同窓会 SIDE先崎秀平⑤

「先崎くん」

 パーティ会場Aでそう、俺に声をかけてきたのは上司の久保田くぼたさんだった。何を隠そう、俺たち学生アルバイトを束ねる、豪華客船「豊島」のスタッフ……いや、スタッフ長だ。三十くらいの男性で、ぐりぐりと大きな目玉をしている。

「君さ、飲料品の貯蔵庫入らなかった?」

 飲料品の貯蔵庫? 

「いえ、入ってません」

 俺は丁寧に応じる。

「そもそも俺、食事関係タッチしてません」

 すると久保田さんは困ったように顔を上げた。

「そうだよなぁ。時宗院の学生スタッフにはずっとこの会場にいてもらってたもんなぁ」

「どうかしたんスか」

 と、俺が訊くと久保田さんは答えた。

「いや、ソフトドリンクが入っていたケースが五つなくなっているんだよ。中身の飲み物はそのまま床に置かれていたんだけど、箱がね……」

「箱ないと困るんスか」

 と、俺の純粋な質問に久保田さんは答えた。

「空き瓶をそれに入れて返すからね……」

 俺は続けて質問をする。

「そもそも飲料品の貯蔵庫ってどこにあるんスか?」

 すると久保田さんは俺の背後の出入り口……会場Cに繋がるところを示した。

「会場Cの中にはバーカウンターがあるのは知っているよね。あそこの裏にある。機械室の隣だね。人員の配置的に、貯蔵庫の一番近くにいるはずなのが君たち時宗院の学生スタッフなんだ」

 そうか。俺たち時宗院生スタッフは今のところ、会場Aを起点に各方面に動き回っているはずだからな。会場Cの近くにいる奴だっているはずだ。

「他のスタッフは料理を運ぶ関係で厨房との行き来しかしてない。時間的な余裕もあってなおかつ距離的に近いのは時宗院スタッフになるんだが……」

「他になくなってるものないんスか」

 と、俺が訊くと久保田さんは困った顔のまま返してきた。

「ない。よーく冷えたソフトドリンクが床に置かれているだけで、何も……」

 あれを冷蔵庫にしまう作業もしないとな。

 そう、久保田さんはつぶやく。

「ちょっと悪いけど君、来てくれるか。箱の捜索とソフトドリンクの冷蔵庫入れを手伝ってほしい……」

「分かりました」

 と、俺は頭の中でさっきスマホを確認した時のことを思い出す。

 午後五時半くらいだったかな。あと三十分で花純との時間だが……。

「五分くらい時間もらえます? すぐ行きますんで!」

 俺のお願いに久保田さんは怪訝そうな顔をした。

「構わないが、早く来てくれよ。会場Cのバーカウンター裏にあるドアから出て、廊下を左に進んだ先にバックルームがある。飲料品貯蔵庫……厳密には冷蔵庫小はその中だ」

 俺は頭の中で地図を思い描く。OK。理解した。

「すぐ行きます」

 そう残してから、俺はその場を去る。久保田さんはどうも、真っ直ぐ現場に向かったらしい。



 花純はやっぱり、会場Dにいた。あいつのことだ。きっと待ち合わせ場所に早めに着いている。そう思って赴くとやっぱり、いた。会場Dのステージの前。どうも壇上では中継? をやっているらしく、撮影機器の目線の先には和服姿の男性がいた。一目で、分かる。あの人は確か、春峯はるみね……春峯はるみね吉春よしはるさん。

 俺が彼を一目で見分けられたのは、簡単な理屈だ。

 開場前、俺は船の入り口で来客の応対をした。招待状と出席連絡とを突き合わせる作業だ。出席を確認し、来場者に記帳させる。そこで彼を見た。男性なのに和服で来ていたから妙に記憶に残っていたのだ。それに、名前。三月に春の字が二つもついた名前の奴が来るなんて何だか縁起がいいじゃねぇか。

 さて、そんな縁起のいい男は今、カメラの前でマイクを持って何やらしゃべっている。脇にはあの妖怪爺さん……西東肇さん。御年百八歳。彼はふがふがと何かを喋ったが俺にはよく聞き取れなかった。が、そんなことはどうでもよく、俺はステージ前にいる美人に……銀色のドレスを着た俺の愛しい女性に声をかけた。

「花純」

 即座に、あいつが振り返る。

 俺は詫びを入れた。実際もう、六時にここで大事な話は、できそうもない。

「話がしたいんだが、六時にはできそうもねぇ。時間と場所変えられるか? 七時に三階のメインデッキで会おう」

 三階のメインデッキ、は単なる思い付きだった。喫煙所とプレイルームがある階だから俺たちには用のない場所……と思っていたが、デッキだ。海が見える。あそこならきっと……! 

