聖女と邪姫の戦犯法廷~正義と人道に対する罪で、あなたを✕します~

西園寺兼続

第1話:聖女は騎士道に迷う

 生臭い風が鼻を刺して、それで目が覚めた。

 毛布から顔を出すと、天幕の入口から朝日が差し込んでいた。

 枕元から手鏡をたぐり寄せ、仰向けのまま顔と髪だけチェック。ここでは化粧をしている女なんかいない。


「目ヤニよし……」


 鏡の中の小娘は、クマのできた胡乱な目付きで私を睨んでいた。偉い人に翡翠のようだと褒め称えられる瞳は、藻の浮いた泥水みたいに濁っている。


「寝ぐせよし……」


 白銀の滝のようだと宮廷で謳われた自慢の髪は、すっかり痛み切って枝毛まみれだ。おばあちゃんみたい。しかも、ここ最近妙に頭がかゆいし。


 まあいいか。また仕事だ。

 私はのっそり起き上がり、天幕から出る寸前で立ち止まった。


「あっぶな……」


 下着シュミーズのままだった。慌てて天幕の端に投げ置かれていた衣装箱に駆け寄る。

 まず髪を後ろで縛り、脚絆ゲートルで脚を締め、白の長スカートを巻き、白の長コートを羽織って、その上から法衣の青エプロンを掛け、ベルトを締め、儀礼短剣を差して、薬カバンを掛けて、鋲靴を履いて……うんざりする。職業柄仕方ないけれど、夏にこの恰好は辛い。


 ようやく天幕から出ると、むっとする熱気が私の肌にまとわりついた。周囲には軍の天幕が数百と広がっていて、鎧を脱いだ騎士や兵士たちが行き交っている。


「聖女イサラ様、お目覚めでいらっしゃいましたか!」


 振り返ると、疲れ切った顔の小姓が私にひざまずいていた。彼の傍らには、担架に乗せられた若い騎士が寝ている。

 その騎士は矢傷のせいで片腕が腐り落ちていた。鎧の家紋には見覚えがないから、あまり戦に来ない小貴族だと思う。年齢からして、騎士の方はこれが初陣かな。


「うちの若旦那を助けてください! 聖女様の治癒魔法なら、ポンと腕をくっつけるくらいワケねえでしょう!?」


 小姓の大声に、周囲の兵士たちが白い目を向けた。みんな、戦で疲れ切っている。小姓はそれにも構わずまくし立てる。


「偉い将軍や魔法使いが優先なのは分かってます! でも、若旦那だって帝国の亜人兵どもをばったばったと斬り伏せて、それで……!」

「ええ、治します」


 私は小姓の言葉を遮った。ありもしない武功をうそぶいて私の治療を受けようとする人は後を絶たない。別に、偉いからとか強いからとかで人助けをするわけじゃないのに。

 その場に膝を付き、若い騎士の腐った腕に手を触れた。

 魔力を励起させ、治癒魔法の詠唱を短く呟く。


「ヘレンシュガの命脈権能において、執行する――癒しよ」


 薄緑の輝きが私のてのひらから溢れ、若い騎士の腕を包み込む。腐敗した肉が再生し、騎士の腕は綺麗さっぱり繋ぎ直された。


「おお……奇跡だ……聖女様の奇跡だぁ!」


 地面に額を擦って男泣きする小姓。別に、奇跡なんかじゃないのに。


「治癒魔法が得意なだけですよ。さぁ、あなたのあるじを天幕にお連れしてください」

「ありがとうございます! モンドラゴン聖王国と聖女イサラ様に、神の加護を!」


 小姓は何度も私に頭を下げ、若旦那とやらを背負って天幕の群れの中に消えて行った。もしかして、あの騎士の腕は切り落としておいた方が彼のためだったかもしれない。二度と参陣せずに済むから。


「聖王国に聖女、か……」


 口に出してみると、なんと白々しい称号だろう。戦地ここに、聖なるものは何ひとつとして存在しない。ただ騎士や兵士や魔法使いがいて、血や汚物にまみれ、病と傷に苦しんでいる。

 おおよそすべてのものを、私はここで見てきた。田舎の貴族令嬢だった頃、こんなことになるとは夢にも思わなかった。


 私は芝を踏み越え、陣の外側へと向かった。ひどい臭いの元は、ここで死体を焼いているからだ。そしてその指揮を執っているのは……。


「王子! ミケル王子!」


 将兵の中で唯一、立派な鎧を付けたままの青年。その凛々しい顔が私の声に振り返り、爽やかな笑顔を見せた。

 モンドラゴン聖王国の第二王子ミケル。私の婚約者にして、聖王国軍を率いるいっぱしの将軍だ。


「やあ、愛しの我が聖女イサラよ。まだ寝ていてもよかったのだぞ」

「やあ、ではありません! これはなんですか!」

「何って……敵兵の死体を焼いているのだ」


 きょとんとした表情で微笑むミケル王子に、私は詰め寄る。


「敵は獣と同じではないのですよ!? 火葬の前には祈祷を捧げるのが聖教徒の原則でしょう!」

「その点は問題ない。今焼いているのは亜人兵だからな、獣と同じだ」


 近くの死体の山に兵士たちが油をかけ、また火を点けた。よく見ると彼らはゴブリンやハーフリング、コボルトなどの亜人種たちだった。

 その傍らでは人類種の敵兵の遺体が丁寧に並べられ、従軍僧侶による祈祷を受けている。


「ほら、何も問題はあるまい」

「……」


 そういうことじゃ、ない。

 でも私はミケル王子のクマが浮いた穏やかな顔を前に、何も言えなかった。沈黙の間に、また亜人兵がゴミを捨てるみたいに火へ投げ込まれていく。


「イサラ、ここはもうよい。アラスの街へ戻って救護教会の見舞いに行こう。皆、聖女のかんばせを拝むだけでも元気づくだろう」

「しかし、前線にはまだ救うべき者がいます。祈るべき死者だって……」

「せっかくの休戦中だ。バルテルシア帝国の連中はこっぴどく打ちのめしてやった。いくらか残党を逃したのは手痛いが、今になって仕掛けてくることもあるまい。そう気を張るな」


