第2話 誰かがいる?
薄暗い玄関の右手は洗面台とドア。たぶん、トイレか浴室。その奥にリビングキッチン。キッチンのつきあたりにドア。左手にベランダが見える。キレイ好きな梨優の性格が表れ、家内はよく片づいていた。洗面台には色違いの歯ブラシが二本。マグカップも二つ。スリッパも。
「彼と住んでるんだ?」
梨優は力なく首をふった。
「この前……出てったよ。気持ち悪いからって。連絡もとれなくなった」
それはまた、なんと言っていいのか。オバケに恐れをなして彼女をすてていったのか? ヒドイ彼氏だな。でも、裏返せば、オバケは梨優の勘違いではないってことだ。逃げた彼にも見えたわけだ。
イヤだなぁ。決してオバケが得意じゃないんだけど。ただ、昔、おばあちゃんが話してくれたこの地方の古い伝承がホラー小説のネタにいいかと思ったから来てみただけだ。おばあちゃんが生きてればよかったんだけど、一昨年九十歳で亡くなっちゃったからなぁ。もっと細部まで聞いとけばよかった。
「……今のところ、なんにもないね。大丈夫そうだよ」
変なものはとくになかった。彼がよっぽどあわてて逃げだしたのか、ところどころ服や着替えが散乱している。玄関からなかをうかがっていた梨優は何事もないとわかると、急に急いで
「えっと? 荷物持って、どうするの?」
「お願い。ちと。あなたの家に泊めて」
「えっ? いや、わたし、こっちには取材に来てるだけで日帰りのつもりだったんだけど」
「お父さんの地元だから、またここに戻ってきたわけじゃないの?」
「お父さんは今、北関東の支店勤務だよ。単身赴任。わたしも一人暮らしだから、泊めてあげられないことはないけど、すごくせまいよ。おばあちゃんちの近くにアパート借りてて。ここからだと電車で一時間かかるし」
「数日だけでいいから、お願い」
「それより、りゆの実家が近いんじゃないの? そっちに帰れば?」
梨優はうなだれた。なんか変だ。実家に帰れないわけでもあるんだろうか?
どうしようかと迷っていると、襟元をすうっと冷たい風が通っていった。冷気をまとった誰かが通りすぎていったみたいな。その瞬間、なんの前ぶれもなく、とつぜん本棚から数冊の本が飛んできた。あまりにも急で予想もしてなかったので、頭に直撃をくらってしまう。
「あいたっ!」
梨優がサッと青ざめて、わたしの手をつかむ。
「行こう!」
「あっ、うん」
わたしはまだ戸惑っていた。だって、地震対策の支柱を立てた本棚はグラリともゆれなかった。ぶあつい本がとうとつにくずれる要素は何もなかったのだ。何が起こっているのかわからない。それがいわゆるポルターガイストだと頭が認識するのに、しばらくかかった。ぼんやりしているうちに、今度は洗面台から歯ブラシやカミソリの入ったコップがこっちにむかってくる。ふつうに下に落ちたんじゃない。空中を180度水平に飛んできた。続けてキッチンの流し台の戸がパタパタする。包丁がガタガタ鳴りだすのを聞いて、さすがにわたしも命の危険を感じた。あわてて外へとびだす。
「な、何? 今の?」
「だから、誰かがいるだよ」
なるほど。これは彼氏が怖がって逃げていくのも納得だ。いつ頭の上に包丁が飛んでくるかと思うと、とても住めたもんじゃない。ここまで顕著な霊現象を生まれて初めてまのあたりにした。
「いつも、あんななの?」
「さっきはひどかったね」
「そうなんだ」
「わたしが出ていこうとしたから、怒ってるのかも……」
誰が怒るって? オバケが? やめてくれ。怖いよ。
「とにかく、ここじゃ話もできないから。ファミレスでも行こ。事情、話してくれる?」
梨優の背中を押して歩きだそうとしたとき、気づいた。二階の梨優の部屋。カーテンのすきまから誰かがのぞいてる。その部屋が無人だってことは、さっきまでそこにいたわたしたちには明確にわかる。でも、立ってるのだ。黒いもやが人型に凝ったみたいに輪郭はぼやけて、全体が黒い。
もちろん、ゾッとした。でもそれ以上に変な気がした。その人をわたしは知っている。髪の長い女の子。ペタンコの胸で身長もかなり低い。小学生低学年くらいの子ども。
(あの子……もしかして?)
いや、そんなはずはない。あれが手毬だなんて。それに、もしも……もしも、手毬が亡霊になったのだとしても、梨優に危害をくわえるはずがない。二人はあんなに仲よしだったんだから……。
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