第10話 強者の境界(後編)

「それじゃ、全てを終わらせようか」


 そう言った魔王が地面を蹴った。

 漆黒の魔槍トライデントと黄金に輝く鎧が長いブロンドの髪を靡かせてミカエラの心臓に向けて走り始めた。


 ミカエラはそれを真っ向から受けるために白銀の剣の魔力をさらに高めた。

 まさか魔法師の杖が擬態されているものだと見破られるなんて思わなかった。本気の剣劇についてこられる魔王がいたなんて思いもしなかった。それこそ、今までミカエラの本気の剣劇を受け止められたのは最愛の彼女の一人、カリエしかなかったのだ。

 また、くしくもこの魔王はそんなカリエに似ていた。女の魔王は初めてだった。それもここまでの美しさをもった女性なんて彼女達以外で初めてだった。だからこそミカエラは様々な思いをもってその手に強い意思を込め、逃げずに受け止める覚悟を見せた。


「これで終わりよ!」


 まもなく魔槍が到達する。

 ミカエラは一瞬たりともそこから目を離さなかった。そしてついに―


「ぐぅぅ……っ!」


 白銀の剣に漆黒の魔槍が激突した。

 金属音ではなく、まるで事故のような強烈な音がこの場所に響いた。さらにそこを中心に竜巻のような豪風も吹き荒れ、魔王城の壁という壁や天井を崩壊させた。その瓦礫は二人にも降りかかるが、絶え間なく放出される闘気と猛烈な風により着弾する前に粉々に砕かれて散っていった。


 お互いが苦悶の表情を浮かべた。

 まさに拮抗している状況において、一瞬でも力を抜けば一気にとられると確信しているからだ。そこで魔王がさらに魔力を上げた。するとついにミカエラの剣が押され始めた。


「諦めなさい! あなたは確かに強い。でも私には勝てないのよ!」

「……誰が私には勝てないって? それはこっちのセリフよ。あなたは今までの魔王の中でトップクラスに強いわ。でもね、私は、私には絶対に叶えないといけないことがあるの! みんなに約束したのよ! この手でサタンを倒すって!!」


 それを聞いた途端に魔王の表情が驚きに染まった。さらに、一瞬だけ力が弱まりミカエラがその隙に魔槍を押し戻した。それだけにとどまらず一気に勝負を仕掛けた。


「このままいくわ。私の全てを食らいなさい!」


 直後、白銀の剣が眩く発光し魔槍の闇を照らした。そしてその刀身から膨大な量の魔力が解き放たれると、神々しいまでの猛威が魔王の全身を襲った。


「―……っっ!」


 声にならない声がミカエラの耳に入った。だが、そこで放出の攻撃を緩めることはせず、そのまま魔王を遥か後方まで弾き飛ばした。

 何かが何かにぶつかる鈍い音が響いた。その音が消える頃になってようやくミカエラの魔力放出が収束した。


「あら、これは驚いたわね」

「くっ……」


 前方を見たミカエラは悠然としながらも驚き、心の中では笑っていた。そこには瓦礫のところでどうにか止まった魔王がぼろぼろの状態でふらふらと立っていたのだ。だが、その魔槍は手にはなく砕けて足元に転がり、黄金の鎧も完全に崩壊して魔王は全裸になってしまっていた。


「ま…まだ……終わらないわ…… 私は、ここで死ねない。死ぬなんて絶対に許されないんだから……」

「もう無理よ。見たら分かるわ。あなたは立っているのもやっとで魔力なんてほとんど尽きているじゃない。そんな状態で私に勝てるとでも?」

「勝てる勝てないじゃない。勝たないといけないのよ。生きないといけないのよ! でないと……この恨みが消えることはない!」

「そう」


 ミカエラは魔王に近付き、そんな彼女の額を軽く小突いた。すると、そんなものでさえも耐えることが出来ずに魔王は尻を付いて崩れた。もちろん立ち上がろうとしたが、その目の前には既にミカエラの顔があった。

 魔王はそれがあまりに近かったこともあって後退るも、すぐに瓦礫に背中を付いて止まってしまった。


「……無念ね」

「これで負けを認めてくれるかしら?」

「……」

「あなたはさっき恨みがどうとかって言ってたわよね? それに、戦う前に自分にも目的があるってことも言ってたけど、その二つは同じことかしら?」

「聞いてどうするの? 話したところでもう意味なんてないわよ。あなたは私を殺す。私は死んで何も出来なくなるんだから」

「意味がないって思うなら、話すことで何かしらの意味を持たせることが出来るかもよ? 遺言なら私が叶えるかもしれないし」


 決着したこの状況において、ミカエラは殺意無き目で魔王を見ていた。

 いつでも殺せるのにあえて殺さないでいる。きっとこの勇者は本当に話を聞こうとしているに違いない。そう感じた魔王は重い口を開いた。


「……私は、私の生きる目的はこの手でサタンを殺すことなのよ。昔、まだ私が今よりも小さい頃、父がサタンに殺されたのよ。その頃の父は最強の存在だった。誰にも倒すことの出来ない最強の魔王だったのよ」

