第9話 恩人の死
居酒屋・花天に向かっていた。
街は茜色に染まり、学生やサラリーマンが帰路に着いている。
あー眠い。さっきまで寝ていたのに。あれだな。
夜中に台本を読むのはよくないな。色々考えすぎて目が冴えてしまう。
そのせいで寝たのが8時だ。あと2年もすれば30歳。
20代前半で出来ていた事も出来なくなっている。人間の衰えとは恐ろしい。
先輩達が言っている30代になったら一日がさらに早くなって、疲れが全く取れなくなるのは噓ではないと感じる。
居酒屋・花天の前に着いた。
ズボンのポケットからスマホを取り出して、時間を確認する。画面には16時45分と表示されている。ちょっと早く来過ぎたか。いや、別にそうでもないか。
先に入って個室を押さえとくか。
俺は居酒屋・花天の入り口のドアを開けて、店内に入る。
「いらっしゃいませ。何名様ですか」
若い女性店員が笑顔で挨拶をしてきた。
あ、タマと一緒に来た時と同じ人だ。
「二人で。個室空いてます?」
「空いてますよ。今日も例のあの方ですか?」
若い女性店員がにやりと笑って訊ねて来た。
この若い女性店員さんは気を遣える人だな。タマの名前を出さないのは。ここで名前を出す人も結構居るからな。
「今日は違うんですよ。先輩で」
「そうなんですか。残念です。あの方とお話するの楽しんですよ。気さくで」
「気さく? まぁ、気さくか」
言いたい事言ってるだけだと思うんだけどな。でも、あれか。
一線で活躍しているから人と接するのは上手いと思う。そうしないとやっていけないはずだ。
共演者よりもスタッフの方々に愛されないと多くの仕事はできない。
ドラマや映画は俳優だけで作っているわけじゃない。様々な部署が力を合わせて作っている。
俳優は作品に関わる人達の代表として表に出る仕事。偉そうに振舞う俳優はすぐにお払い箱に捨てられる。
「はい。気さくですよ」
「そ、そうだね」
「ここだけの話、彼女なんですか?」
若い女性店員は悪い顔をしている。
「違う違う。ただの専門学校の同期」
「えー絶対噓ですよ」
「絶対に本当です」
これだけは断言できる。ただの同期だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「えー俄かに信じがたい」
「信じてください」
困ったな。どう切り抜けようか。考えなくては。
「おい、お客さんを足止めするな」
厨房から店長さんが言った。
ナイス店長さん。この上なく素晴らしいタイミングです。感謝感謝でしかない。
「あ、はい。すいません」と、若い女性店員はやらかしてしまったみたいな焦った顔をして、店長に頭を下げた。
そして、それから「すみません。ご迷惑をかけて。えーっと、いつもの個室でいいですか?」と訊ねてきた。
「大丈夫ですよ」
俺は笑顔で答えた。
「それでは案内します」
若い女性店員は店の奥の個室に向かって行く。俺はそのあとについていく。
「それじゃ、ご注文があればテーブルの端の呼び出しボタンでお呼びください」と、若い女性店員は個室前で止まって言った。
俺は軽く会釈をしてから、靴を脱いで、手前側の席に座った。
――16時55分になった。すると、テーブルの上の置いているスマホが揺れた。画面には名和さんからの「もう店の中に居る?」、メッセージが表示されている。
俺はスマホを操作して、「中に居ます。女性店員に顔の恐い人が居る個室に案内してって言ったら案内してくれます」とメッセージを送る。
数秒もしないうちに「自虐がすぎる。りょうかいWW」と、メッセージが返って来た。
入り口のドアが開く音がかすかに聞こえてくる。そして、足音が二つこちらに向かって来る。きっと、若い女性店員と名和さんだ。
二つの足音が個室の前で止まった。
「こちらになります」
若い女性店員の声が外から聞こえる。
「ありがとうございます」
この低めの声は名和さんの声だ。
足音が一つ去っていく。それと、同時ぐらいのタイミングで扉が開いた。
「どうも、強面俳優」
名和さんは笑顔で言ってきた。黒のレザーのトートバックを持っている。
