第2話:邪姫は騎士道を嘲笑う

 亜人兵騒ぎのあと、私は1人で救護教会の病棟を離れた。ミケル王子や取り巻きを突き放し、隣接した礼拝堂に1人で立ち入る。


「イサラ、そばを離れるな! 他にも潜伏者がいる可能性だって――」

「先ほどの亜人兵のために祈ります。すぐに済みますので、どうぞ王子は街の治安維持に尽力なさってください」


 ミケル王子は棘のある言い方に怯んだのか、礼拝堂には入らずに去っていった。


 愛のない婚約者も使いようだなぁと、聖女としてはよこしまな思いがよぎる。仮にも王子様なのだから、私を引っ叩いても咎める者なんかいない。そうしないのは、彼がすべての聖王国民に対し優しいからだ。


 私は礼拝堂の中央にひざまずき、聖像を見上げた。祈りの文句は戦争中、喉が枯れるほど唱えた。


「正義と人道に基づき、彼に赦しを」


 聖教会の主神ジノヴィアは、裁きの神と伝えられている。


 悪い行いをすれば死によって裁かれ、幽世かくりよにて永劫に苦しむ。

 必罰論のみを是とするシンプルな教えは、まさに王侯貴族が憧れるような騎士道の模範だった。それで、信仰の総本山たるジノヴィア主教国から聖王国や帝国にも広まったという。


「正義と人道に基づき……我らにも、赦しを」


 この教義にのっとりジノヴィア主教国が作った騎士道条約は、確かに素晴らしいものだ。騎士道という人間の規範を、そっくりそのまま戦時国際法として定着させてしまったのだから。あの国が中立国として尊重されているのも頷ける。

 おかげで捕虜や民間人が無闇に虐げられることは減り、都市や農地への打撃も多少はマシになったそうな。……っていうのは、過去の戦争に従軍して苦労した先代聖女からの受け売りだけど。


 でも、私は充分ではないように思う。だからこうして、祈っている。


「祈りの文句が違いますな、聖女イサラ様」

「ぎゃっ!?」


 背後から掛けられた男の声に、私は仰天してしまった。いつのまに礼拝堂に。

 確かに、祈りの文句は死者の罪に対する許しを請うものであって、「我らに」なんて節はないけど。


「失敬。驚かせてしまいましたか」


 振り返ると、老年の騎士が私に深々と礼をした。

 質実剛健な鎧と、緑のサーコート。天秤と剣の徽章。モンドラゴン聖王国の騎士ではない。


「我輩はジノヴィア主教国の法務騎士、マウリッツと申します。休戦中の貴国の軍規を監督するため、この地を訪れた次第でございます」


 ジノヴィアの、法務騎士。戦時国際法の守護者。騎士道条約がきちんと守られているか、交戦国の軍規を調べる捜査官だ。


 モンドラゴンの聖王様もバルテルシアの皇帝も、法務騎士の前では縮み上がる。彼らの前では「どちらがより悪いか」なんて関係ない。条約を守らなければ、制裁神ジノヴィアの名において平等に罰される。


 つまりはこのお爺さん、めちゃくちゃ怖い人。私はその肩書きをじっくりと理解し、ぶわっと冷や汗をかいた。


「あ……イサラ・アラニアと申します。いいい一応、聖女です」

「存じております。噂通り、篤実とくじつなお方だと」


 おもむろにマウリッツさんは表情を崩し、やわらかな笑顔を見せた。


「少し、お話できますかな?」


 ◇◇◇


 私はマウリッツさんと共に、少し街を散策することにした。どのみち祈り終わったから、ミケル王子と合流しなきゃいけないし。


「救護教会での騒ぎは耳にしました。紛れ込んだ帝国の亜人兵を、殺害したそうですな」

「……騎士道条約には、違反していないはずです」


 いきなり核心を突かれた。私は、硬い口調を隠せないまま王子の行いを肯定した。

 マウリッツさんは、緩やかに首を振った。


「承知の上です。それより、あなたが亜人兵を庇ったとお聞きしましたよ」

「……それも、騎士道条約には違反していないはずです」


 騎士道条約には、「瀕死の亜人兵をブチ殺してはならない」なんて条文はない。

 亜人は劣等種族。畜生と同じ。聖王国には亜人奴隷の制度がある。帝国の亜人兵はていのいい戦争奴隷である。そんなことは知っている。


 でも、騎士道条約には「瀕死の亜人兵を庇ってはならない」なんて条文もない。

 法の守護者なら当然、知っているはずだ。たとえ法務騎士であっても、私の行いを咎めるというのなら。


「法務騎士殿、私は聖女のほまれに誓って、恥ずべきことは――!」

「存じております」

「へ?」


 マウリッツさんは街路の一角で立ち止まった。

 石壁に、下品な言葉で亜人兵をなじる落書きが刻まれている。攻囲戦で被害を受けた住民が、帝国の尖兵に憎しみを向けるのはおかしくない。

 けれど、冷徹なはずの法務騎士の横顔は、ひどく悲しげだった。


「正しいのはあなただ。騎士道条約は不完全なのです」


 この人は。

 私の同類、らしい。


「おっと、今のはオフレコでお願いしますよ」

「……はい」


 ウインクされた。意外と茶目っ気のあるお方らしい。

 マウリッツさんは、私に向き直って居住まいを正した。


「さて、こんな話をしたのは、あなたの公明正大なる慈悲を見込んでのことです。イサラ様に少し、お願いがございましてな」

「なんでしょう」


 公明正大て。そんな大層なものじゃないけれど。

 マウリッツさんが周囲を見渡し、声を落としたのが気になる。聖王様や皇帝すらも迂闊に手出しできない法務騎士が、コソコソお願いしたいことってなんだろう?