「最強の魔王……もしかしてだけど、あなたの父って」

「そうよ。前最強の魔王ベリアル。それが私の父よ」


 ベリアルが死んだことはかつて王国キングダムで話題になっていた。しかし、その死の真相だけは未だに謎に包まれていた。


「まさかサタンが殺したなんて。私達はてっきり別の国の勇者が相打ちか何かで殺したせいで情報が無いのかと思っていたわ。それでサタンは成り上がったのだと」

「違うわ。サタンが父を殺した。それで最強の座を奪ったのよ。私はその時のことをよく覚えているわ。サタンが私のことを弱者だと言って見向きもせずに逃がした屈辱もね。だから私はサタンをこの手で殺す。なんとしても父の仇をとるのよ。この恨み、晴らさずして死ぬわけにはいかないのよ」


 魔王の目には憤怒と怨嗟が宿り、体からは僅かに暗黒の闘気が滲み出した。だがそれは吹けばすぐに消えてしまいそうな程度だった。それでも、それを見たミカエラは


「……なんのつもりよ? もう魔力は無いんじゃなかったの?」

「ええ、無いわよ。今ので最後。あとはぎりぎり動ける程度しか残ってないわ」


 なんと魔王を全回復させた。さらに、落ちていた漆黒の魔槍や黄金の鎧も完全に修復してやった。


「馬鹿なの? こんなことをしたら私に殺されるわよ?」

「殺したかったら殺せばいいわ」

「え?」

「魔王、あなたの目的は分かったわ。その尋常じゃない恨みもね。だからさっき私が『この手でサタンを倒す』って言った時に驚いた顔をしたのね。まさか……本当に驚いたわ。この世界に来てからは驚くことばかりよ」

「それと私を回復させたことは別ものじゃない? どうして瀕死の私を助けたのよ」

「だって、私が勝ったから。勝者には敗者の生殺与奪の権利がある。それに、私が勝ったら何かを貰うって約束もしたでしょ?」

「そうだけど。ならとっとと持っていけばいいじゃない。槍? 鎧? 好きなのを持っていくといいわ」

「そう。だったら本当に私の勝ちってことでいいのね?」

「いいわよ。それに、敵に回復までされたら面目丸潰れよ」


 そこでミカエラからは完全に警戒の意識や闘気が消え、普段の生活をしている時と同じ雰囲気を出した。そして緩やかに口角を上げて言った。


「それじゃ、好きなものを貰っていくとするわ。あなた、私の仲間になりなさい」

「……は?」

「あなたの全てを貰うわね。今日からあなたは私の仲間よ」

「ちょっと待って。確かに何でもとは言ったけど、正気の沙汰じゃないわ。槍でも鎧でもいいって言ってるのよ?」

「それって魔王の装備でしょ? ベリアルから貰ったものなんじゃないの?」

「それはそうだけど……」

「ならあなたが持っていないと駄目よ。お父様から貰ったものなんて貰えないわ」

「だ、だったら…お、お金もあるわよ?」

「十分に持っているからいらないわ。それに、この世界と私達が生活する世界とでは通貨が違うのよ。貰っても意味がないわ。私が望むのはあなたよ、魔王。それ以外はいらないわ」


 強く言い放ったミカエラ。そしてその気迫に気圧された魔王は言葉を失った。また、ミカエラは魔王が立ち上がる前に急接近してその頬に手を当てると、凛とした目で瞳を覗いた。


「ち、近い近い。分かったわ、そういうことね。この私を使役して下僕にでもするつもりなのね? 私は誇り高き魔王。負けたとはいえ、この先そんな扱いを受けるくらいなら今ここであなたを殺してやるわ」

「いいわよ。やってみなさい。今なら殺せると思うわよ?」

「え?」


 ミカエラはそこにあった魔槍を取って魔王に握らせると、その鋭利な先端を自分の心臓の位置に当てた。だが、魔王はそのまま心臓を貫かなかった。


「ちょっ……」

「いい? 私はあなたを下僕にするために仲間にするんじゃないの。対等な存在として仲間にするの。私はこの言葉に命を懸けられるわ。私はかつて大切な仲間達とサタンに挑み、仲間達は私を逃がして死んでいったの。私だってサタンをこの手で殺したい。あなたも父を殺された仇としてサタンを殺したい。それはお互いが何としても成し遂げたいことじゃない? それに、私は今までそんな仲間を探していたの。あなたが何よりも適任よ。あなた単騎で行ってもサタンには勝てない。私に負けているんだからね。もちろん私も単騎では勝てない。あなたに苦戦したんだからね。利害の一致ってのもあるけど、二人でこの先強くなれば勝つ確率は今よりも上がると思わない?」

「……いつか私があなたを裏切るって考えないのかしら?」

「考えないわ。もし裏切られて私が死ぬようなことがあれば、私はそれまでだったってことよ。それに、私を殺せるってことは、この先のサタンの討伐を任せてもいいかなって思えると思うの。ちなみに私はあなたを裏切らないわ。これも命を懸けられる。どう? 私の仲間になってくれるかしら?」


