やけに存在感のある幼女だ。


 俺と古村さんは、息を呑んでその光景を見ている。

 裏通りのゴミ捨て場なのにまるでファンタジーの世界を切り取ったみたいで、同時に俺達の探している奴が設定上この世界の住人ではないことを思い出した。


「古村さんは下がっててくれ。俺が声をかけてみるよ」


 さすがに大丈夫だろうけど、万が一ということもある。

 幼女への勇気ある一歩を先に踏み出したのは俺の方だった。


「やっぱり、望月君はやさしいな……」

「え……」


 そんな俺を、古村さんは儚げな笑みで見つめている。


「私のこと……心配してくれたんだよね?」

「……ああ、えっと」


 その表情にあてられ、俺は全身が熱くなった気がした。

 改めて思う。


 この子――普通にしてたら本当に可愛いな。


 胸のあたりがふわふわとあたたかくなる。なんなんだろう、これ。

 記憶喪失の俺は、この感情の名前をまだ知らない。


 けど今は幼女だ。

 果たしてこいつが本当に『破滅の魔王』なのか。

 もはや確かめないわけにはいかない。


「こ、こんにちは」


 初めて会った人との、最初のコミュニケーション。

 それは相手が幼女であれ『破滅の魔王』であれ、やはり挨拶から始めるべきだろう。


 俺の声に反応したのか、すっと幼女の顔がこちらに向く。

 その顔立ちは、幼いながらも精緻な人形のように整っていた。闇に浮かぶ赤い瞳はルビーのように澄んでいて、意識が吸い込まれていきそうだ。


 でも、あれ。

 髪が金色なのはともかく瞳が赤いっておかしくないだろうか。あるいは俺が記憶喪失だから知らないだけで、スイミングスクール帰りに目薬し忘れた女児はみんなこんな感じなのかもしれない。


 幼女から放たれる意外な圧力に怯みそうになりつつも、もう一声いってみる。


「こんなところで何してるんだい? おうちの人は?」


 ――誰に向かって口を利いている。


「フィッ?」


 えっ。なになに。

 今、なんか聞こえたような。


 ――分を弁えろ、虫。


「…………、」


 思わず古村さんの方を振り返る。

 古村さんはちょっと驚いたような顔でコクコクと頷きを返してくれた。


 やっぱり俺だけじゃない。確かに聞こえた。

 金髪幼女の口は動いていない。

 それなのにテレパシーのように、ダイレクトに頭に響いてくるような声。

 それは合成音声のごとく歪で、どことなくホラー感があった。


 なんだこの幼女。この子が何か言ったのか?


 金髪だしおかしな格好してるし眼は赤いし声は変だし、よくよく考えるとこんなところに幼女が一人でいるのもおかしいよな。『破滅の魔王』じゃあるまいし。


 まあ、もうちょっとだけ突っ込んでみるか。


「いきなりごめん。実は君に少し聞きたいことがあって……」


 ――虫には我の言葉を理解するだけの知能はないか。


「いや、理解する知能はあると思うけど……」


 ――では改めて言うぞ。我に話しかけるな。不愉快だ。


「そこをなんとか。本当にちょっとだけだから」


 ――今すぐ失せろ虫。滅されたいか。


『めっ!』されたい? お母さん的な?

 けど残念ながら俺、幼女にバブみを求める性癖持ちではないんだよなあ。


「おい、お前さあ。いい加減……」


 幼女の思わぬ言いがかりに反論しようとした時だった。


「グルルル」

「グァアアア……」


 暗がりからわらわらと、いくつもの黒い影が姿を見せ始めたのは。

 さっき見たような黒い犬。あとカラスみたいな黒い鳥もいる。それがぱっと見ただけで二十匹以上集まってきたんだけど。なんだこれ。


 幼女はゴミ山で片膝を立てて俺を睨んでいる。

 もう少しでぱんつが見えそうなアングルだけどそれはともかくまさかこの幼女が黒い犬と鳥を使い魔みたいに従えてるのか?


 これ――もしかして、ちょっとマズいやつなんじゃないか。


「いや待て待て、待ってくれ。俺達は別にアヤシイ者じゃ……」


 ――忠告はしたぞ、虫。


「グルルルル……グアアアアアッ!」


 黒い犬の一匹がなんか急に唸り出す。

 ギラギラした犬歯を覗かせて、真っすぐ俺に迫ってきた。

 突然のことに俺は逃げることもできず、ただ立ち竦むしかない――噛まれる!


「こらっ」


 バチン!


 しかし瞬時に横から来た何者かが平手で犬の頭をぶっ叩いて黙らせた。

 何者かというか古村さんだった。えっ。


「誰に向かって吠えてるかわかってる? 望月君だよ?」

「クウウ~……」


 急にしおらしくなる犬。

 俺、何者?

 記憶喪失だから自分でもよく知らないんだけど。


 古村さんは学生鞄をがさごそ漁り、円柱型の黒い瓶を取り出す。

 そして瓶の蓋を開け、なにやら黒い粒状のものを地面にばらまいた。


「クウウウ……?」


 黒い犬はそれに興味を持ったのか、ゆっくりと顔を近付ける。

 そしてクンクン匂いを嗅いだあと、バクバクと喰らい始めた。


「古村さん。なに、そのタピオカみたいなの」

「タピオカだよ」

「なんで!?」


 他の黒い犬や鳥もどんどん集まって来る。

 公園でパンの屑に群がる鳩みたいに、次々とタピオカをパクパク喰らい始める。


「この黒い獣、やっぱり私が呼んだ子たちだ」

「どういうこと? どういうこと?」

「望月君。私が魔王様と話してもいいかな?」

「あ、ああ……」


 俺に背中を向けると、普通の足取りで幼女との距離を詰めていく古村さん。

 なんで平然としてるんだろう。ホラー音声の幼女と黒い獣の得体が知れな過ぎて正直すぐにでも逃げ出したいんだけど、俺が気にし過ぎなだけ?

 そろそろ第三者の意見が聞きたい。


 古村さんは幼女にペコリと頭を下げる。


「はじめまして。古村綾です。人類を滅ぼしてください」


 ――……なんだと?


「この世に蔓延る人間を一人残らず根絶やしにしてください。どうかお願いします」


 ――…………。


 古村さんの直球過ぎる申し出だった。

 しかし金髪幼女からの返答はない。

 古村さんはうーんと唸り、俺の方に困ったような顔を向けて来た。


「もしかして人違いかな?」


 俺に振らないで欲しいんだけど。


「でもでも、終業式に体育館で見たのも、多分この方だったよ」

「そうだっけ」


 記憶喪失の俺はもちろん知らない。

 知ってても知らない。


「どうしよう、望月君」


 本当、どうしたらいいんでしょうね。

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