同窓会 SIDE麻生花純⑤

「この豪華客船『豊島』はですね、先日来日したトランプ大統領のおもてなしにも使われた船でございます。船内には十数ものラウンジ、プレイルーム、そして私たちが今利用している四つのパーティ会場、トレーニングジムが四つ、屋外プール、大浴場が二つ、レストランが七つ備わっており、トランプ大統領来日時にはその内の一つ、レストラン『山桃さんとう』が……」

 着物姿の男性がしなやかな口調のまま、解説を続ける。場所は会場D、ジェネレーション・ホームカミング・オンラインの放送が行われているステージの近くだ。

 さっき。

 秀平が、場所を変えてくれと言ってきた。七時に三階のメインデッキで。そう、伝えてきた。

 そして。

 ――話があるんだ。

 そう言っていた。

 ――大事な話があるんだ。

 そう、言っていた。

 何だろう、大事な話って。やっぱり別れ話かな。大学受験が関係しているのかな。秀平、上手くいかなかったのかな。彼女が現役で自分が浪人なんていうのが嫌なんだろうか。いや、まだ浪人かどうかなんて決まってないし、秀平のことだ、きっとどこかには受かっているのだろうけど、でも、もしかしたら、私の合格先が東大なんてところだったから劣等感があって……。

 悪い妄想ばかりが走る。気づけば鼻の奥が湿っている。泣きそうな気持ちなんだとすぐに分かった。唇を噛む。すると、隣にいた倉山さんがそっと背中を擦ってくれる。

「さっき、私があなたに声をかけた時、具合悪そうにしていたのはこういうことだったか」

 何だか優しく聞こえる倉山さんの声。

「男の子のことで悩んでたんだね」

「はい……」

 自分でも情けない声が出る。

「私、フラれるかもしれなくて」

「フラれる? さっきの感じで?」

 倉山さんが軽く笑い飛ばしてくる。

「大丈夫だよ。あの子、真剣な顔だった」

「真剣だからです」

 私の声にはやっぱり不安が滲んでいた。自分でも、この頼りない声にびっくりする。

「別れ話だって真剣な話じゃないですか」

「あはは。大丈夫だよ」

 倉山さんが再び私の背中を擦る。

「あの顔はきっと、別れ話なんかじゃない」

 私よりずっと年上の女性が断言するその言葉は、不思議な力を私の心に与えてくれた。現金なもので、たったそれだけのことで、私の心は元気になる。

「そうなんですか?」

 すると倉山さんはいたずらっぽく笑った。

「おばさん信じてみな」

「おばさんだなんて……」

 私は首を横に振る。

「倉山さんはお若いです」

「三十過ぎたらおばさんだよ……なんて、二十歳過ぎた時も言ってたな」

 あはは、と倉山さんは笑う。

「恋に悩むなんて若い証拠! 満喫しなね」

「満喫」

 今のこの感情……秀平に対して抱いたこの気持ちは、とても満喫する気になんてなれない。

「ううう……」

 やっぱり、自信がなくなってしまう。

 大体あいつ、まだ私の格好について何も言ってきてないし。

 普段はチャラチャラ女の子を褒めてるあいつが。

 私のこの姿に、ノータッチ。

 悲しくなった。やっぱりもう、私に興味、なくなっちゃったのかな。



 そうこうしている内に、時刻は午後六時五十分。

 ちょっと早めに行っておこうかな。そう思って三階の、メインデッキを目指すことにする。

 倉山さんに、別れを告げる。

「すみません、彼と会う時間なので」

 すると倉山さんはニコッと笑ってサムズアップしてくれた。

「頑張っておいで! 大丈夫。麻生さん、美人だよ!」

 その言葉に、勇気づけられる。そっか、倉山さんから見たら美人なんだ、私。

 でもやっぱり不安なものは不安なわけで。

 ああ、もう、情緒が不安定すぎる。なんなのよ、なんであいつここまで私の心を引っかき回すの……なんて、思いはするのだが、心のどこかでは、あいつに頭の中を乗っ取られるのを嬉しく思っている自分もいて。

 やっぱり情緒が不安定! 

