第五章 憲兵隊
「おい、起きろ!」
と、乱暴に腕をつかまれ、無理やりに立たされた。まだ半分夢の中である。昨日も同じ部隊の連中と心おきなく浴びるほど酒を飲んだ。「特攻」を目の前にして、酒でも飲まずにはいられない。ましてや「さくら弾機」が燃えてしまって特攻はどうなるのか、我々はどうしたらいいのか。上層部からの連絡は何もない。まだ酒が残っている。気のおけない仲間たち。出撃の日が目の前に迫っている。特攻に行って、「靖国神社」に祀られるのだ。「山本辰雄」として。そんなことを考えていると、
「山本辰雄だな?」
見たこともない連中2,3人に取り囲まれている。
「な、なんだ」
びっくりして言葉にならない。
「さくら弾機放火の疑いで取り調べる」
一人が重々しい態度でそう言う。もう一人が後ろから羽交い締めにして、別の一人が俺の両手を縄で縛り、どつき回す。
俺の手を縛った縄を持ち、ぞろぞろと歩き始める。「はっ」と我に返った俺が
「何かの間違いだ。俺はそんなことはしていない」
と、あわてて弁明しようとしたが、
「うるさい。お前に弁解の余地はない」
と、怒鳴られ、
それが今は
「何故だ」
俺は喜んで特攻へ行こうとしている。日本のために戦い、日本人として死ぬつもりだった。その俺が大切な『さくら弾機』を放火するはずがないではないか。
俺の頭の中をぐるぐると謎がかけ回っている。誰に問えばよいのか。
「俺はやっていない。やるはずがない。すぐに間違いだと言うことに気がついて釈放される。そうに決まっている」
俺は楽観的に考えていた。楽観的に考えようとしていた。だが、自分の考えが甘かったことにすぐに思い知らされた。
引っ立てられ、車に乗せられた。両側を体格のいい男にがっちりと脇をつかまれている。車は猛スピードで大刀洗憲兵分遣隊へ向かっていた。憲兵隊本部に到着するなり取り調べが始まった。だが、取り調べとは名ばかりで、殴る、蹴る、棒で叩くの繰り返し。みるみるうちに目は腫れ上がり、唇が切れ、鼻血が流れ落ちた。
「さくら弾機を放火したな」
「お前が犯人だな」
憲兵隊の人間は俺が犯人であると決めつけている。
「俺はやっていない。なんで、俺がさくら弾機を放火しなければならないんだ」
「口答えするんじゃない。犯人はお前しかいないんだ」
「証拠を見せろ」
「そんな物はない。状況を見れば歴然としている」
「誰か見ていた人間がいるのか。誰が証言したんだ?」
「そんなことをお前に答える必要はない」
相手は2,3人。次から次と、俺を好き勝手やりたい放題で往復ビンタ、ズボンのベルトで打ち据えたり、椅子に縛り付け、タバコの火を押し付けたりしている。俺が「痛い」「痛い」と悲鳴を上げるのを面白そうにげらげらと笑いながら見ている。
「俺にはさくら弾機を放火する理由などない」
「ほう、そこまで言うなら聞くが、好きな女ができて、特攻に行きたくなくなったんじゃないのか?死ぬのが怖くなったんだろ」
「そんなわけあるか」
俺には心に決めた『ことは』がいる。この世では結ばれなかったが、次、もし生まれ変わったら、必ずことはを守る。ことはと結ばれると決めている。死ぬことは怖くない。むしろあの世へ行けばことはに会える。特攻に行くとずっと昔に決めていた。朝鮮人として生きることに限界を感じ、かと言って日本人として生きることもできず、自暴自棄になっていた時に特攻に行くことで『日本人』として靖国神社に祀られることを知った。日本人としての死に場所を見つけたはずだった。それなのに、俺がさくら弾機を放火するはずがないではないか。
しかし憲兵たちは俺が好きな女ができて、そのために死ぬのが惜しくなり、さくら弾機に放火することで、特攻に行かなくてもよいという短絡的な考えで事件を起こしたと考えていた。
事件の数日前、近くの農会の女性職員たちが興味本位で「特攻機が見たい」と、訪ねてきた。そして、和歌を添えて慰問文を送ってきた。その和歌が大問題になっているのだが、彼女たちはその時は全く考えていなかった。その農会の女性職員の一人が「山本伍長に恋文を出した」と疑われ、取り調べを受けていた。
