第22話 千谷川警察署のふたり

 次の日。

「本当にすみません、雪山さん」


 昼休憩の間に借りたシーツと枕カバーを取り付け、2階から1階店舗に降りてきた摩利に、うなだれるように護が言うからおもわず笑いだしてしまった。


「ぜんぜんですよ。いまのところ仕事も忙しくないですし」

「まさか昨日今日でお子さんが熱を出すとは……」


 里奈のことだ。

 今朝がた早くに「子どもが熱を出してしまって保育園に預けられない」と連絡が来たらしい。


 護からは「今週はもう雪山さんに頼らないから大丈夫」と言われていたが、里奈のピンチヒッターとして店に入ることになったのだ。


「小さい子なんてそんなもんですよ。それに私も昨日熱を出してしまったし。ひょっとしたら流行っているんでしょうかね」


 摩利は手にした台布巾でカフェのテーブルを拭いていく。

 ちょうど昼の客をさばききったところだ。

 あと混み始めるのは15:00ごろということになる。


「それより護さんは? ご飯食べました?」

「ええ。あ、エビのマリネ、ごちそうさまでした。いつもすみません」

「ひとりぶん作るのも味気ないので。食べてくれる方が助かっています」


 それは紛れもない事実だ。

 この生活が始まってから摩利は料理をするのが楽しくて仕方ない。


 消費してくれるからだ。


 もともと料理は好きだったのだが、いかんせん「ひとりぶん」というのが難しい。結局多めに作り、幾日も食べ続けたり、余れば冷凍してはときどき食べることにうんざりしていた。


「雪山さんは、そのお付き合いしている男性とかはいないんですか?」

 急にそんなことを言われて摩利は驚いた。


「いると思いますか?」

「いや……その。決めつけも悪いか、と」


 なんとなくショーケースの陰に隠れそうになりながら護が言うから噴き出した。儀礼的に聞いただけらしい。


「最後に彼氏がいたのなんていつでしょうね。5年前ぐらい?」

「結婚願望とかは……ないんですか」


「ないですねぇ。まあ、気の合うひととならいつかしてみたいですが。私の年齢だとまだギリギリ子どもを望まれるでしょう? それが無理なので。結婚は50歳ぐらいでいいです。そういう護さんは?」

「ぼくはもう、いまが気軽です」


 真剣に言うからまた笑ってしまった。


「雪山さんの場合、手に職もありますし。そうですね、自由が一番なんでしょうかね」

「それに私、結構男性の手に余ると思いますよ? なにしろ上司に書類叩きつけて仕事辞めたんですから」


「そうなんですか⁉」

「そうなんです」


 笑いながら経緯を説明していたら、自動ドアが来客チャイムを鳴らした。


「いらっしゃいませ」


 護と声をそろえて顔を向けると。

 そこにはスーツ姿の男性がふたりいた。


 なんとなく「お客?」と思ったのは、最近は若い女性ばかりだったからだろうか。

 男性たちは摩利と護に会釈をすると、ポケットからバッジを取り出してしっかりと明示してみせた。


千谷川ちやがわ警察署の生田です」

 白髪が混じる中年の男性が名を告げた。


「同じく藤井です」

 まだ新卒だとおぼしき若い男性が頭を下げた。


 ふたりとも『しっかり確認してくれ』と印籠張りにバッジを見せるので、これ幸いとばかりに摩利はまじまじと見た。こんな機会でもない限りは警察バッジなどみれるものではない。本人と間違いないことを確認するふりをして、写真入りの身分証明書も凝視した。