 ひとまず会場Dを出る。上の階に行くには、エレベーターでいいか……たった一階しか上がらないけど、少し高めのヒールを履いているから足元が不安定だ。この靴もドレスと一緒に貸し出されたもの。縁の言葉を思い出す。

「膝を擦り合わせるイメージで歩くと歩きやすいよ!」

 上履きを履いた脚で実演してくれる縁。不思議なもので、たったそれだけの仕草で、普段の学校の装いも一気にオトナっぽくなる。

 思えばさっきから、私引け腰で歩いている気がする。秀平の目にも変な風に見えたかな。そう思いながら、縁のアドバイスに従った歩き方をしてみる。

 ――歩きやすい。

 そんな気がした。

 エレベーターの方へと向かう。しかしドアの前に立って初めて、気づいた。

〈修理中〉

 そんな貼り紙があった。A4のコピー用紙にマジックで書いたような雑な貼り紙だった。

 嘘。やっぱり階段? なんて思いながら階段を探した。エレベーターホールのすぐ後ろにそれはあって、私は覚悟を決めてそこに足を踏み入れた。

 段差は……まぁまぁ高いじゃん! 私はドレスの裾を持って、ゆっくりと上る。

 たった一フロアの移動なのに随分時間がかかった。そういうわけで、三階に着いたのはおそらく約束の時間の数分前とかだった。



 髪型とか、変じゃないかな。

 三階に着いてすぐ、やはり気になるのは身だしなみだった。

 せっかくこんな、豪華客船なんて素敵な場所で秀平に会うのだ。少しでもちゃんとした格好でいたい。

 腕時計を見る。約束の時間まで、あと二分……。

 少しなら、行ける。

 そう思ってすぐにトイレを探す。あった。トイレのマークと矢印とが壁に描かれていた。あの先だ。あの曲がり角の先。そう思って急いだ、その時だった。

「花純」

 曲がり角の向こうから、いきなり黒服がやってきたと思ったら、それは秀平だった。

「わりぃ……」

 そして何故か、彼の口から出た言葉は、謝罪だった。

「七時にそこのデッキで待ち合わせっつー話だったが……」

 どうしたんだろう。秀平の奴、なんだかびっくりするぐらい意気消沈している。

「すまねぇ、もう三十分遅らせてくれるか」

「い、いいけど……」

 私は秀平の顔を見る。

「どうしたの?」

「いや、その、なんつーか、ほら……」

 と、ぎくしゃくした秀平。落ち着きなさそうに、体のあちこちを触っている。

「仕事! そう、仕事がね、ちょっとほら、あんだよ」

「仕事……」

 うーん、秀平、なにか隠してる? なんだろう。私に知られたくないことでもあるのだろうか。

「わりぃ。……あ、さっきチラッとメインデッキ見てきたんだけどよ。酔っ払った時宗院生たちが『青春の唄』大声で歌ってて雰囲気わりぃんだ……場所も変えていいか?」

「えっ、いいけど……」

「二階、会場D近くにある、第四エレベーターから少し入ったところにあるデッキで会おう。あそこならきっと……静かだから」

「う、うん。分かった」

 三十分後ね。

 私がそう念を押すと、秀平は「おう、頼んだ」とつぶやいた。それからなんだか苦い顔になって、真っ直ぐに歩き出す。

「……秀平」

 そう、胸の奥から声が出た。でもその声は自分でもびっくりするくらい小さくて弱くて、秀平の耳に届く前に波風の音で掻き消された。

 ――秀平、やっぱり私のこと……。

 ドレスの裾を握りしめながら、そう思う。私のこと、この服装、この格好、何も言わない。触れもしない。もう私のこと、興味ないんだ。

 と、その時だった。

「花純!」

 廊下の向こう、曲がり角の先から、ひょっこり顔だけ覗かせて。

「今日、すっげー美人だな!」

 ニコッと、笑っている。

「後でアホほど褒めるから覚悟しとけよ!」

 滲んでいた視界が一気にクリアになる。その世界の真ん中、あいつが笑顔で私を見ている。

「俺が会いに行くまでその美人さんのままでな!」

 じゃな、と秀平がいなくなる。私は消えていった彼の影に手を振って、それから、嬉しくなる。

 美人さん、だって……。

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