こんな事言ったら失礼だが名和さんは俺と同じぐらい、いや、俺以上に顔が恐い。
さらにプロレスラーみたいに体格がいい。
顔出しをしているユーチューブチャンネル「極道筋トレ道場」のチャンネル登録者数は30万人を超えている。
他にも顔出ししていない趣味のチャンネルも登録者数は10万を越えているものばかり。悪役俳優兼ユーチューバーってやつだ。
「それは名和さんもでしょ」
俺は立ち上がってから、笑って言った。
「否定したいけど事実なんだよな。あーそれが悲しい」
名和さんは泣いているふりをした。
「あ、奥どうぞ」
奥に席に行ってもらう為に手で誘導する。
「お前は本当にそう言うところしっかりしてるよな。感心しかないわ」
名和さんは奥の席に向かう。
「いえいえ、当たり前の事じゃないですか」
「その当たり前が出来ない子達が増えたんだよ。それで俺が怒られるんだから」
名和さんは奥の席に座り、嫌そうな顔をしながら黒色のレザーのトートバックを横に置いた。
黒色のレザーのトートバックには何が入っているのだろうか。気になる。
「誰に怒られるんですか?」
俺は座って訊ねた。
「あれだよ。現場で会う違う事務所の先輩方とかスタッフの人達に」
「それは辛いですね」
「辛いんだよ。本当に辛い。聞いて反省する子もいるけどさ。専門学校とか大学の演劇部とかから入って来る子達は俺は私は出来るって尖ってる子が多くて言う事聞かないの」
「あるあるですね」
専門学校や大学演劇などのアマチュアで活動していて芸能事務所に入る子は舞台経験や映像製作とかで芝居経験があるせいか自分には能力があると勘違いしている子が多い。
さらにその勘違いしている子ほど、芝居さえ出来れば他の事は出来なくても許されるだろうと思っている子が多い。
それは大いなる勘違いでしかない。よほどルックスがよくて、2・5次元の舞台やアイドルのオーディションを受けて合格する子以外は一年目に大きな仕事をもらえるわけがない。
なぜなら、事務所の人達との信頼関係が築けていないから。信頼関係を築けていないのに仕事を任せられるわけがない。
事務所も慈善事業ではない。ビジネスだ。不安要素のある子を現場に出すわけがない。もし現場に出して、何か不祥事を起こされたら被害を受けるのは事務所。それに気づけていない子が多い。
俺の同期にも何人かいた。そう言う奴はすぐに辞めた。中にはマルチ商法に手を出したり、犯罪に手を染めて捕まった奴もいる。
「あるあるなんだよな。悲しいけど」
「ですね。愚痴聞きましょうか?」
「聞いてくれる? 色々と溜まってるんだよ」
「溜まってそうですね」
「愚痴聞いてもらおうと連絡しようかなって思ってたら連絡来たからびっくりした。エスパーって思ったもん」
「ナイスタイミングでしょ」
「うん。ナイスタイミング。電話の理由はよくなかったけど」
「それはすいません」
「いやいや、さと君が謝る事じゃないから。色々と話す事あるだろうから先に腹ごしらえしよう」
「ですね」
俺と名和さんはメニューを見始めた。
食事を食べ終え、名和さんの愚痴を聞いていた。
テーブルの上には食べ終えた皿と飲み終えたジョッキなどがたくさんある。
かなり愚痴が溜まっていたようだ。かれこれ1時間は愚痴を吐いている。
まあ、名和さんぐらいの年齢になると事務所の中でも中堅に当たるだろう。
若手みたいに失礼な事は出来ないけど、ベテランよりは若手に近いから面倒を見ないといけないなど、心労があるのだろう。
愚痴も同じ事務所の人には吐けないものもあったし。それは俺もあるから仕方ない。
組織に所属すると言う事は何かしらうっぷんが溜まるのは当たり前だろうし。
「ごめんごめん。1人で話まくって」
「別にいいですよ」
「ありがとう。あ、そうだ。昨日の話で言ってた戦車ってどんな形してた?」
「えーっと、あれですよ。昔の戦争映画に出てくる緑色の戦車です」
「ちょっと待ってよ」と、名和さんはテーブルの上に置いているスマホを手に取り、操作し始めた。何かを検索しているみたいだ。
名和さんの手が止まり、「その戦車ってこれじゃない」と、スマホの画面を見せてきた。