「七時にメインデッキね」

 花純の奴、びっくりするくらい聞き分けがいい。さっきはあんな顔していたくせに。

 その神妙さが、妙に怖い。あいつの方では、もうとっくに、俺に対して感情が決まっていたりして。

 胸が、痛む。

 俺が、不甲斐ないばっかりに。

 そして、連想ゲームは最悪の方向に進む。

 花純はかわいい。

 あまり見た目に気を遣わない方だが、それでもかわいい。ちゃんとすればもっとかわいい。そして、大学は女が美に目覚める場所でもある。花純がもし、美しくなったら。それを他の男が見初めたら。

 そいつはきっと、東大に受かるような奴だ。エリートだ。花純は俺なんか、どうでもよくなるかもしれない。

 でもまぁ、それならそれで。

 俺は懐に意識をやる。花純の傍を離れ、それから、懐の中身を取り出してじっくり見つめると、今度はそれを、右脚のポケットに入れた。

 くそ、うまくいくかな……。

 そう、悩む。



 会場Cの裏にあるバックルームには迷うことなく行けた。細くて小さなドアが一つ。その向こうには、シンクが一つ、椅子が一つのシンプルな空間。だいたい四畳半くらいだろうか。入って右側に扉。「小冷蔵庫」とある。

 ドアを叩く。すると中から久保田さんの応答があった。ドアが開かれる。冷気と一緒に、もこもこのコートを着た久保田さんが姿を現した。

「お、来てくれたか」

 快活な態度。何か事態に進展があったのだろうか。

「ちょうどさっき、ホールスタッフに無線を飛ばしたところだ。そのうちみんな集まるだろう」

 なんて、話していた時だった。

「お疲れ様でーす」

「お疲れですー」

 俺と同じ時宗院のホールスタッフがちらほらやってきた。まず宮重の奴。続いて長嶋ながしまかおるちゃん、滝中たきなか貞治ていじ伊藤いとう恋百合こゆりちゃん……それから俺を含めた総勢五人が時宗院からバイトに来た生徒たちだ。

「さっきも無線で少し話したが、ドリンクのケースが五つなくなっている」

 久保田さんがてきぱきと指示を出す。

「四人、捜索に当たってくれ。残った一名はここでドリンクケースから出されたままになっているものをこの小冷蔵庫の中の冷蔵庫にしまう」

 小冷蔵庫の中の冷蔵庫。ややこしいな。

「じゃあ、俺捜索に当たります」

「俺も」

 宮重と滝中が挙手する。すると長嶋ちゃんと伊藤ちゃんも続いた。

「あたしも」

「私も」

「じゃあ、先崎くんがここに残って僕と冷蔵庫にしまう作業をしようか。中は少し寒いから、そこにある防寒着を着て」

 と、部屋入り口のすぐ傍にかかっている、もこもこのベンチコートを示してくる。俺はすぐにそれを手に取ると、袖を通した。あったか。ぬくぬくじゃん。

「それじゃ各位よろしく。先崎くん、僕に続いて中へ」

 さて、そういうわけで。

 各人作業開始。



 小冷蔵庫に入ってみると、見事にソフトドリンクだけが……すなわちオレンジジュースとウーロン茶だけが、床に直置きされていた。俺は「あちゃー」なんて声を上げながら、久保田さんの指示を聞いた。

