きみが望むなら 4
未命は火を見つめながら続ける。
「
「ああ……。巫女たちが、異界にいる神と、結びつくっていう」
「ええ、そうよ。――正しくは、
「そうか……。何となくは、わかるよ」
未命はふう、と息を吐き、肩の力を緩めたようだ。
「ありがと。――本当なら、
未命は顔を上げ、前方の壁を見つめた。その眼差しの先にはまるで、得体の知れぬ狭世の闇が見えているようだった。
「一月前の霊受のときに、ついに、何かに繋がった、って思ったの。でも、そこにあいつがいた。――蒼い目の女。ああ! あいつとまみえてから、渇く。――ひどく、渇くようになって」
と、未命は顔を振り向けてきた。頬を仄かに紅潮させ、目を潤ませて。左手を理久の右膝に突いて、顔を乗り出してきた。歯に唾液の筋が光り、不思議な吐息の匂いがした。
「きっと、男が娘を求めるように。――生き物を見ると、自分が、渇いているんだ、ってわかる。何か白く、心地よいものが命の中にあって、それを飲み干したくなって…………」
未命の左手が熱を持って、腿へと擦り上がってきた。白い胸元がはだけ、胸骨の窪みが見えた。
白花の蕾のような鼻梁が、目の前にきた。
「未命……。きみは…………」
理久は上体を押され、後ろに倒された。匂いたつ甘い香りに包まれ、意識が朦朧となる。未命の黒髪が解けたのか、顔にすだれのように落ちてくる。
唇に温もりを感じる。下唇を吸われる感触。
濃密な綿の匂い、慣れぬ唾液の味。
痛み。血の味。血の匂い。
理久は身をよじり、熱く燃えたつような未命の体の下から這い出ると、同時に、未命を足の裏で蹴り付けた。
「止めろ! 何だ……。何なんだ、お前は……」
うずくまっていた未命は、やがて肩を震わせはじめた。洟水を啜る音。しゃくり上げる、細く悲痛な声がした。
「いやだ……。わたしは。ああ、こんな…………」
理久は両手を後ろについて、後ずさる格好で未命を見ていた。一向に泣き止まず、しゃくり上げ、苦しげな吐息を漏らしていた。
理久はその白い背中を見ながら思案した。
――魔性が騙そうとしているのか。
――だとしたら、今俺が無事なのはなぜだ。
――本当に苦しんでいるのだろうか。
次第に未命の呼吸が落ち着いてきたようだ。そこで理久は決心したように唾を呑むと、
「他の、先輩の巫女には相談したのか?」
すると、未命は体を難儀そうに起こして、ゆっくりと両膝を抱くようにした。
「え……?」
「だから、その、魔性と繋がってしまった、ってことを」
未命は顔を床に向けた。
「ううん。――誰にも。せっかく馴染んできた、この、白ノ宮から、追い出されちゃう。――きっと」
「馴染んできた? きみは……。いったいどれくらい、ここで暮らしてるんだ?」
未命は顔を上に向けると、
「ええ。四年前の冬に、ここに」
「そうかい。――ともかく、しかとその、魔性のことを、話がわかりそうな人に、相談するんだ」
未命は何も云わずにまた、床に視線を落とす。
目元は濡れそぼり、口元に血が滴っていた。理久の脳裏に、昨夜の鼠の死骸が蘇える。
「とにかく、渇いてしまう。――そういうこと?」
やや間をおいて、未命は顔を上げた。
「う、ん。生き物や人の真ん中に、白い影が見えて。――霊気。それはたぶん、霊気なのかな。血には、霊気がたくさん流れている……。だから、血を飲みたくなるんだと思う」
「血を……」
「そう……。ずっと、鼠とかの血を、飲んできた。――ほんの少しでも、血を飲めば何とか、しのげるからさ。人間から吸ってしまったら、取り返しがつかないから……。いえ、もう。やってしまったけれど」
そうして未命は指先を伸ばし、口の端から垂れる血に触れた。
理久は未命の目を見つめた。――もし、その瞳に濁りがあったり、怪しげな光を帯びていたら、引き返して守護たちを連れてこよう、とも思った。
近づいて、覗き込む。――横から照る囲炉裏の火を浴びて、なお赤く透明に輝いていた。未命は何らためらうことなく、理久を見つめ返した。
「少しでいいの?」
「え? ――何?」
「少しあれば、しのげるんだね?」
「え? う、ん……」
理久は体を起こすと、前屈みになり、手を前に出して未命へと近づいた。
未命の間近へたどり着くと、右腕を伸ばして、未命の肩を捉えた。湿った温もりが腕に伝わってきた。
「温かいよ……。魔性が、こんなに、温かいもんか……」
「え?」
理久は肩を捉えた右手を、未命の頭に回した。未命の唇に顔を近づけた。
未命の柔らかな上唇を口に捉えると、熱い吐息が感ぜられた。
下唇に甘い痛み。またぞろ、血の味が広がる。
理久は己の血を味わいながら、温もりの中に舌を這わせた。未命の前歯や唇の中にも、ぬめった血の味が沁みていた。
二呼吸ほどすると、未命は顔を離した。口元に血を滴らせ、頬を赤く上気させ、肩で息し、目を輝かせていた。――刹那、目の底に蒼い光が見えた。
理久は口を手の甲で拭うと、甲に広がった血の跡をみた。体の芯が熱を帯び、心がさらに未命を求めていた。頭を振って、
「渇きは、癒えたのか。少しは」
未命は黙ったまま、茫とした潤んだ目をして、口元を動かした。しかし、言葉にならないようだった。
「きみが、望むなら」
その声に未命は、ぴくりと目元を動かした。
「きみが望むなら、俺は、また……」
すると、未命は眉を寄せて静かに首を振った。
「だめ……。何だか、よくない。きっと、死んでしまうよ。――理久が」
「ああ……。だから、少しにしよう。――そうしながら、早々に、きみの中の魔性を追い出すんだ。そうだろ? きっと、できる。この白ノ宮でそれができなかったら、いったい、どこならできるって云うのさ」
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