第6話 日陰者の音楽
教室の賑やかさが昇って響く屋上前階段。うなだれて弁当を頬張る二戸坂だけが座っていた。
「忘れてた。ミミちゃん今日は月一の
心の拠り所がいない教室はいつにも増して息苦しく、この隠れ場所に来ても彼女の圧迫感は収まらなかった。それもその筈だ。
「……お昼食べたら、女ヶ沢さん探しに行かないと」
バンドの件についての返答に合わせ、今の彼女は本来の顔のまま。反射する廊下の窓を覗いても、可憐な顔立ちは見えてこない。
昨日から今朝にかけて、二戸坂は何度も『幽霊の顔』を取り戻そうと躍起になっていた。
『ほェェェェェェェェェかかっかっ、顔がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! どどどど、どうすれば戻る!? 水か? 熱湯か? ホルマリンかぁぁぁぁぁぁぁ!?』
『結香ちゃんどうしたの。錯乱してるなら、正気取り戻せる秘孔でも突いてあげよっか?』
『それお母さんがインドで修行した時のやつでしょ!? やだよ痛いやつじゃん!』
『失礼ねぇ、チベットの寺院よ。運命を予知する老人に教えてもらったの』
『それ特殊な呼吸法使える人じゃない!?』
『たしかトンp……』
『それ以上はダメ!』
「――あれからまた河川敷行ったり、顔洗ったり、また徹夜してみたけどダメだったなぁ。『幽霊の顔』戻るように試してたから、疲れ方はあの日の比じゃないけど……」
『幽霊の顔』を取り戻す手段、発現のトリガーは何も判明しなかった。
もう二度とあの奇跡が起きないと思う度、二戸坂の晴れかけだった心に暗雲が回帰する。
「あの顔がない、私は……」
最後の米の一粒も食べ終わったというのに、二戸坂の箸は震えたままだ。
鼓動の低音が彼女の耳元で激しく鳴っている。
「だめだ、収まって、この動悸……じゃ、ない?」
鼓動に混じって響いていた低音が次第にボリュームを上げていく。
そのリズムで自然と首を振り始めてようやく、二戸坂は楽器の音だと悟った。
「ベースの、音?」
音は彼女の背後。階段上の隙間が空いた扉の向こうから聞こえていた。
「おっ、屋上からだ」
刻まれるビートに導かれて、二戸坂は扉から出る。
外は嫌気が差すほどの快晴で、皮肉な青さが澄み渡っていた。
風の音で鼓膜がブオンと揺らされた直後、二戸坂の視線は金色の後ろ髪にいく。
「お、やっぱり来たか」
扉が動いた音に気付き、女ヶ沢は指を止める。
「あのっ、女ヶ沢さん、わた……」
「ルーシィで良い。苗字は好きじゃねぇんだ」
「あやっ!? は、はいっ!」
「ほら、こっち来いよ」
怯える二戸坂は足をチョコチョコ動かしてぎこちなく隣まで寄った。
女ヶ沢は風に吹かれながら、穏やかな顔でまたベースを弾き始める。
「ここ良いとこだろ? 屋上。いかにも高校生って感じで」
「は、はい……でもここって空いてたんですね?」
「いいや、普段は立ち入り禁止で閉まってるぞ。ウチが勝手に合鍵作っただけ」
「あやっ!? それって、校則違反ってやつでは……」
「それは屋上にノコノコ来たお前もだろ?」
「はぅっ……!!」
腕を振り上げて驚愕する二戸坂。終わったと呟き泡を吹く彼女に、イタズラな表情で女ヶ沢は微笑んだ。
「共犯だな、ウチら」
校則違反の件は受け入れて、大人しく二戸坂はその場に体育座りで縮こまった。
「それで、今日はバンドのことについて言いに来てくれたんだろ?」
「はっ、はい……遅くなると、勢いつかなくなると思って」
「……ってことは」
「……ごめんなさい」
ベースの音でも届かない重苦しい空気が漂った。
風の音も止み、再びテンポを加速させる鼓動に耐えきれず、二戸坂は言い訳を必死に吐く。
「めがっ、あ、ルーシィ……ちゃんとバンドがしたくないとか、そういうのじゃないの! 嬉しかったし、というかやりたいって思ったの!」
舌が滑る。視界が覆われる。数単語から先の言葉が漂白される。