 そう言いながら、ミケル王子は私を手招きして歩き出した。彼は、自分がフル装備の鎧を着たままなことに気付いていないのだろうか。


 ◇◇◇


 私の祖国モンドラゴン聖王国と北の大国バルテルシア帝国の休戦が実現したのは、ほんの1週間前のことだった。両国が批准している戦時国際法である『騎士道条約』によれば、厳密には全般的休戦と呼ぶらしい。


 この期間、双方の戦役司令官が中立国に出向いて、講和のための話し合いを行う。これ以降の争いは条約違反になる。だから、もうじき戦争は終わる。


「聖王陛下から便りがあってな、ジノヴィア主教国に到着したらしい。近々、あそこの国際騎士法廷で会議が行われるそうだ。皇帝からたっぷり賠償金と身代金をぶんどってやると息まいていたよ。はははっ」

「ええ、それは頼もしいことです」


 呑気なミケル王子の発言に、適当に相槌を打ちながらアラスの街を歩く。供回りの兵士たちも明らかに愛想笑いをしている。王子が無理して空元気を見せているのは明らかだった。


 戦争の爪痕は大きい。アラスの住民たちはバルテルシア帝国軍の激しい攻囲戦に巻き込まれ、ひどい被害を受けた。ミケル王子をはじめ多くの人々が、条約違反スレスレな帝国軍の蛮行に憤っている。


 私たちが訪れた救護教会にも、戦禍に傷ついたたくさんの民間人が身を寄せていた。王子の言った通り、私の慰問はすごく歓迎された。

 特に戦災孤児たちに喜ばれた。小児病棟の大部屋に招かれたとたん、子どもたちの歓声が上がった。


「わぁ、聖女さまだぁ! きれい!」

「イサラさま! ぼくを元気にして、帝国と戦わせてよ!」


 私は押し寄せる子どもたちをやんわりと捌きつつ、彼らの病状をあらためていった。街が大規模な戦闘に巻き込まれたばかりだから、労働力にならない子どもの治療は後回しにされやすい。救護教会の僧侶さんたち曰く、もうじき回診に来るそうだけど……。


「ねぇねぇ、どうしたらわたしも聖女になれるかな?」


 1人の女の子にそう訊かれ、困った。


 モンドラゴン聖王国の『聖女』という役職は、生まれ持った魔法の才能によって選抜される。選ばれるのは1人のみ、それも対象は殆どが有力貴族の令嬢。

 個人差はあれど、そこには選りすぐった血ほど優秀という残酷な節理が働いている。そもそも王家が妃として優秀な魔法使いを迎え入れるための制度だし。


 私は答えに詰まってミケル王子に助け船を求めたけど、彼は曖昧に微笑むのみ。

 所詮は政略結婚。彼はよき王子だけど、私自身に寄り添ってくれているわけじゃない。


 その時、ちょうどよく回診の僧侶たちが大部屋に入ってきた。僧侶長が子どもたちを呼び寄せる。


「子らよ、騒がず整列しなさい。診察しますよ」

「聖女さまに診てもらう~!」

「わがままを言うでない!」


 まとわりつく子どもたちが一斉に離れ、私はほっとした。重病患者がいないなら、早めに前線の陣営に戻った方がいいな……と考え、王子の方へきびすを返した。


「そこの子よ、起き上がれないのですか?」


 僧侶長が、部屋の端に寝転んでいる小さな男の子を呼んだ。汚れた包帯まみれで、ぐったりしている。私はすぐにその子のもとへ駆け寄った。


「そういやあいつ、一言もしゃべらないんだ……」

「オレらの遊び仲間にあんなヤツいなかったよな?」


 他の子たちが口々に疑念を発し始めた。僧侶たちも不審がり、私のもとに集まってきた。


 私は男の子の呼吸を確かめようと、顔の包帯を捲った。


「あ……」


 私は言葉を飲み込んだ。けれど、彼の正体をみんなが目にしてしまった。


 獣っぽい体毛。尖った耳と小さな牙。それは亜人の一種であるハーフリングの特徴だった。

 そして彼の頭には、刀傷。それと、兜を付けていた痕。

 バルテルシア帝国の、亜人兵だった。


「こいつ亜人兵だぞ!」


 僧侶の1人が叫んだ。子どもたちがきゃぁっと悲鳴を上げ、部屋から逃げ出す。


「くそ、子どもと間違えたのは誰だ!?」

「はやく病院騎士を呼べ!」


 私は咄嗟にそのハーフリングに覆いかぶさる。


「ダメです! 彼にも治療を受ける権利が――!」


 どう見てもこの亜人が危害を加える心配なんかない。それに騎士道条約には、捕虜を人道的に扱う義務が明記されているはず。確か、そうだったような!


「イサラ、危ない!」


 だけど、ミケル王子が私の首根っこを掴んで放り投げた。

 私は床に尻もちをついた。


 ざくっ、びちゃっ、とあっけない音。


「人類の子に紛れて潜伏しようとは、浅ましい畜生め!」


 ミケル王子の剣が、亜人兵の首に突き立てられていた。


 あぁ。今思い出した。


 騎士道条約において捕虜になる権利を有するのは、騎士および貴族だけ。亜人兵は、ごく一部の例外を除いて騎士でも貴族でもない。


 正義と人道の定めにおいて、彼らは基本的に殺していい存在とされている。

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