第21話 中島家の嫁
来た道を戻るようにして2階に入り、手早くシーツと枕カバーを剥して丸める。抱えるようにして今度は外階段に続く方の玄関から出た。
そのまま3階に移動し、洗濯機にシーツを放り込んでスタートボタンを押した。
顔をざぶざぶ洗い、化粧水もせずにマスクを着用。服も適当に着替えて摩利が外階段に出たときには、ちょうどデイサービスの送迎車がゆっくりと駐車場に入って来るところだった。
(ひぃ、ナイスタイミング!)
摩利はペースを上げて階段を駆け下りる。
駐車場についたころには、送迎車からルイが手引きされて降りていた。
「こんちはー、雪山さん」
生活相談員がわざわざ下車して手を挙げてくれる。
「どもですー。あ、茨木さんもこんにちは」
ルイのかわりにカバンを持っている介護福祉士に声をかけると、こちらは不機嫌をあらわにじろりと視線を投げつけてくる。
「昨日、うちの施設に電話しました?」
「え? ……ああ、ええ、ちょっと」
ルイが不穏だったから、が理由なのだが本人の前でそれは言えない。
「困るんですよね。私、ちゃんと中島さんの状態はファイルで報告してるじゃないですか。見てないのはそっちでしょう?」
若いだけあってつんけんすると勢いが違う。まさにケンカ腰だ。
(あー……。しまったな。私が問合せたのをとがめられたのかな)
ちゃんとご家族と連絡をとりあっているのか、と言われたのかもしれない。
「確かに私も茨木さんを名指しして状況をうかがうべきでした。ごめんなさいね」
一応折れてみるが、彼女の機嫌は直らない。生活相談員が「ちょっと、茨木さん」と声をかけるが無視だ。
「だいたい、雪山さんの立場ってなんですか? ケアマネでも地域包括支援センターの職員でもないですよね」
「まあ……そうなんだけど」
口ごもっていると、状況が読めているのか読めていないのか不意にルイが会話に割って入った。
「この人はうちの書生よ」
「しょせー? え?」
若い茨木は知らないよな、と摩利が「住み込みで働いている学生や見習いみたいなもんです」と付け加えると、「えっらそーに」とはっきり口にされて驚いた。さすがに生活相談員が鋭く注意をする。
もう明らかに敵視されている。これは無理だ。
「そのぶんじゃもう大丈夫そうね、体調」
ルイだけが比較的ご機嫌な様子で摩利に言った。
「ええ。おかげさまで」
ぎこちなく笑うと、ルイは何度かうなずいた。
「こちとら年季が違いますよ。あんな子ども騙しを送り込んだことを後悔すればいいわ」
「子ども……だまし?」
なんのことだ、と摩利が目をまたたかせると、ルイは、ふふと笑った。
「すそのことよ」
すそ。
昨日からずっと言い続けている言葉。
「しょせーだかなんだか知らないけど、すっかり他人の家に入り込んじゃって。実は嫁さん気取りなんじゃないですか?」
「茨木! おまえ、いい加減にしろよ」
生活相談員が低く警告する。
「あら、茨木さん。このひとは書生だって言ってるでしょう? 嫁なんて、そんな」
ルイは愉快そうに笑った。
「そんなもの、もうこりごり。嫁なんていらない。問題ばっかりおこすんですもの。もうわたしね、わかったの」
薄目を開き、ルイは言う。
「わたしが中島の唯一の嫁」
そして摩利を見上げた。
「書生さん、店に行きますよ。カバン」
「あ、そう……ですね」
摩利は茨木からカバンを受け取ろうとしたが、生活相談員が茨木からもぎ取り、ニッコリ笑顔で摩利に渡してくれた。
「教育しとくから」
「いやあの、こっちは大丈夫だから」
困惑しながら答え、勝手に杖歩行で店へと向かうルイを追いかける。
(すそって……方言かな)
そういえば、昨日関西弁を話していた。摩利はルイと並ぶと、顔をのぞきこむようにして腰を曲げる。
「ルイさんってお里は関西ですか?」
「え? そうよ。どうして?」
「昨日、護さんが『そういえば母の実家には行ったことがない』みたいな話をされてたので……」
「ああ、そうねぇ。あの子たちを連れて里帰りしたことはなかったわ」
ほう、とルイは吐息をつき、路地を進む。背後では動き出した送迎車が走り去る音が聞こえてきた。
「やっぱりお店がお忙しいとそうなりますよね」
相槌程度にそういうと、ルイは口元にしわを寄せるようにして苦く笑った。
「それもあるけど……。実家はもう姉夫婦が継いでいるしねぇ。閉鎖的なところだから、一度嫁いだら親の葬式ぐらいしか帰って来るなって感じで」
「ああ、そうなんですか」
「姉とももう何十年会ってないかしら」
「それはさみしいですね」
「問題ないわ。あそこは娘が生まれたって言ってたし。ほんとうらやましい」
こつこつこつ、と。ルイの持つ杖が路地を突く。
「わたしはまだまだ頑張らなきゃね。中島家の嫁なんですから」
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