恐怖に捲くし立てられ、二戸坂の呼吸が弱まっていく。
「けどね、どうしても自分に自信が持てなかったの。人前で演奏したりするのが、怖くて。路上ライブの時は出来たけど、今も考えたら震えが止まらない。だ、だから、その……せっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい」
痛みを堪えられるよう、頭を下げた二戸坂はギュッとスカートを握った。
殴られても、罵倒されても、扉を荒々しく閉じられる覚悟もした。
「それでお前は、満足できるのか? 二戸坂」
ただ女ヶ沢の言葉はそれらの心配を裏切り、ブレない声と勇ましさを帯びて飛び出す。
「……え?」
「おかしいな。河川敷で見た時、ウチにはお前が『もっと私を見て』って顔してたと思ったんだが」
「あやっ、それは……」
(それはあの時は、『幽霊の顔』があったからで――)
二戸坂の訂正よりも早く、女ヶ沢が続きを話す。
「それに、ウチがバンド組んでくれとは言ったけど、別に人前で演奏してくれなんて言った覚えはない」
「えっ……ふぇ?」
「今のご時世、顔出しなんてしてないアーティストも多い。覆面だろうと撮影スタジオだけだろうと、正体なんて明かさなくても音楽ができる時代だ」
――覆面。
自分にしか見えない『幽霊の顔』という皮を被る自分。
機械の声を借り、部屋に作り上げたスタジオで完結するボカロPとしての自分。
人前に立つ、自分を晒け出すことだけが演奏だと、バンドマンが目指す音楽だと考えていた二戸坂の先入観にヒビが入って揺らぎ始める。
「お前はさ、チヤホヤされたいわけでも、ヒット曲で一獲千金目指してるわけでも、音楽をしてる自分に酔ってるわけでもない。そうだろ?」
「え、あ、そ……」
「見たら分かる。お前みたいなヤツはな、音楽作るのが好きなんだよ。演やんのがただ好きなんだよ。目標も承認欲求も欲しいだろうが、それ全部取っ払っても音楽が好きなんだろ? 心の中じゃ、ステージで輝きたいって思ってんだろ!?」
昂る女ヶ沢が怒涛の勢いで吐き出した言葉は、二戸坂の脳内で散らばっていた気持ちを整理させて貫いた。
二戸坂は記憶を強制的に引き出させられる。新曲のコードを考える時の興奮、曲が出来上がっていく快感、投稿した瞬間の達成感。
二戸坂が音楽人生で得た感情全てを、女ヶ沢の言葉で先取りされる。
「夢ばっか見て燻ってるヤツと違って、社会に出ようが売れなかろうが音楽を続けてく。呼吸や飯と同じぐらい、音楽がやめらんなくなってる。そんぐらい情熱があんだろ!」
女ヶ沢はこの世界で誰よりも熱く、当の本人も差し置いて二戸坂結香の音楽を語った。
「出来でも技術でもない、あの時の楽しそうな姿に未来を感じたから! ウチはお前とバンドしたいって言ったんだ!」
「ルーシィ、ちゃん……」
「二戸坂結香! やってやろうぜ」
立ち上がり、女ヶ沢は右手を彼女の前に突き出した。
「学祭とか、動画サイトとか、街外れの路上ライブなんてもんじゃねぇ。場所も姿も、有象無象が思いつかない音楽の伝え方で、日陰者のやり方で! ウチらだけの音楽をなぁ!」
二戸坂の視界に突き刺さる青空。その中心に女ヶ沢ルーシィが立っていた。
白みがかった金髪がまるで太陽かのように、空を背負って訴えかけて来る。空も吸い込む蒼眼が二戸坂の目を釘付けにする。
鮮やかな瞳は反射して、圧倒される少女の姿を反射する。瞳の中で二戸坂は目撃した。
――輝かしい未来を夢見て震える『幽霊の顔』を。色濃く鮮明に。
「改めて聞かせてくれ。ウチと、バンド組んでくれないか?」
出そうと思った声よりも早く、二戸坂の手は女ヶ沢のものを握っていた。
「お願い、します……!」
幽霊の肌を借りながら、少女は輝きを取り戻した顔を上げる。
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