第23話 夏祭り


 

 

 駅から歩いて20分。

 あの廃れた公園とは大違いな、だだっ広い公園に僕たちは辿り着いた。


 ポップなミュージックが鳴り響き、香ばしかったり甘かったりする複合的な匂いが充満している。


 もう既に夏祭りは幕を開けていたようだ。


 辺りを見回して、公園の入り口で水野を見つけた。


 浴衣ではなく動きやすそうな私服を着ていた。



「駿矢先輩、こっちです。あっ、ちゃんと三島先輩も来てくれたんですね。お久しぶりです」


「久しぶりだけどさ、これ僕いる?」


「いりますいります! 焼きそばに入ってる紅しょうが並にいります」


「俺はあんま好きじゃねんだよな、紅しょうが」


「彼氏側からはNGじゃん」



 僕さえいなければ、普通にカップルの縁日デートなんだろうけど、一人加わっただけで中々変な組み合わせになってしまった。


 単独で別行動しても良かったが、水野に引き留められて3人で屋台を回ることになった。


 適当にたこ焼きを食べて、水野が絶対にわたあめを食べたいと駄々をこね、射的では駿矢が意味不明なレベルで上手くて次々に景品をかっさらい、それぞれ両手に大量の景品を持ちながら3人で花火を眺めた。



