ともだちとの会話
久しぶりに学生時代の友人とごはんを食べた。
何かのお祝いだとか、記念にというわけではなく、なんとなく会えるタイミングが重なったので、じゃあ久しぶりに会おうよ、ということになった。
久しぶりに会う、といっても、SNSではつながっているので、なんとなく友人の近況はわかっている。逆に相手も同じだろう。私の近況はなんとなく把握している。そのためか、最近は友人と久しぶりに会っても「久しぶり~!」という感覚にはならず「やあやあどうも、最近は大変そうだね(SNS情報)」みたいなテンションで会う形になる。
実際、SNSではつながっていない学生時代の友人に、たまたま地元で再開した先日。あのときはさすがに渾身の「久しぶり~!」が飛びだした。何年ぶりの再会? えっ? 変わってない! 元気してた? ていうか、今日はどうしたの? みたいに、矢継ぎ早に会話がはねた。これが本当の「久しぶりに再会した友人」なんだろうな……と思った。
さて、とはいっても、SNSで近況を把握している友人ともリアルで会うのは数年ぶりで、会話が苦手な私としてはそれなりに緊張をしていた。友人と会うのに緊張をする意味がわからない人もいるかもしれないが、私は親にも緊張するし、兄弟にも緊張する。なので、友人に緊張するのなんて当然なのです。
具体的に何に対して緊張をしているのかというと、自分の見え方である。この言葉変じゃないかなとか、この返し傷つけてないかなとか、そういうことに対して緊張をしている。そこまで気にしなくてもいいじゃないか、ということもわかるのだが、まあ、これは今の私の性格なので仕方がない。
社会人になってから、学生時代の友人と会うと不思議な感覚になる。
自分が学生に戻ったような気持ちになる。一方で、学生時代のようなノリで会話をするようなテンポだったり、テーマでの会話が出てこず、帰宅後になんだか寂しくなってしまった。時間が限られているという気持ちが大きかった。この友人と久しぶりに会えて、会話をできる時間は限られているのだから何か有意義な時間にしたいという気持ちが出てしまい、逆に本心を話せていないようなそんな気持ちになる瞬間があったように感じている。
本当は、時間なんて気にせず、その瞬間のことや、別に話さなくてもいい目の前の面白い発見だとか、しょーもないことを話したかった気もする。同じ話を何度もしたっていいし、手を叩いて爆笑してもよかっただろうに。
健康のこと、仕事のこと、家族のこと、お金のこと、その友人と話したことは勿論有意義だったし、勉強になったこともある。また会いたいとも思う。
それでも、頭をからっぽにして話していた学生時代の空気が、もう手に入らないのだと思うと、みょうに泣けてくる。
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