第2話 古村 綾

 二学期から俺が新たに通うことになった学校は、家から歩いて三十分くらいのところにある。前の学校は場所からして電車で一時間ほどかけて通っていたのだろうが、転校先の学校は奇しくも俺のほぼ地元だった。


 まあ地元とはいっても、高校二年一学期終業式までの記憶が無い俺にとっては初めて訪れた土地と変わらない。対岸まで百メートルはありそうな広い川に沿って、馴染みのない風景の中を歩いていく 。


 さて、これからの流れを改めてシミュレーションしておこう。


 今日は最初に体育館かどこかに集まり、学校全体での始業式がおこなわれる。ここでは校長先生の話とかを黙って聞いているだけでいいらしいから、特に心配するようなことはないだろう。


 問題はその後。

 始業式が終わると、次は各クラスに分かれてのホームルームに移行する。

 そこでいよいよ転校生である俺には待ち構えているはずなのだ。


 最初の関門――つまり自己紹介である。


 転校生の自己紹介といえば、俺が読んでいた小説でもお馴染みのシチュエーションだった。転校生はとにかくクラスメイトからの注目を集め、どんな奴なのか誰もが興味津々なのだ。


 目立ちたいとは思わない。けど、今後クラスで他の生徒との関係を築いていく上で、第一印象を少しでも良くしておくことは重要だ 。

 周りには誰もいない。今のうちに声を出して練習しておく。


「はじめまして。望月悠希です。趣味も特技も記憶もありませんが、そんな平凡な僕だからこそ魅力的なみなさんと一緒に小説のような学校生活を――」


 内容は無難なものでいい。「記憶がない」というのは軽いジョークを兼ねた匂わせなんだけど、ちょっとわかりにくいだろうか。

 そんな感じで前もって考えていた自己紹介の最終チェックをしている時のことだった。


 川の反対側に渡るための橋、その真ん中あたり。


 ――ぽつんと立つ一人の女子の姿が視界に入ったのは。


 白い生地に襟とスカートが灰色のセーラータイプは、確かこれから俺が通うことになる高校の女子制服だ。

 橋の上から川の景色を見ていた女子の視線が、ふとこちらに向く。


「お、おはよう……ございます」


 そして俺と目が合うなり小さく頭を垂れた。

 どちらかと言うと地味で、おそらく普通っぽい女子だった。


 身長は平均よりもやや小柄だろうか。ふわりと短めに切りそろえられた髪は涼やかで、一部を黄色いリボンで結っている。学校指定の鞄をおへそのあたりにやった両手で持つ仕草も相まって、全体的に控えめな印象を受ける。


 けど――かわいい、な。


「あの。お、お久しぶりです。古村です」


 儚さを湛えたような黒い瞳。

 それは遠慮がちに、真っすぐに俺へと向けられている。


「お、おう。久しぶり……」


 表面上は挨拶を返しつつ、脳内では思考をフル回転させる。

 真面目な性格なのか、わざわざ名前を名乗ってくれたけど――

 コムラ――もしかして『古村綾』か?


 俺は普通の転校生とは違う特殊な事情を抱えている。

 大量の行方不明者を生んだ『神隠し』の生き残りであるということだ。

 そして『神隠し』の生き残りの生徒は、俺を含め三人いるのだという。


 受け入れ先の関係で俺を含めた『神隠し』の生き残り三人全員が同じ学校に編入するとは事前に聞いてはいたし、他の二人とは初日に顔を合わせることはもちろん想定していたけども。

 事前に聞かされていたそのうち一人の名前を、確かに目の前の女子は名乗った。


「えっと……望月君?」


 沈黙する俺を見て、古村さんが不思議そうに首を傾げる。

 とにかく、今は何か返した方がいい。


「あ……その、元気だった? 古村さん」


 問題は俺が記憶喪失であり、相手はそのことを知らないということだ。

 今の俺には彼女に関する一切の情報がなく、 名前を知ったところで彼女のことをどう呼んでいたのかもわからない 。だからこそ、とりあえず無難に「さん」付けで呼んでみたのは、一種の賭けだったわけだけど。


 控えめそうな女子――古村さんは。

 ひっそりと咲く花のような笑みを返してくれた。


「う、うんっ! 望月君と会える日を、ずっと心待ちにしてた……!」

「あ、ああ……」


 反応からして、不自然な対応にはなっていなかったらしい。

 それどころか俺との再会をかなり喜んでくれている。ように見える。


「えっと。その……学校、行こっか」

「そ、そうだな。行こう」


 なんにせよ、早くも同じ学校の女子と一緒になってしまった。

 川を渡る橋を並んで歩きながら、必死に思考を巡らせる。


 この状況、どうしよう。

 記憶喪失の俺には彼女に関する情報が無い。

 つまりこの子との接し方がわからない。


 生き残りの二人と会うのは学校で。そう思っていた。

 その中でそれとなく二人との関係性とかを探っていくつもりだったのだが。


「望月君は……だ、大丈夫だった?」


 だからこそ、古村さんの方が会話を進めてくれるのはありがたい ことだった。

 それでも過去の記憶がないことを悟られぬようよう、慎重に言葉を選ぶ必要がある。俺の過去を探るために同じ境遇である二人にはいずれ記憶喪失のことを打ち明けることも想定しているが、今はまだその時ではない。


「大丈夫って……何が?」

「えと、その。ずっと連絡がとれなかったから……」


 おずおずと、上目遣いで見てくる古村さん。

 言っていることの意味はすぐにわかった。


「ごめん、実はスマホを無くしてて」

「あ。そ、そうだったんだ 」


 どこか安心したように息を吐く古村さん。これに関しては嘘ではない。

『神隠し』の日に階段から転げ落ちた時だろうか。俺が病院で目覚める頃にはスマホを紛失してしまっていたらしいのだ。スマホさえ残ってたら、そこに登録されている名前やメールの内容から失われた記憶の補完もある程度はできたはずなんだけどな。


 橋を渡り終えて緑道に入ると、古村さんがスカートの裾をきゅっと握る。

 意を決するように「あの」と話を切り出す。


「えっと……こうしてお話しするのは、あの日以来になるよね」

「……ああ」


 あの日。

 それは『神隠し』の起こった一学期終業式のことだろう。


「ニュースでも凄い事件になってるよね。少し驚いちゃった」

「俺達だけがまたこうやって無事に学校に通えるってのは、なんか不思議だよな」

「ふふっ。そうかな」

「『神隠し』の生き残りであることは伏せられて、二学期からの転校生ってことになるわけか。本当、よく俺達みたいな訳アリを受け入れてくれる学校があったもんだよ」

「裏では色んな配慮があったんだろうね。被害者である私達には、少しでも早く普通の高校生としての生活に戻ることが望まれているんじゃないかな……」


 そっか。

 そういえば古村さんも同じ『神隠し』の生き残りだ。

 俺みたいに記憶喪失じゃなくとも、同じような境遇で同じようなことを悩んで、同じような気持ちで今日という日を迎えているんだろう。


 つまり不安なのは一緒なのだ。

 そう考えたら、あまりこの子のことを警戒する必要はないのかもしれないな。


「とにかく、また同じ学校だな」

「う、うん。これからも、たくさんお話ししようね?」

「ああ。三人の生き残り……あと一人も含めてな」

「そっちは夏休みの間に死んでたらいいんだけど」

「えっ」


 うん?

 この子、今なんて?

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