【全4話】人生で初めてタンブラーを買った話

二八 鯉市(にはち りいち)

第一話「天から差し込んだ光、それはタンブラー」

 去年の12月。長編小説を書いた。

 普段は短編を綴る事を得意とする自分が、自分で納得のできる10万字の小説を書けたというのは、人生で初めてであった。


 ところで長編小説を一つ書き上げると、成功体験というか、一つの経験のようなものが蓄積され、

「長編小説を書き上げるとはこういう事」

という、目安のようなものが分かった。


 その中で一つ、とても現実的に分かったことがある。

 それは、「作業中にコーヒーが冷える」ということである。


 私はこれまで、何かを執筆する際には何かしら必ずコーヒーなどを淹れて飲みながら書いていた。

 その時共に戦っていたのは、陶器製のマグカップだった。


 だが、長編小説を書きながら気づいたのだ。

「コーヒー、冷えてる」

コーヒーは――マグカップの中で冷えるのだ。命とはなんと儚いのだろう。


 さて、あくまで私の個人的な感覚を前提にした話だが。

 10万字を執筆するにあたっては、途中休憩を挟みながらも、長丁場の作業時間を組んだ方がやりやすかった。具体的には、一度「書く」というスイッチを入れたら1時間か2時間、調子が良ければ3時間はモニターの前に居る方がいい。


 1月に公開した作品に引き続き、2月も長編小説に取り組むつもりだった。

 だが、1時間経たずにコーヒーが冷えてしまう陶器製のマグカップでは、これからの長丁場を闘う事は難しい。


 その時私の脳裏に閃いたものがあった。神が天の雲をかき分け、私に光を投じながら言ったのだ。

「なんかタンブラー、欲しくない?」


 私はまだ、人生においてタンブラーを買った事が無い。

 週末、街へ出かけた。



<続>

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