第12話

 気持ち悪い。吐きそう。

 目の前が真っ暗になる。頭が痛い。ぐあんぐあんする。苦しい。辛い。


「おえっ」


 わたしは口を押さえて、さきちゃんの部屋を飛び出した。


 ――あかりのこと、好きじゃない


 いやだ、聞きたくない。うそだ。


 ――あかりのこと、嫌い


 いやだ。いやだ。何も言わないで。

 さきちゃんはそんなこと言ってないもん。


 さきちゃんの家を何も持たずに飛び出して、なりふり構わず自宅へと走る。

 きっと周りの人たちから見れば、それはそれは不恰好な走り方で、それでいて切羽詰まった表情をしているのだからさぞ不気味に思うかもしれない。


 けれど今は他人の目なんて、気にできる状況ではなかった。


 家について鍵でドアを開け、靴も脱ぎ捨てて「ただいま」も言わずに自室にこもる。

 ベッドに身を投げ打って、枕に顔を埋めた。

 ここ数日間、特に昨日と今日は、さきちゃんのやわらかい身体を抱き締めてる時間が長かったからかな。


 枕もベッドも、固く感じた。


 それから鍵のかかった内側からしか開けることの出来ないわたしの部屋の戸をノックするママの声が聞こえたりしたけれど、何も覚えてない。


 自室にこもって、わんわん泣いて。


 その後の記憶がない。

 ただ空っぽで、虚しかった。


 わたしは初めて感情を失ったさきちゃんのことを、羨ましいと思った。




 学校、もう一週間も休んじゃった。


 ママもパパも心配してる。この一週間で、何回も部屋の戸の前でわたしに「大丈夫?」とか「話だけでも聞かせて?」とか、優しい言葉を投げかけてくれたのも、ちゃんと聞こえてる。