スマホの画面に映っていたのは古戸さんの周りにあったものと同じ戦車だった。
「あ、これです。これですよ。古戸さんの周りにあったのは」
「やっぱりか」
名和さんはスマホをテーブルの上に置いた。
「やっぱりかって、どう言う事ですか?」
「この戦車の名前はトータス重突撃戦車。トータスって日本語でなんだい」
「……亀ですよね」
なぜ亀なんだ。何か劇団スノードロップと関係があるのか。
「そう。靴川さんの事件も亀が居たんだよね」
「はい。大量のミシシッピアカミミガメが」
「……そうか。これを見てくれないか」と、名和さんは黒色のレザーのトートバックから写真を一枚取り出して、俺の前に置いた。
写真には劇団スノードロップの団員と俺とタマと名和さんが映っている。俺達が出た「浪漫遊戯奇譚・詠」の集合写真だ。
「集合写真がどうかしたんですか?」
「この女性覚えているか」
名和さんは大人しそうな女性団員の顔を指差した。
「居たのは覚えてますけどあまり関わりがなくて。この人がどうしたんですか?」
「この女性の名前は亀沢夕乃(かめざわゆの)」
「……亀沢って、名前に亀が入ってるじゃないですか」
おいおいちょっと待てよ。それって、この人が。いや、その可能性はあるかもしれない。
「そうなんだ。それにこの人には動機になる事がある」
「なんですか?」
動機になる事。二人を殺すって事はかなりの憎しみがないと行動に移さないはず。殺人犯を演じる時も憎しみを持たないと動く事ができない。
「……彼氏の死だよ」
「彼氏の死? 劇団員の中に居たんですか」
「あぁ、居たよ。素晴らしい役者だった。さと君もお世話になったよ」
「え? もしかして」
いや、そんな事あってほしくないぞ。タマと話したばかりなのに。
心臓の鼓動が急に速くなってきた。
「さと君の思っている人で間違えないよ。この人だよ」と、名和さんは写真に写る明星さんを指差した。
「……明星さん」
「そう。彼は数年前に劇団スノードロップの大道具や小道具が保管されている倉庫で焼死した」
「……そんな。知らなかった」
また会えると思っていたのに。お芝居をもう一度出来たならよかったのに。
古戸さんと靴川さんの時とは違って心の中がざわついている。それと同時に二人に対して罪悪感も感じている。なんって酷い奴なんだ、俺は。
「あぁ、知らないと思うよ。俺も「浪漫遊戯奇譚・詠」を上演した帝都市民劇場の近くの定食屋のおじさんに聞くまで知らなかったんだから」
「靴川さんが教えてくれなかったのが気になります。絶対に知っているはずなのに」
劇団員なら知っていたはずなのになんで教えてくれなかったんだ。一応、共演者なんだから少しぐらい教えてくれてもよかったはずなのに。
「そうだよな。なんで、同じ事務所のさと君に教えていないか謎なんだよな」
「ちょっと待ってください。タマも殿岡さんに教えられてないです。一昨日いや昨日、明星さんの話をしたんで」
「それもおかしいな」
名和さんは眉間に皺を寄せて何かを考えている。
「あの一ついいですか?」
「なんだい?」
「この亀沢さんは今何をされているんですか。もし、この人が犯人ならまだ事件を起こすかもしれないですよね」
もし、明星さんの死が理由で劇団員を殺しているなら古戸さんと靴川さんだけじゃすまないと思う。
「……行方不明なんだ」
「行方不明? それはいつからです?」
「明星さんが亡くなってすぐらしいから7年前ぐらいだね」
「7年前。それじゃ、誰もどこにいるか分からないって事ですよね」
そんな長い期間見つかっていない人を探し出すのは至難の業だ。
「そうなんだ。だから、探しようがないんだよ」
「困りましたね」
「そうなんだよ。劇団員だけがターゲットか分からないしね」
その通りだ。劇団の舞台に出演した俳優もターゲットになれば、かなりの人数になる。俺達も含まれてしまう。
「亀沢さんって劇団員の中では演者なんですか裏方なんですか?」
「裏方だよ。脚本部」
「脚本を書かれていたんですか」
