第25話 屋上
校内に漂う雰囲気は、日を増すごとに賑やかさを増していた。
学校の至る箇所に装飾が施されていて、文化祭がいよいよ近づきつつあることを肌で感じる。
今朝、学校に来るときに『文化祭まであと3日!』という看板が校門に置かれていた。
そう、残すは3日。
どのクラスも今まさに大詰めを迎えていて、焦りや緊張、それらひっくるめての高揚感を生徒たちから感じた。
今日から授業は完全になくなり、午前午後ともに文化祭準備の期間に入る。
クラスメイトたちが連携を取りながら忙しなく働いていたが、僕は元々クラス行事に熱心な人間ではない。熱量ある人達から言われたことを言われたままに行動していた。
教室の壁に黒いカーテンを取り付けているとき、ポケットに入れていたスマホが震えた。
何の気なしに、画面を見た。
表示されていたのは一件の通知。
ずっと音信不通だったA.S.からのメッセージ。
《たった今、いつものお気に入りの場所にいます》
ドクン、と心臓が大きく高鳴った。
それが僕に何を伝えたいのかは分からなかった。
ただ間違いないのは、今、この学校の屋上に、A.S.がいるということ。
じっとしていられる訳がなかった。
任された作業を投げ捨てて、すぐさま屋上へと駆け上がった。
鼓動がヒートアップしていき、頭の中は真っ白だった。
会ったところで、何を伝えればいいのかは分からない。
それでも一直線に、屋上だけを目指して走る。
階段を二段飛ばししながら、ようやく屋上の扉の前へと辿り着いた。
切らした息を整える間も置かず、その扉のドアノブを握る。
普段閉められているはずの鍵が、開いていた。
慎重に、ガチャ、と小さな音を立てて開ける。
この扉の先にA.S.がいる。
そう思って、ドアを開けた。
茶色の髪が風に靡いていた。
屋上の柵に手をかけて、下を見下ろす少女がいた。
その後ろ姿を、僕は知っている。
見間違えることはない。
そこにいたのは紛れもなく、水野だった。
水野が、こちらに気付いて振り向こうとする。
瞬間、脳が危険信号を発信した。
知ってはいけない秘密を知ってしまったときの、衝撃と焦燥。
水野に顔を見られてはいけない、本能でそう悟った。
臆病な僕は、その場から逃げ出した。
屋上から逃げていて、我に返ったのは多分一分後ぐらいだ。
今、自分が逃げてどうする?
もし今この瞬間に、水野が飛び降りていたらどうする?
そしたら僕はここで逃げたことを一生後悔する。
まずは戻らないと、ダメだ。
意思を固めて、踵を返す。
再び屋上を目指して、僕は歩みを進めた。
二本の足は嫌でも震えるし、重々しい。
呼吸も、風邪を引いたときのように酸素が吸い込みづらい。
手すりを掴みながら、屋上へ繋がる階段を登る。
「……三島先輩?」
下を向いていて気が付かなかった。
見上げると、水野が心配するように僕を見ていた。
「顔色めっちゃ悪いですよ! 大丈夫ですか?」
「……大丈夫だよ」
生きていて良かった、と第一に思った。
第二に、掛けるべき言葉を考えた。
僕の心配なんかするなよ。
水野が屋上から戻ってきてくれて安心したよ。
そもそも何で屋上なんかにいたんだよ。
言いたいことがありすぎるのに、小心者の僕にはどれも口に出せなかった。
きっと水野は、僕がさっきまで屋上にいたことに気付いていない。
水野にとって知られたくはないだろうことを知ってしまったんだ、と水野にバラす勇気が僕にはなかった。
「あのさ、水野」
遠回しに、生きろよ、と伝えたかった。
「文化祭、水野のバンド楽しみにしてるから。絶対に観に行くから」
「わっ、ありがとうございます! 先輩がそんな楽しみにしてたなんて、結構意外ですね」
「本心だよ。だから、当日まで気をつけろよ。体調とか事故とか、色々さ。とにかく、絶対ステージに立てよ」
「な、なんですか。先輩が過保護なの、なんかちょっと気持ち悪いですね」
気持ち悪くていいよ。
水野が少しでもプラスの方向に思考を切り替えてくれるなら、もう何だっていい。
僕のポリシーに反する『取り繕うこと』だって全く
僕は頭を抱える振りをした。
「水野、やっぱり僕、大丈夫じゃないかもしれない。ちょっと保健室まで連れて行ってくれないか?」
「え、マジですか? 体調に気を付けないといけないのは先輩の方じゃないですか」
どうしてそんな真似をしたかというと、水野を屋上から遠ざけて、ただ安心したかったからだ。
そして水野は一階にある保健室まで僕の隣りを歩いてくれた。
「文化祭、みんな本気ですし、無理しちゃってる人も多いみたいですね。先輩のところ、お化け屋敷でしたよね」
「そう、お化け屋敷。お化けになりきるために日々努力してるんだよ」
「まさか、なりきろうとして体調崩してるんじゃないですよね?」
「違う。お化けになりきろうとして、死ぬつもりなんかないから。安心していいよ」
「べ、別に死ぬとは思ってませんよ」
それ、僕の台詞なんだけどな。
正直なところ、水野が死ぬようには思えない。
だけど決めつけてはいけない。
百合恵さんだって、死んでしまうようには見えなかったのだから。
とにかく文化祭までの猶予は作れた、かもしれない。
それまでに考えようと思う。
自死を図る人に掛けるべき、正しい言葉を。
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