欲望 5

 理久は鎧姿のまま客間に入った。窓からの陽射しが、焦茶色の大卓と畳を照らしていた。


 縫衣は窓際におり、未命は眼前に立っていた。


「ねえ、理久。ごめんね……。本当に、心配をかけて」と云う未命に、

「いや。それより……。何があったんだ? どうしていったい、縫衣殿と一緒に……」

「うん。それは、さ」


 そこで未命は語った。


 黄花は緋奈が操る蛇葛かずらに殺されたこと。禅治という行商人が関わっていそうなこと。


 蒼玉という魔性が、未命の中に潜むらしいこと。


 五年前の『蝕』のとき、縫衣は蒼玉と戦ったこと。



 理久はそれらの話を聞いてゆく中で、旅の疲れがどっと体に溢れてくるのを感じた。


 未命が語り終えて、伏目がちな視線を向けてきたとき、理久はため息をついて、


「――ああ。わかった。わかったよ」


 理久はふと、縫衣に視線を向けた。縫衣は相変わらず、未命の言葉をがえんじるような、静かな目をしていた。


(どうしたことだ、これは……。おお、烈賀王よ……! 未命は魔性のせいで、気が触れてしまったのだろうか……)


 そう思いながらも、また未命を見て、


「大丈夫なのか? きみの話が、本当だとして……。いや、疑っているわけじゃない。それは……。だとしても、あの、血と霊気を求める魔性は。――蒼玉と云ったっけ。そいつは、大人しくしているのか? なあ……」

「う、ん。縫衣さんが、抑えてくれているみたいでさ。――わからない。でも、大丈夫、だと思う」

「そうか。それで――そうだ! かずらって……。その、かずらをもたらした、禅治ってやつは……」


 そこでついに、縫衣が云った。


「そう。禅治という者が、何者であろうと、放ってはおけない。――そのために、考えがあるの」




 ◇



 理久は半ば呆然として、未命が筆を走らせるのを見ていた。


 未命は卓に和紙を広げ、左手で小袖の裾を持ち、細筆を動かし続けた。



  一筆啓上つかまつり候


  時下 貴台ますます

  ご清祥のこととお喜び申し上げ候


  さて恐れながら

  紫仙丸しせんがんの二十錠をば

  急ぎお届けくださいますよう

  お願い申し上げ候

  まずは右 取り急ぎ申し入れまでにて


  かしこ


  白ノ宮 於 緋奈



 未命は筆を硯に置くと、


「筆をとったのはもう、十日ぶりかな……。どうもうまく、書けていないけど」

「十分だと思うよ。わたしなんて、そんなの書けやしないよ」と縫衣。


 理久は腕を組みながら尋ねる。


「本当にそんな手紙で、禅治がくるのですか? 第一、紫仙丸、何て聞いたことがない……」


 縫衣は頷いて、


「そうね。緋奈さんから聞いたの。未命さんの霊気をかずらに喰わせたら、根を回収して、引き渡す必要がある。そして、そのときになったら、ある問屋に紫仙丸の注文をすると、禅治がやってくる。――そういう取り決めになっているんだって。どうせ、紫仙丸なんていうのは架空の薬だろうけど。――――さ、乾いたら、宮の飛脚に、お願いしよう」




 ◇



 西日が赤らみはじめた頃、理久は修練場の傍で木刀を掲げていた。


 森に囲まれた土の上に、長い影が落ちている。


 その地面の影に正対し、斬ろうという稽古――影斬り。


 汗を握り上段に構えるも、動けない。影は隙なく見返してきて、気を緩めた刹那に打ち込まれそうだ。


(影に勝つ、だと? いったい、そんなことができるのか……。わからない。――いや、できるはずだ。正しくあれば、影に。天清流の剣先けんせんと、理合があれば……)


 理久は呟きながら、姿勢を正して目を細め、強く木刀を握る。


 未命の思い詰めた表情が浮かんでくる。


(そうだ。俺はお前を、守るために……)


 その瞬間、鳥の影が頭上を横切る。黒い剣が落ちてくる――幻想か。よろめいて、後ろに転げそうになる。


「やってるなァ。懲りもせず」


 振り返ると、いつの間にか蓮二がいた。腕を組んで木に寄りかかっていた。理久は体勢を立てて、思わず睨むように、


「蓮二殿……。これは、お人が悪い。黙って見ておられるとは……」


 蓮二は唾を吐いて、


「けッ。そこで昼寝してるときに、お前が勝手に、稽古をはじめたんだ」

「そうですか」

「そうさ」


 と、蓮二は木刀をぶらりと右手にし、木陰からのそりと出てきた。


「会ってきたのか?」

「な、何を……」

「あの、血飲みの巫女に。――縫衣が連れて戻ってきた」

「――ええ。これでもう、守れる……。俺が」


 蓮二は薄く嗤い、木刀を地面に突いた。左手は懐手にしたまま、


「打ってこいよ」

「え……。何を……」

「いいからよォ。打て。この俺を。その木刀で」


 理久は逡巡したのち、木刀を真上に掲げて右足を踏み出した。


「いやァッッ!」


 ――袈裟に斬った。そのはずだったが、がつり、と木刀が震えると、蓮二は消えていた。左に気配――見ると、木刀の剣先が左の頬に肉薄していた。


「な、何故ッ……」


 理久が口走ると、蓮二は木刀をふらり、と降ろした。


「だから負ける」

「――負ける?」

「ああ……」


 蓮二は木刀を肩に担ぐと、「あばよ」と背を向けた。


「待って……ください。――おかしい。そんな、ふざけた剣法に……。俺の天清流が……」


 すると、ぴたりと蓮二は足を止めた。首を捻り蓬髪を揺らし、鋭い視線を向けてきた。


 どきりと、理久は木刀を落としそうになった。


 ――すぐに蓮二の瞳は鈍色になった。


「あァ。勝ち負け、云ってるうちに、血ィ流して、くたばってる口だなァ。――けッ。益体やくたいもねェ」


 それを最後に蓮二は肩を揺らし、白ノ宮の方へ歩いていった。


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