「素晴らしい才能の持ち主だったよ。1作だけど読ませてもらったことがあるんだ。その作品はあきらかに勅使川さんの作品を凌駕していたよ」
名和さんがここまで褒めると言う事はかなりの才能だったのだろう。でも、なぜ、そんな人の作品が上演されなかったんだ。
「勅使川さんを越える才能ですか」
勅使川さんを凌駕する才能ならヒット作を生み続けるヒットメーカーになっていたはずだろう。
「世に出なかったことはとても残念だけどね」
「でも、それっておかしな話ですよね」
「おかしな話?」
「だって、そうじゃないですか。そんな才能活かさないなんて」
「俺もそれはおかしいと思うさ。でも、あの劇団ならその才能を握り潰すかもしれないじゃないか」
「え? あー否定できないのが辛いですね」
一瞬否定出来たらと思った。でも、否定できなかった。
それは僕らが参加した時に明星さんが共演者から殴られているところや明らかにおかしい雑用の量を押し付けられたり、人格否定のような発言をされたりしたのを目撃してしまった事があるからだ。
「だろ。それに勅使川さんだぞ。私が一番じゃないといけない人だったろ」
「……そうですね」
勅使川さんの作品はとても素晴らしい。けれど、人間的には高圧的で傲慢な人と言っても過言ではない。
「これは憶測なんだが、明星さんの死は劇団員に仕組まれたものだとしたら」
「そ、そんな事あるはず。あるはず……」
ないと断言できない、自分がいる。だって、あの劇団の人達ならやりかねないと言うおっかなさがあったのは事実だ。
俺達も二回目は出たいとは思わなかった。まぁ、学校側に出演依頼がなかったからその機会もなかったけど。
「ないと断言できないのが辛いよな」
「……はい」
名和さんも否定したいけど否定できないのだろう。顔が辛そうだ。
「どうしたらいいんだろう。俺達」
「一緒に調べてみませんか」
危険な事だし、警察の仕事だ。でも、ターゲットが俺達も含まれている可能性がある。
その不安を払拭したい気持ちがある。なにより、明星さんの死が偶然だったのか、それとも、仕組まれた必然だったのかが知りたい。
「いいよ。なんか、君ならそう言うかもと思ってた」
名和さんは承諾してくれた。否定すると思っていたのに。
「ありがとうございます」
「でも、危険だと思ったら撤退しよう」
「……そうですね。それはそうしましょう」
俺達にもし何かあったら色々と周りに迷惑をかけてしまう。
「よし、決まりだね」
「あの、この事はもう一人には伝えないでおきます」
「岩杉さんにかい」
「はい。一番危なっかしいので。まぁ、仕事も大量に抱えてるので動けないと思えますけど」
売れっ子女優だ。撮影とかで忙しいはずだ。
「そうだね。それがいい」
「ありがとうございます」
「でも、どうやって調べる。殿岡さんと勅使川さんは有名人だから接触しにくくないか。もし、古戸さんと靴川さんの葬儀があったとしても近づくのは難しくないか」
「俺、会えるかもしれません」
「なんでだい」
「明日、とある作品の衣装合わせに行くんです。その作品の作家が勅使川さんなんです。あの人、かなりの頻度で現場に来るって噂があるじゃないですか」
業界では有名な噂だ。何もないのにやたら現場に来るらしい。
差し入れを持って来るならまだしも、スタッフさんをこき使ったり、男性俳優をベタベタ触ったり、色々と嫌がられているらしい。でも、脚本が面白いからみんな何も言えないようだ。
「た、たしかにその噂は聞いた事がある」
「会えたらちょっと話を聞いてみます」
挨拶程度に話すだけだ。イケメン俳優以外には興味がない人だから。長く話そうとすると露骨に嫌な顔をするはずだ。
「慎重にな。あの人を怒らせないようにな」
「はい。それは分かっています」
「よし、俺も俺で何か手掛かりになりそうな事があるか調べてみるよ」
「お願いします」
「じゃあ、気合入れる為にもう少しだけ酒付き合ってくれないか」
名和さんはメニューを手に取った。
「いいですよ。付き合いますとも」
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