 口では仲間になりなさいと言っていたのにも関わらず、しっかりと自らの意志を尊重している。そう感じた魔王は少しだけ考えた後に槍を離して口を開いた。


「……分かったわ。確かに私だけでサタンを討つよりも私よりも強いあなたと一緒であれば勝てる可能性は高い。いいわよ。あなたの仲間になってあげるわよ」

「ふふ、ありがとう。嬉しいわ」


 微笑んだミカエラ。そして少しずつ顔を近付けていって魔王の頬にキスをした。


「いっっ今何して―ッッ!」

「信頼の証よ。ところであなたの名前は何ていうのかしら? 呼ぶ時に毎回魔王って呼ぶのは変だし、せっかくの仲間なんだから名前くらいは知りたいわ」


 そう話している間にもミカエラは魔王の頬に手を当てて優しく撫でていた。


「…ソラムよ」

「可愛らしいいい名前ね。満天の夜空? どこまでも広がる天空? 何にしてもそんな広大で凛とした美しさも思わせるような素晴らしい名前ね」

「ありがと」


 魔王改め、ソラムが頬を少しだけ赤くして俯いた。

 それから完全に仲間と認めると、その黄金の鎧も解除して最初に来ていた黒いドレスに戻った。


「よく見るとその姿も美しいわ。ブロンドとも相性が良くて素敵よ」

「褒めるのが上手ね」

「ふふ。本当のことなんだから褒めるのは当然よ。―それじゃ帰るとしようか。私の家に」

「家? ちょっと待って、ミカエラ・アズール」

「名前を憶えていてくれたのね。ミカエラでいいわよ」

「ミカエラ、まさか一緒に住む気じゃないでしょうね? 嫌よ? 急にキスをしてくる人と住むなんて」

「だったらソラムの住むところは無いわよ? 王国キングダムに魔王城を建てるわけにはいかないし、最悪野宿よ? いいえ、野宿確定よ?」

「それこそ絶対に嫌。誇り高いベリアルの娘が野宿なんて屈辱だわ」

「だったら一緒に住む? ちゃんとベッドもあるし、シャワーもあるから何不自由なく暮らせるわよ」

「……分かったわ。背に腹は代えられないとはこのことね。でも、他の部屋が見つかったら引っ越すわよ?」

「いいわよ。それじゃ方針も決まったことだし、ソラム。私にはもう動ける魔力が無いからおぶって家まで運んでくれるかしら?」

「なんで私が」

「私を置いて先に行ったらまずゲートがくぐれないし、仮にくぐれたとしても向こうに着いた途端に恐ろしい冒険者達に囲まれて殺されるわよ? 冒険者団体ギルドの人達はみんな恐ろしい人ばかりなのよ? でも私と一緒なら奇異な目で見られると思うけど死ぬことはないわ」

「仕方ないわね。分かったわよ。ほら、ちゃんと掴まっていなさいよ。それくらいは出来るでしょ?」


 ということで、ソラムの背中に乗ったミカエラ。身長としてはソラムの方が高いため、背負いにくさは無いようだった。


「ミカエラってけっこう軽いのね」

「こう見えてもね。それにしても……ソラム、なんかいい匂いね」


 その時ミカエラの鼻息がソラムの首筋や耳に当たった。そしてソラムは否応なしに背中に寒気が走った。それでも強引に下ろして自分だけ行くわけにはいかないのでそのまま歩き始めた。


「いいわ…いい匂いだわ……」

「そんなに嗅ぐんじゃないわよ。言っておくけど、私は人間じゃないんだから臭いわよ?」

「ううん、そんなことはないわ。本当にいい匂い。汗の匂いも好きだわ。舐めてもいい?」

「駄目に決まってるでしょ!」

「耳をはむはむするのは?」

「絶対に駄目に決まってるでしょ! さっきまでは凛とした勇者だったのにどうしてこんな……」

「何か言った?」

「何でもないわよ」


 それからもソラムは背中にぞわりとしたものを感じながら、ミカエラの案内のもとでゲートの方に歩き続けた。


「ゲートってこれね。本当に私が入れるのかしら?」

「大丈夫よ。現に別の冒険者の人達はたまに魔物を一緒に連れてきては使役しているし。もちろん、入るには冒険者と一緒じゃないと駄目よ? それも体の一部が触れた状態でないとね」

「例えば手を繋ぐとか?」

「やっぱり頭がいいわね。だから人間の言葉が話せるのね。もちろん手でもいいんだけど、もう既に私の全身が触れているからこのままでも入れるわ」

「結局下りないつもりね」

「着いたら下りるなんて言ってないわよ? ほら、帰るわよ。お腹も空いたし、戻ったら好きなものを食べさせてあげるから」


 そうしてミカエラはソラムとともにゲートに入り、王国キングダムへ帰還した。

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