「お前が白状しなければ、彼女を痛めつけることになるぞ。それでもいいのか?嫁入り前の身体に一生残る傷が残ったら、それこそ嫁にも行けなくなるよなあ」
憲兵たちはうれしそうにゲラゲラと笑った。
「いつから、つきあっているんだ?」
「特攻兵はもてるからなあ」
「さっさっと白状しろ。どっちにしろ、お前は死刑になるんだ。他の人に迷惑をかける前に潔く、俺がやりました、と言えばいいんだ」
「そうだ、そうだ。上の人がお前が犯人だ、と決めてしまった。他の誰でもないお前なんだよ。犯人がいればそれでいい。それで全てがまるく治まる。証拠もいらない。誰かが責任を取る。そのための犯人なんて誰でもいい。ちょうどそこに朝鮮人のお前がいた。それだけのことだ」
「今、自白するか、お前が言わなければ周りの無実の人間が傷つけられ、苦しみを味わうことになるというだけのことだ」
憲兵たちが周りで次から次と俺を罵倒している。俺はそれをどこか遠くの方から聞いていた。俺が朝鮮人だから。日本を守るために戦争をし、特攻に行くというのに、それさえ許されないのか。同じ人間ではないのか?たぶん真犯人は日本人であろう。朝鮮人の俺にぬれ衣を着せ、うまくいったと、のうのうとほくそ笑んでいることだろう。こんな奴らのために俺は死刑になるのか。
数日前に会った農会の女の子。顔も名前ももう覚えてはいない。だが、俺のために「つきあっていた」とか「恋人だった」とか根も葉もないことで
俺は自暴自棄になったわけでも何でもなくて、ただことはを守れなかったこと、ことはの生命を救えなかったことが、俺が違う生き方を選んでいたなら、ことはは今も生きていて、俺にはできなくても、他の誰かと幸せに生きることができたのではないか。俺の無力さがことはを不幸せにしたのかもしれない。だとしたらそれが他の誰か、全くの赤の他人であろうと救えるなら救ってやりたい、そう思った。
「俺がやりました」
そのあとのことは覚えていない。憲兵たちが小躍りしながら「やった」「やった」と叫んでいたような気がする。「ようやく吐きよった」と、手を叩いていた奴がいたような気がする。俺はもう何も聞こえなかった。
ただことはのことだけを考えていた。
「ことは、もうすぐ君のところへ行くよ。ひとりぼっちで淋しかったね。もう二度と君をひとりきりにはしない」
その夜、ことはの夢を見た。ことはは何も言わず、哀しい眼でこちらを見ていた。俺がことはの方に行こうとすると、ことははただ黙ったまま、首を振った。その瞳は「もう遅い、何もかも遅すぎる」と、言っていた。
俺は布団から飛び起きた。ことはは俺がやってもいないさくら弾機の放火の犯人として自白したことを哀しんでいた。例え、だれも信じてくれなくてもことはだけは真実を知っている。それなのに俺は他の人を助けるためとは言え、放火の犯人の濡れ衣を着てしまった。
「もう俺にはことはの声は聞こえない。いつわりの告白をしてしまった俺にはことはの想いは届かない」
とりかえしのつかないことをしてしまったという後悔の念が
次の日の朝、いつもなら朝早くから始まる取り調べがしーんと静まり返っている。
「おーい」
俺は看守を呼んだ。
「俺はやってない」
「なんだ?」
「俺はさくら弾機を放火していない」
「昨日、『俺がやりました』と、言ったじゃないか?」
「いや、昨日のは気の迷いだ。あまりにも皆さんの殴る、蹴るで痛めつけられていたからな。とにかく俺はやっていない」
「何を言うか、また痛い目に会いたいのか。どっちにしてもお前の運命は死ぬしかないのだ」
「それでも俺はやっていない」
またいつものメンバーがずらりと
「でも俺はやっていない」
ことはが哀しそうな瞳を俺の方に向け、「わかっている」と小さくうなずいて見せた。
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