「我輩は、この近辺で消息を絶った帝国軍の騎士を探しております。少々厄介な身分ですので、もしその騎士が聖王国軍の捕虜となっているようなら取扱いの監査をさせていただきたいのです」


 妙に迂遠な言い回しだった。

 法務騎士が交戦国の捕虜の扱いを監査すること自体は、不自然ではない。

 でも、普通そういう話は駐留している部隊の指揮官とするべきだ。聖女は軍権を持っていない。


「えーっと……アラスの街に収容している捕虜の取り扱いでしたら、ミケル王子に訊いた方が……」

「王子殿下のひととなりを鑑み、内密に捜索すべきと判断しました。そして救護教会での件を踏まえ、あなたにはご協力を仰ぐべきだとも」

「すみません、はっきりとおっしゃってください。いったい誰を探しているんですか?」


 マウリッツさんはもう一度周囲を確認し、さらに声を落として言った。


「名を、ルルハリル。帝国軍の亜人兵団を率いる女騎士で、『邪姫じゃき』の異名を取るライカンスロープの亜人です」

「!」


 それを聞いて、私も周囲を見渡した。


 亜人の騎士は、私の知る限り1人しかいない。その女は唯一、騎士道条約にのっとった捕虜の待遇を受けられる「例外」だ。

 そして戦時中にアラスの街に攻囲戦を仕掛け、ミケル王子の軍に撃退された帝国軍の指揮官でもあった。


「なるほど、ルルハリルですか……」

「ご存じのようですな」

「ええ、それはもう」


 頭が痛くなってくる。

 ルルハリルの悪名は前線の将兵ならみんな知っている。条約違反上等の悪女として。


 確かに彼女が聖王国軍の捕虜になっていたら、騎士道条約を無視した私刑を加えられる可能性が高い。なぜなら彼女はすこぶる残虐な戦法を好み、聖王国軍の恨みを買っていたからだ。

 そして彼女の部隊が休戦と共に消息を絶ったのも確かなので、法務騎士が状況を確かめようとするのも無理はない。


「どうですかな。お心当たりは?」

「残念ながら、聖王国軍では捕捉していません。かなり恨まれているので、誰かが虐待や私刑目的で匿うのも難しいでしょう」

「左様ですか……」


 マウリッツさんは残念そうに眉を下げた。


「聖女の役得で、捕虜に関する情報は多く入ってきます。もし彼女を聖王国軍で保護した場合、必ずや貴公の監査を受け入れるとお約束します」


 相手が亜人だろうと非道な悪党だろうと、正義と人道に基づく対応をする。それが法だ。私は、善い人や正しい人の力になりたい。

 それに法務騎士の監査をクリアすれば、聖王国軍やミケル王子の名誉を守ることにも繋がるだろうし。


「おお、ありがたい。我輩はしばらくこの街に滞在しますので、宿をお教えしましょう」


 少し表情を明るくしたマウリッツさんに、宿先を聞こうとしたところ。


 にわかに一帯が騒がしくなった。


「どこの領主軍だ!?」

「止まれ! まだ入城は許可してない!」

「ネガーラント伯爵軍は壊滅したんじゃなかったっけ?」

「だが、軍旗も装備もあそこのだぞ!」


 2人で表通りに出てみると、市壁の門周辺でてんやわんやの騒ぎが起こっていた。どうやら、別の前線から移動してきた友軍を街に入れさせるかどうかで揉めているらしい。

 軍人だって基本的に街で宿営したいけど、街が受け入れられる人数には限りがあるからこうした揉め事はよく起こる。


「お見苦しいところをお見せしました」


 私の責任じゃないけど、聖王国軍の醜態なのは確かだ。

 しかしマウリッツさんは首を傾げていた。彼の手が、剣の柄に掛かっている。


「ここ、王子軍の野営地と反対側ですな」

「ええ、それが?」

「普通なら、駐留軍の指揮官を訪ねるのが筋でしょう。ミケル王子殿下が求心力に欠いているわけでもありますまい」


 ……言われてみれば。格下の貴族相手にやらかすのとはレベルが違う。王子の駐留する街でそんな無礼を働く貴族がいるもんか。


 ぶわっと、嫌な汗が額を流れた。

 マウリッツさんとほぼ同時に、門へ向けて駆けだす。私は門兵に向けて大声で叫んだ。


「戦闘配備を! 帝国軍の偽旗攻撃です!」


 直後、前方で金色の光が閃いた。轟音と共に土煙が昇り、その中から巨大な影が立ち上がる。


 壊れた門から、聖王国軍の装備に身を包んだ亜人兵がなだれ込んでくる。その後ろを悠々とのし歩くのは、金色の毛並みを輝かせた巨大な狼。


 亜人の女騎士、ルルハリル。巨躯の魔獣に変化へんげして敵を蹂躙する、無慈悲なライカンスロープ。


 ◆◆◆


 騎士道条約におけるルルハリルの罪状一覧

【全般的休戦が戦線全域に通達された後の軍事行動】New!

【敵の軍服、徽章および軍旗の濫用】New!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る