 わたしだって、ほんとは今すぐ誰かに相談したい。


 けれど、部屋の外から出たくない。

 何もしたくない。

 誰にも会いたくない。それが親でも、今は誰とも会いたくなかった。


 だから両親が家に不在の時を見計らってトイレやご飯を済ませる。


 こんな生活、いつまでわたしは続けるんだろう。

 何とかしなくちゃ。さきちゃんにも、きっと悪いことした。わたしの勘違いで、勝手に彼女が悪者みたいな帰り方をしてしまった。


 スマホの電源、入れてみようかな。


 学校を休んでから、毎日何十件ものメールがさきちゃんから届いた。

 けれど今の精神状態のわたしでは、その内の一件すら読むことが出来なくて、結局スマホの電源を落としてしまったのだ。


 さきちゃん。


 あぁ、会いたいのに、会いたくない。



 ◆ ◆ ◆


 親友が私の家を飛び出して、学校に来なくなってから一週間。

 先生に呼ばれては何度も何か心当たりが無いかを聞かれた。


 心当たりなんてなかった。


 何かを思うこと自体が珍しい私が、親友と同じ感情を共有することも出来ないこの私が、心当たりなんてあるはずがない。


 一番仲良いだろ?ゴールデンウィーク中にほんとに何も無かったのか?と先生に同じ質問を繰り返されて、その都度思い返してはみた。


 けれど、私が言えるのはありのままの事実だけ。


 彼女が急に、家を飛び出して行った。


 その行動の理由を探るには私の感情についての理解がまだまだ足りていなかった。


 放課後に再び先生に呼び出される。


 またか。わからないと言ってるのに同じことしか聞いてこない先生。何も感じないけれど、「あぁ、この人は賢くないんだな」とは思った。


 そうやって考えながら、職員室に足を運んだら。親友のことに変わりはないけど別件で私は呼び出されたみたいだった。


「プリントとか、結構溜まっちゃってるからさ。家近いし仲良い君に届けてもらいたくて」


 そう言われて素直にプリントを受け取ろうとして、伸びた手が止まる。

 ふと思った。


 私と二人きりだった時に、親友は突然何かを思って家を飛び出した。

 私が送った数十件のメッセージも全て未読スルーされた。


 そして彼女は、学校に来なくなった。


 もしかしたら、親友が学校に来れない原因は私にあるんじゃないか。

 一週間経ってようやっとその事実に気づく。


「やっぱり、他の人に頼んでください」


 私は今、親友の前に現れない方が良いんじゃないか。未だ自分の何が悪かったかも理解出来てないのに、会ったところで余計彼女を追い詰めてしまうかもしれない。


 客観的事実を省みて、結局私は先生のお願いを断った。


 この時の私は、もはや自分の中に残された感情は『発情』ただ一つのみだと、そう思い込んでいたのだ。


 だから気づけない。


 自分が触れたい。声を聞きたいと思っている親友が誰かと仲良くなれば、自然と私と一緒にいる時間は減る。

 そんな単純なことに。



 ◆ ◆ ◆


 今日も学校、行けなかったな。

 ベッドの上で膝を抱えながら、何もせずにぼーっと虚空を眺める。


 今はママもパパも、どっちも家にいない時間帯。誰もいない空間だと脳が認識すると、自然と心も少しだけ落ち着く。

 色んなことを幅広く考えることが出来る。


 でも返ってあれこれを考えすぎてしまうと、わたしの気持ちは余計にナイーヴになっていく。


 今日も一日、何もしてない。

 何もしてないことについて、ただただ考えて、悔やんでいた。

 こんな日々を最近は繰り返している。


 明日も、繰り返すのかな。

 明日も、何もやらないのかな。わたしは。


 膝に顔を埋めて涙が出そうになった時、唐突にインターホンが鳴った。


 誰だろう?

 ママもパパもまだ普段なら帰ってくる時間じゃないけれど、もう帰ってきたのかな?

 でも二人は家の鍵を持ってるし、、、


 再びインターホンが鳴る。


 だれ?宅急便でも、なさそう。


 何度も何度も、インターホンが押される。

 まるで、わたしの心を急かすように。外に出ろって、煽るように。


 わたしは勇気を振り絞って、部屋を出て一階にあるインターホンのカメラを覗いた。


「クラスメイトの子……」


 たしか、名前は山岡やまおか鈴菜すずなさん。


「は、はい」


 か細い勇気を、もうちょっとだけ出してみる。

 わたしはインターホンの通話ボタンを押した。


『あっ!あかりちゃん?ですか?』


 クラスメイトゆえに割と何度も言葉を交わしたことのある彼女は、誰に対してもフレンドリーで、初めて会話した時からわたしのことを『あかりちゃん』と呼んできた。


「そ、そうだけど」

『うんうん!とりあえず生きてて良かった!』

「生き?え、ん?え?」

『全然学校に来ないからさ、あかりちゃん五月病で自殺しちゃったんじゃないかって!鈴菜式推理をしてたんだけど、的外れだったみたい!』

「そ、そうなんだ?」


 しばらく話してなかったから忘れていたけど、そういえば山岡さんはこういう人だった。


「えと、なんのよう、ですか?」

『なーんか、堅苦しくない?とりあえず家に入れてよ。先生からたーくさん、プリント預かってきたんだー!』


 あ、そういうことか。


 ………さきちゃんじゃ、ないんだ。


 山岡さんの家がどこら辺にあるか知らないけど、多分さきちゃんの家の方が近いはずなのに。

 プリントを届けに来てくれたのは、さきちゃんじゃないクラスメイト。


 やっぱり、さきちゃんのこと怒らせちゃったかな?怒りの感情は失ってるとは言えど、何かしら思うことがあったから、多分、違う子に役目を交代してもらったんだ。


 また目の前が真っ暗になりかける。


『おーい。はやく開けておくれー』

「あ、うん」


 フラフラとした足取りで、わたしは玄関に向かった。

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