「中島護さんで間違いありませんか?」

 バッジをしまうと、生田が護に尋ねた。


「はい、そうですが」

 いぶかし気にしていた護だが、不意に目を真ん丸にする。


「母がなにか⁉」

「あ、それ!」


 つい摩利も声を上げてしまう。

 ルイはいま、デイサービスに行っているのだが脱走でもしたのだろうか。よくある話ではある。

 だがそれなら交番から制服警官が来そうなものだ。


「いえ、今日お伺いしたのは鈴原翼さんの件です」

「……翼、の?」


 二日前に訪問してきた元婚約者だ。 

 なんとなく護は摩利と顔を見合わせてしまう。


「あの、スマホでメモを取っても?」

 おずおずと藤井が尋ねる。護はうなずくと、生田がため息をついた。


「最近の若い者はこれですよ。ペンで手帳に書く。これが一番じゃないですか? 間違いがない」

「若い子はスマホのメモ機能のほうが早いらしいですよ」


 つい摩利が助け舟を出す。藤井が「そうですよね!」と勢い込むが、実は摩利もメモ派だと気づいてちょっと気がそがれた感じでうなだれた。そのあと、護が咳ばらいをする。


「翼が、なんですか? 二日前に、店には取材に来ましたが……。ねえ、雪山さん」

「はい」


 摩利が返事をすると、生田が目をぱしぱしさせた。しょぼしょぼというべきか。


「えっと……。失礼ですが、あなたは?」

「あ、ここの従業員の雪山摩利です。この上に住んでます」


 ざっくりと説明すると、護が詳細を話したそうにするが目で制した。


「えー……っと、どんな字ですか?」

 メモ担当なのだろうか。藤井がスマホ片手に近づいてくる。


「雪山遭難の雪山に、摩利は摩訶不思議の摩。利は利益のり、です」


 言い方、と護が呟いたあと絶句しているが、これが一番伝わりやすいのだ。とくに最近はパソコンやスマホで名前を打ち込むときは、検索しやすい言葉がいちばんだ。


「まかふし……あ、出ました出ました。はい、なるほどです」

 藤井がほっとしている。


「二日前は何時ごろに来店されたでしょう?」

 生田が尋ねるから、また摩利と護は顔を見合わせた。


「15:00頃でしたかね……」

「客が途絶えたからそれぐらいですよ」


 摩利がうなずくと、護はつづけた。


「自分が勤めている雑誌の取材に来ましたよ。この店を掲載したいって。断りましたけど」

「そうなんですか。それはまたどうして?」


 意外そうに生田が言うから、護が顔をしかめた。


「このところ取材が続いて……ありがたいことなんですが、時間がとられるうえに、手もとられるんです。うちは少数で回していますから、お客様がおろそかになってしまいそうで。それと、翼に限っていえば元婚約者なんです。いろいろゴタゴタがあったのに、しれっと現れたものですから、こちらもカッとなって」


「その訪問時間ははっきりとわかりませんか? 例えばあの防犯カメラを見せていただくことは可能でしょうかね」


 生田が天井付近を指さすから驚いた。そこには確かに防犯カメラがある。摩利はいままで気づかなかった。


(まあ……つい最近まで、春夏冬二升五合の張り紙にまで気づかなかったんだし)

 護に教えてもらって確認したぐらいだ。


「ええ、構いませんよ。ちょっとお待ちくださいね」

 護は言うと、一度奥に引っ込んで脚立を持ってきた。


 それにのぼり、防犯カメラに手を伸ばす。何をするのかと思ったら、SDカードを取り出した。


 ショーケースの裏にスマートレジと一緒に置いてあるノートパソコンを取り出し、起動させてSDカードを再生する。


「あ、ここですね」


 カフェスペースのテーブルに置いたノートパソコンの画面を、護だけではなく全員で見守った。護が指さすのは動画の下に表示された日時。


「15:10。なるほどなるほど」

 藤井がまたスマホに入力している。


「このデータ、お借りしても?」

 生田が尋ねる。


「ええ。SDカードは他にもありますから、それを使えばいいんだし」

 護は動画を停止し、SDカードを引き抜いて生田に渡した。


「でも……その、翼がなにか?」


 いぶかし気に護が尋ねる。ここまで協力しているんだから、そっちもなにか言えよという雰囲気はあった。


「またお知り合いから連絡があるかもしれませんが、翼さんは昨日の晩亡くなられまして。今朝、職場の同僚が発見したところです」

「は……? え、翼、が?」


 護は尋ねたが、摩利は絶句したままだ。

 昨日初めて会った彼女。

 勝気そうで自信に満ちたきれいな女性。


 その彼女が今朝にはもう故人になっているという現実が飲み込めない。


「え? 病気……かなにか、ですか」

 護が言うが、摩利の目には彼女は元気そうに見えた。


「司法解剖にまわっているのでその結果待ちですね」

「司法……解剖」


 おうむ返しに護が言うが、まったく現実感がない。


「彼女は自室アパートの玄関でうつぶせになって倒れていました。助けを呼ぼうとしたのか、這い出ようとしたのか、こう、右手を伸ばしてね。外傷はいくつかありますし、不審な点もあるので。事故と事件両面で調べております」

「不審な点、ですか」


 護が眉根を寄せる。生田がうなずいた。


「肋骨が折れていますが、まあこれは……転倒によるものですかねぇ。なにより」

 生田は頭を掻いた。


「顎が外れていたんですよ。がぽっと」

「顎……」


 つい摩利はつぶやいてしまう。


 摩利とて福祉の仕事をし続けてきたので、死者には多く会ってきた。


 けいれんを起こして亡くなった場合、打撲痕はかなり目立つし、場所や本人の状態によっては骨折もありうる。口や目が開いたまま亡くなることはよくあるし、かなりの表情をしていてエンゼルケアをしてからでないと家族に見せられない場合もあるが。


 顎が外れるとは、あまり聞いたことはない。


「それでですね、もうひとつお聞きしたいんですが」

 生田がこほんと咳ばらいをした。


「二日前の晩、8時ごろ、中島さんはどこでなにをなさっていました?」

 

 しばらく生田を見つめていた護だが、すぐに目に剣呑な色をにじませてにらんだ。


「え? アリバイとか言うやつですか?」

「まあ、関係者全員に聞いているんです。もちろん雑誌関係の同僚さんや上司さんにも」

「そうですそうです。あまりお気になさらず」


 とりなすように藤井も入って来る。護は憮然とした表情で言った。


「その時間なら、母が急に不穏になって掃除とかしはじめて……」

「あ、そうだ。私も心配になって下に行ったんです。はい! 私が証人です!」


 摩利が挙手をしたが、生田も藤井も苦い顔だ。他人とはいえ、同一敷地内に住んでいる人間は証人になりえないのだろうか。


「そういえば正善寺の住職からスマホに連絡があって、お茶菓子の発注を受けました。正善寺に確認されては?」

「しょーぜんじ。えっとそれはどんな字を……」


 藤井がまたスマホを持って護に近づくから、護が丁寧に連絡先も教えていた。


「わかりました。ではご協力ありがとうございました。またこちらから連絡させていただきますが、もしなにか気づいた件がありましたらいつでもどうぞ」


 生田は名刺を一枚、ショーケースに置いてぺこりと頭を下げた。


「連絡、お待ちしております」と。

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