主義主張は数滴で

 ある文学賞に向けて小説をつくっていた。


 そのときは、自分がへとへとに疲れて、病んで、仕事を休職していて、何かこれは書くしかないと意気込んでつくりはじめた。気がつけば指定ページ数をこえて、小説という形にはなったものの、なんともまあ、ひどい出来だなあと思ってしまった。

 思ってしまったので、もうこれは応募作品に出すには申し訳がないぞ、と諦めた。


 実は最近までは、それでもまあ、ためしに出してもいいじゃないという気持ちもあったのだが、自分の作品にも、審査委員の方々にも、そういう気持ちで出すのが、じわじわ嫌な気持ちが湧いてきて、諦めることにした。


 小説に出てきた主人公には、可哀想なことをしてしまったなあ、と今、同情をしている。少なくとも作者である私が「いい出来だな」と思える形で残してあげたいなあと感じた。なので、この中途半端なままで、記念として提出してしまったら、この主人公も一生、中途半端な存在になってしまうな、と思うと、どうにも出す気持ちが萎んでしまった。


 あの時は、これが私の言いたかったことだ、というのをただ勢いで書いていたように感じる。それも大事だとは思うのだけれど、「言いたかったこと」を作品にしてしまうと、急に作品の色が濁るというか、暗くなるというか、いくら明るい文体で、面白い登場人物が出ていようとも、その主義主張が色濃く出ると、とたん、小説の濁りしか感じなくなってしまった。

 たぶん、主義主張なんてものはスパイス程度で数滴でいいのかも。


 次は、私のしんどい、つらい、かなしい、主義主張が混ぜこぜになった闇鍋ではなくて、書いていて楽しい作品を少しずつでも書いていけたらな、と思った今日この頃。

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