第51話 運命の始まり

 ――さささちゃんはずっと、小さい頃から天才だった。いつだって人気者で、幼稚園でずっとスターだった。


 そんな星が、かつては私の横で笑ってた。



「ツズミちゃん、ピアノ上手だねえ!」


「……うん。ママに、教えてもらってるの」


「きれーだねぇ。ツズミちゃんのピアノ、聞いててたのしい~!」


「ありがと! っ」



 だから私は音楽は始めた。あなたに言われた言葉が、嬉しかったから。



 ※



 彼女はいつでも、園舎のどこでも輝いてた。特にジャングルジムの一番上は、貴方の特等席だった。



「さくらちゃん、かっこいい~」



 二段目の柵に座って見上げたその姿は、記憶の中だといつまでも大きい。



「さくらちゃん、何でも出来ちゃうんだねぇ! キュープリみたい!」


「すごい! 昨日のキュープリの真似したの気付いたの?」


「うんっ、だって赤プリと同じ動きだったもん!」



 運動神経が良くて、園児とは思えないほど何でも出来た。小学校の勉強もほとんど終わってるって聞いた時は、尊敬で目を輝かせた覚えがある。



「お歌も追いかけっこもお絵描きも、み~んな得意なんだね!」


「パパにもママにもわれるんだけど、何でも覚えたらできちゃうらしいの。みんな、れんしゅう? するんだよね?」


「そうだよ! 練習しないと皆出来ないこと、さくらちゃんはすぐ出来ちゃうの。凄いの!」



 ――それが私達の原点だった。



「何でもササっと出来ちゃうさくらちゃん、スーパーヒーローみたい!」


「ささっと、さくらが……!」


「ささっと! さくらちゃんがささっと! ささっと――あ、言い間違えちゃった。えへへ」


「さささ、ちゃん……さささちゃん!」



 私みたいに平凡な人間でも、天才に届けられる何かがあるなんて、勘違いをさせた。



「さくら……ううん、さささちゃんになる!」


「へっ?」


「今日から、さささちゃんってさくら自分のこと呼ぶよ!」



 それが運命か、呪いか、今では直接聞かないと分からない。

 けれど確かにあの日、私の世界は大きく動いた。



「さささちゃん……!」



 世界の中心を目の前にしているように。風も温度も光も音も、さささちゃんを起点に回り始めた気がした。

 隣でくっついてた、私も含めて。




 それは幼稚園の歌の発表会が近付いた頃だった。少し肌寒くなってきた季節。



「さささちゃん、次折り紙でヒコーキ作って!」


「えー。粘土でお姫様がいいよー」


「さささちゃん、あたしのリクエスト! この前作ってくれたお花のブレスレット!」


「はーい、全部さささちゃん作ってあるよ〜」


『すごーい!!』



 組の中心になってるさささちゃんを、引っ込み思案だった私が遠くから眺めてた時だった。先生がコソッと耳打ちしてきた。



「ねえツズミちゃん、お歌の発表会の曲って何やるか知ってる?」


「うんっ、『猫のお星様』だよね!」


「そうよ。それでね、本当は先生がやるんだけど……今年はツズミちゃんがピアノやってみる?」


「いいの!?」


「うんっ。ツズミちゃんのピアノとっても素敵だから、みんなも嬉しいと思うよ」



 思いもよらなかった提案に私は舞い上がった。

 それから毎日、朝の歌の時間はピアノを弾いて、みんなが合わせて歌ってくれた。



『こ〜ねこ〜のおーほしーは、ダンボ〜ル〜』



 ただ一番大きく聞こえてきた歌声は、オレンジみたいに爽やかで鮮やかな彼女の声。



「ね〜るまーえかぶ〜って、お〜ほしーみる〜!」



 まるで、さささちゃんと一緒にデュエットしてるような気持ちになれた。それが楽しくて、嬉しくて、人生で最初に音楽に感謝した。


 家に帰っても練習して、一番から二番まで必死に鍵盤を叩いた。マメの痛みに耐えながら、何十回も。



 発表会一週間前の、晴れた日の昼空は少し暖かった。ジャングルジムに登って、さささちゃんと三段目に並んで座りながら、手を空に伸ばした。



「ツズミ、今度の発表会う~んと頑張るんだぁ」


「さささちゃんもお歌する! 一緒に頑張ろうねぇ」



 あの一瞬だけ、自分も世界の中心にいるんだと感じられて、有頂天だった。



「ツズミちゃんのピアノと、さささちゃんのお歌! それとみ~んなのお歌! そろったら『サイキョー』の発表会になるね~!」


「うんっ、このジャングルジムの上みたいに、トップになるんだー!」



 ――伸ばした手で更によじ登ろうとした時、上手く力が入らなかった。練習で出来たマメが、握る指の力を弱くしていたから。



「わっ――」



 世界は九十度に倒れて、伸ばした手は空から遠ざかった。


 布団に飛び込む時みたいな浮遊感の中、咄嗟に利き手の右だけしか動かせなかった。

 ドスンと尻もちを着くと、同時に破裂音が右の手首から鳴った。



「つ、ツズミちゃん?」



 さささちゃんが心配して降りてくると、痛みも一緒になって腕からよじ登ってきた。



「う、ううう、ううえええぇぇぇぇぇん!」


「せ、せんせー呼んでくる!」



 その怪我が、運命を変えてしまったのかもしれない。

 私の人生も、さささちゃんの人生も。


 遊具から落ちた時の反転した景色も、ジクジクした鈍い痛みも、今になっても思い出してしまう。傷として、戒めとして、この心には常に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る