「二番冷蔵庫に空きがある。そこにしまっていってくれ」

「はい!」

 俺は室内に並んだ冷蔵庫の側面に目をやる。あったあった。二番ね。

 それから俺は、床にあった瓶をいくつかずつまとめて拾い上げながら冷蔵庫へ運ぶ作業をし始めた。途中、久保田さんに訊く。

「誰がこんなことしたんでしょうね」

「さぁ……」

「ここって誰でも入れるもんなんスか」

「特にセキュリティは設けてないからね」

「意外とザルなんスね」

「はは。まぁ、盗まれたら困るものがあるところにはちゃんと鍵をかけているよ。言っちゃあれだが、ここは比較的重要度が低いものをしまってある」

 そもそも、ソフトドリンク自体うちの船でも用意あるしね。

 久保田さんのその言葉に俺は反応する。

「そうなんスか? じゃあ何で今回特別に外部から運び入れるようなことしたんスか」

「君何でそれを知ってる? 確かに、今回のパーティには時宗院の人が手配した飲み物が用意されているよ」

「パーティ参加者から聞いたんスよ」

「ああ、じゃあ里井さんか」

 俺の瞼に浮かぶ、あの削った木の枝みたいな背中。

「あの人が営業かけてきたんだよ。せっかく時宗院で同窓会があるなら、って。豊島うちのお偉いさんにも時宗院卒の人がいてさ。快く受け入れたってわけ」

「なるほど」

「発注から搬入まで全部やってくれたから大いに助かったけど、そもそも貴重なワインやウィスキーなんかは全体のごく一部で、他はうちにもある商品だったからイマイチ契約する意味を感じなかったんだよな……まぁ、いいんだけど」

 なんて話をしている内に作業が終わる。あれだけたくさんあった飲み物が、綺麗に二番冷蔵庫にしまわれる。

 一息ついたタイミング。俺の中でふと、花純の顔が浮かんだ。花純の顔が浮かぶとあれが見たくなった。俺が二万五千円も払って買った、あれ。

 ポケットから取り出す。小さな箱に入ったそれを見て、俺は気を引き締めた。ちゃんと言うぞ……ちゃんと伝えるぞ。脳裏に、斎宮寺ちゃんの言葉が蘇る。

 ――ちゃんと言うんだろうね。

 言うさ。言わなきゃ。言わないなんてかっこわりぃ。

 俺は覚悟を決める。そして手の中にあったそれを、そっとポケットにしまった。そして小冷蔵庫から、久保田さんの後に続く形で外に出た。

「まぁ、一応ここにも鍵をかけるか。飲み物ケースとは言え、物がなくなったからな。用心に越したことはない」

 と、久保田さんはポケットから取り出した鍵で貯蔵室を施錠する。俺は訊ねる。

「それマスターキーか何かなんスか」

「うん。まぁ、マスターキーってほど権限強くないけどね。この二階にあるドアなら大抵開けられる」

「ほえー」

 さて、それから俺たちはコートを脱いでそれらをハンガーにかけると、他の時宗院スタッフの報告を待つためにしばしの間待機することになった。久保田さんと二人待ちぼうけるのは何だか気まずかったので、俺はバックルーム内にある、目に付いたものを片っ端から話題にしていった。

「コートって三着しかないんスね」

「ここの冷蔵庫はあんまり大きくないからね」

「里井さんに特別に用意させたってことは、この会には普段とは違う何か特別な飲み物が用意されてるんスか」

「ああ。さっきも言ったけど、年代物のワインとか、ウィスキーとか。お医者さんたちが飲みたがったそうだよ」

「そこのシンクって何に使うんスか」

「簡単な洗い物。あとは、掃除用具の洗浄とかかな。だからほら、足元に色々洗剤がある。ガラスクリーナーとか、漂白剤とかね」

「椅子が一脚あるっつーことはここで簡単な休憩も?」

「うん。スタッフが使うことが多いけど、稀に急病のお客さんを座らせたりすることもあるね。ほら、シンクがあるから、船酔いで吐きたくなった人をすぐ吐かせるために使うことができる。あとバーカウンターが近いからね。お酒で吐きたくなっちゃう人なんかもいる」

「『EMERGENCY』。あそこに入ってるのって……」

「斧だね」

「何で斧?」

「船だからね。簡単な衝撃でドア枠が歪んだりもするんだ。後は内外気圧差とかでも開かなくなる。そうした時に、ドアを破るために使うんだ」

「ほえー」

 なんて、ぼやぼや話している内に時宗院スタッフがわらわら集まってきた。時刻は午後六時四十五分。意外に時間食ったな。

「報告します」

 宮重がてきぱきと状況を話し始めた。

「俺と伊藤でパーティ会場全フロア確認しましたがケースは見つかりませんでした。で、長嶋と滝中でそれぞれ一階、三階と探しましたが同様に見つからず……」

「収穫なし、か」

 久保田さんが困ったような顔をする。

 が、すぐに考えをまとめたのか、素早く指示を出してきた。

「OK。他のスタッフを使って探させよう。君たちは引き続き、パーティ会場に行って卒業生たちのお相手をしてあげて」

「分かりました」

 声を揃えてお返事。いいだろ。元気よくて。


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