「三島先輩が荷物持ちのできる紅しょうがで良かったですね」


「最近の紅しょうがってすげぇな、春人のお陰で少しは好きになれそうかも」


「前代未聞の克服法だな」


「じゃあ先輩、今度は私のためにパセリになってください!」


「これまた前代未聞の台詞だな」



 …………なんだこれ。


 悔しいけど、あれだ。


 なんか、楽しいな。


 数時間前、昼頃に憂鬱な気分で目を覚ましたはずなのに、今となっては気持ちが高揚していることを否定できない。


 たった夏祭りひとつで機嫌を変えてしまうなんて、なんだか子どもみたいで嫌だった。


 でも多分、祭りでテンションが上がったというより、一人で閉じこもっていた状態をこの二人にぶち壊されて、今を楽しめているんだと思う。


 思い返してみると、一人でいたときはどうしても自分自身の言動にしか思考を向けれなくて、悩みが延々とループしていた。


 例え悩みが根本的に解決せずとも、こうして誰かと時間を共有して他のことに目を向けてみる機会は案外大切なのかもしれない。


 そんなことを考えながら人混みを進んでいると、見慣れた女子たちのグループとすれ違った。


 浴衣姿のクラスメイトたち。


 その中にいた梓桜と、ほんの一瞬、目が合った。


 すれ違っただけで特に何か言葉を交わすようなことはなく、足を止めずにそれぞれの進行方向へと進んだ。


 そうして祭りは終盤へと差し掛かり、楽しみ尽くした僕たちは一足早く解散する流れになった。


 そんなとき、スマホに通知が来た。



《まだお祭り、いる?》



 梓桜からだった。


 すぐに返信をしてから、隣にいた駿矢に先に帰って欲しいと伝えた。



「なんだよ。あんだけ来るの渋ってたのに、思いのほか楽しんでたのかよ」


「帰るのが惜しくなっちゃったってことですね! いやぁ、三島先輩も可愛いとこありますね」


「二人してうるさいんだよ。別に、ちょっと用事ができただけだから」



 水野と駿矢とはそこで別れることにした。








 ひとけが減った公園の隅で、僕と梓桜は待ち合わせした。



「カップルに混ざって一緒にデートするなんて、思ったより度胸あるね」


「言っておくけど僕の意思じゃないからな」


「うん、そうだと思った」


「じゃあ何が言いたいんだよ」


「……会うの、終業式以来だね。会えて嬉しい」



 鮮やかな花柄の浴衣を纏う梓桜は、いつもより艷やかに見えた。


 石造りの固いベンチに、二人で並んで座る。


 祭りの空気はまだかすかに残っていたが、その熱気も今ではだいぶ落ち着いて、頬を撫でるそよ風が割と涼しく感じられた。


 聞こえてくる人の声が少しずつ減っていく中で、梓桜がぽつりと呟くように、僕に聞いた。



「春人くんはどうして、あんな質問をしたの?」


 あんな質問、とは当然終業式のときのことだろう。


『梓桜は自殺しようと、思ったりしてる?』


 改めて思うけど、ひっどいな。

 申し訳ないし、恥ずかしい。



「話してもいいけど、気分の悪くなる内容だし、縁日にする話でもないよ」



 後ろめたくなって、僕は少し、梓桜から距離を取ろうとした。



「いいから、教えて」



 離れた僕を追随するように十センチ、梓桜が詰め寄る。


 頭部につけられた花の髪飾りがきらりと光った。



「お願い。知りたいの」



 いつだって梓桜は、目を見て話す。


 その瞳から、僕は逃れられないと思った。


 嫌われる覚悟で話をし始めた。


 四月に北高で亡くなった生徒は僕の憧れていた従姉で、とある筋から自殺だったと知ったこと。


 どうして自殺したのか、その心情を理解したくて頭のおかしなアカウントを作ったこと。


 それを通して出会った人が実はこの町に住んでいる誰かで、死にたがっていること。


 同じ土地に住むという接点があるとはいえ、心の内や背景も分からないから、なんて止めるべきか分からないこと。


 また梓桜に対して、死んだ百合恵さんと似た雰囲気を感じていたこと。


 もしかしたらA.S.の正体が梓桜で、百合恵さんと同じように死んでしまうんじゃないかと自分勝手に心配したこと。


 動揺させたくなくて『A.S.が西高関係者の可能性が高い』という情報は伏せておいたが、その他すべての事柄を梓桜は目を逸らさずに話を聞いてくれる。


 僕も、できるだけ言い訳みたくならないように話すことを心がけた。


 聞き終えて、梓桜はゆっくりと口を開く。



「春人くんは、人の心を抱えすぎだよ」



 すぐさま無意識に「違う」と僕は否定した。


 自分がいた種で、その責任があると自覚していたから、つい言い返してしまった。


 せっかく気遣って言ってくれたのに悪いな、と思い直していると梓桜は何かを思い出そうとする顔をしていた。



「あれ、なんだっけ。魔法使いの名前」


「なにが?」


「『人と人は理解しあえないから、真に救うことはできない』みたいなの」 


「あー、たしか、レシパーだったかな」


「そうそう、それだ」



 レシパー。


 国語の教科書にある物語『心の魔法』に出てくるキャラクター。


 人の心が読める、という魔法が使えた彼は、その噂を嗅ぎつけたある国の王から依頼をされる。


 国民の心の声を聞いて、国を救ってほしい。


 どうにもその国は世界で最も自殺率が高い国だった。


 しかし何度頼まれても、彼が首を縦に振ることはない。


 断るときに、決まってこう言うのだ。


 人と人は真に理解しあえない。わかりあえない。故に人を真に救うことなんてできない、と。


 彼には昔、愛する恋人が自殺するという重い過去があった。


 恋人の心を最大限に読み取り、相手が求めていることを何でも叶えていたはずなのに、命を絶たれてしまった。


 ストーリーの後半で恋人が遺した手紙を見つけ、心を読まれることへのストレスから第二の人格が生まれ、そのもう一人の自分が苦しみから逃れるために死を選んだ、という事実を知る。


 授業で触れるには割と陰鬱な話のため、印象に残っている生徒も多いだろう。



「あんな感じにさ、少しは割り切らないといけない部分もあるのかもしれないね」


「踏み込みすぎはよくないってことか? 救えないって諦めて、人が死ぬのを、黙って見届けろって」


「ううん、割り切るっていうのは救うことの方じゃないよ。そうじゃなくてね、春人くんは、人の気持ちを理解しようとすることに、こだわりすぎてるんじゃないかなってことだよ」


「…………」


「もちろん気持ちを理解できたら良いけどさ、理解できなきゃ止める権利はないの? ただシンプルに、死んでほしくない、じゃダメなの?」


「気持ちを知りもしないんだから、それだと……」


「それだと?」


「……なんか、こう、なんというか」



 自分の意見を正当化する言葉が見つからない。


 言い返せない僕を、梓桜が詰める。



「私さ、春人くんと去年まで全然関わりなくて、喋ったこともなくて。2年生になってから話すようになって、仲良くなれて……、でも、気持ちを正確に分かったりしないよ。それでも生きててほしいし、幸せでいてほしいって心から思う。それじゃあ、ダメなのかな?」


「…………それは」



 また、言葉に詰まった。


 ダメだ、なんて言えるはずがない。


 だって、現に僕は今、梓桜にそう言われて、ただただ救われたような気持ちになっていたから。



「気持ちを理解することだけが人を救う手段じゃない。私は、そう思うな」



 そう言って、優しい笑顔を僕に向ける。


 もう、梓桜から目を離すことができない。


 眩しいな、と僕は思った。


 どうして梓桜の声は、こんなにも心の内側に届くのだろう。


 僕も、こんな風になりたいと思った。


 きっと梓桜は難しいことなんて考えずに、素直に思ったことを、ただそのまま伝えているだけなのかもしれない。


 だけど、僕にはそれが、想像以上に難しかったりする。



「梓桜、あのさ」


「うん」


「……浴衣」


「浴衣?」


「…………すごく似合ってる」



 思っていることを伝えるのは、やっぱり簡単じゃなかった。



「ありがと。タイミング、絶対今じゃないと思うけどね」



 梓桜の笑顔が、やけに輝いて見える。


 僕はいつも、自分の感情すらちゃんと理解できなくて、その言語化が下手な人間だ。


 だからこの感情も、実際に正しいのかは分からない。


 でも、きっと、おそらく。


 僕は梓桜のことが好きなんだと思う。

 

 

 

 

 










 

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