第4話 陰キャは限界来ると気絶するんです
「ふんふんふ~んっ」
鼻唄交じりに、二戸坂は朝の廊下をスキップで通った。
(私が人前であんな風に演奏できたの初めて。もう何でもできちゃいそうだな~)
前日の成功体験ですっかり有頂天となった二戸坂に、怖いものはなかった。
(そう、この『幽霊の顔』と一緒に始めるんだ。新しい私の人生を!)
決意を抱いた二戸坂は勢いよく教室の扉を開いた。
「おっはよーご……」
ドゴンッ! と、扉が叩きつけられる音が教室中に鳴り響いた。
高さ制限をかけなかったテンションは腕も喉も力み過ぎた。
そこに陽気過ぎる調子の挨拶が加わり、クラスメイト全員の視線が二戸坂に注がれる。
凍土じみた空気の中、二戸坂はやっと酔いが覚める。
「ザイ、マ……」
二戸坂、恥ずか死。立ったまま意識が蒸発した。
決意粉砕まで四秒もかからなかった。
※
「ミミぢゃん、だずげで」
机に突っ伏した二戸坂は親友に泣きついていた。
「共感性羞恥に効く錠剤はミミナ工房じゃ扱っていないのですよ」
「うう、違うんだよぉ……テンション間違えただけなんだよぉ」
「人間社会はそれが命取りなんだよ」
「救いはないのか!」
「そこになければないんじゃよ~」
一度の成功体験で変われるほど、二戸坂に度胸はなかった。
ホームルームが始まる五分前になったその瞬間、教室の後ろから聞きなれない女子の声が響いた。
「おい二戸坂はどこだ? って、そこか」
立っていたのは金髪ロングに碧眼の他クラス生徒。
三白眼に低い声、目を引くホワイトブロンド、右耳に下がる大きなカピバラ型ピアス。顔立ちは西洋的な精悍で凛としたものだ。
賑やかだった教室を一瞬にして支配する存在感。注目を浴びても気に留めない態度。
そんな彼女に呼ばれた二戸坂は狼狽した。
「あやっ!? だだっ、だれですか?」
「ビビんな。取って食ったりしねぇよ。今すぐ震え止めたらな」
「ぴゃいっ!」
クラスの視線は二戸坂と金髪少女に集中した。
「話したいことがあったんだが、教室ココは目立つな。放課後付き合え。正門前集合な」
「ひぇっ、ええええ!?」
「んじゃ、そんだけ」
そのまま彼女が帰ろうとした時、蛮勇が一人。
「ねーねー。もしかして放課後みんなで遊びに行く感じ? 俺達も一緒に行けたりする?」
「ばっ、おまっ……」
クラスのお調子者を仲間が止めた時にはもう遅かった。
「ああん? ウチは二戸坂に話しかけたんだ。てめぇは呼んじゃいねぇよ」
彼女は猛獣のように男子を睨み付けた。お調子者もこれには心臓が止まる。
「あ、ご、ごめん……」
「チッ」
精悍な顔から繰り出される威嚇は強烈であった。
彼女が教室を去った後、クラスメイト達は呼吸を思い出す。
「こ、こえぇ……なんだあれ」
「馬鹿野郎、お前が悪いわ。あの人に話しかけようとすんだからさ」
「あの人って、有名なのか?」
男子生徒が廊下を確認した後、こっそりと話し始める。
「
「こっわ!? ヤンキーかよ!」
「目立った悪さはしてないみたいだけど、話じゃ先生もビビって敬語で話すとか、会って二秒で幼稚園児泣いたとか、睨んだらカラスが失禁して気絶したとか……」
「漫画によくいる強キャラじゃんか!」
女ヶ沢について徐々に話題が上がる中、広世は慌てふためいていた。
「ど、どうしよニコちゃん。なんだか、凄い人に絡まれちゃ……」
「あぼばぼあぼぼ、あぼばぼあぼぼ、あぼあぼあばばばばばばばばばばばばばば」
「きゃあああああ!? ニコちゃんが恐怖で壊れた!!」
当人の二戸坂はビビる、という言葉では収まらないほど慄いていた。
古い電子機器のような声を発して細かく振動している。
「おいっ、二戸坂さんもやられたぞ!?」
「噂マジだったってことかよ!!」
「だ、大丈夫かあ!?」
心配したクラスメイトによる善意百パーセントの歩み寄り。
だがキャパオーバーした二戸坂に大量の陽キャが接近したことで、彼女のパニックは深刻化する。
「びばぷべぱびぽポポポポにゃーんちゅ・ぱ・か・ぶ・らスシ屋のきゅうり腹持ち良過ぎだろ」
「ニコちゃんダメ! ネットミーム垂れ流し始めてる!!」
ホームルームが始まるまで二戸坂のシステムエラーは続いた。
※
時間は過ぎ、放課後を告げるチャイムが鳴り響いた。
「お、来たか。んで、そっちも?」
一足早く正門前で待っていた女ヶ沢は、時間通りに現れた二戸坂を見て安堵していた。
同時に付き添いの広世を見て首を傾げる。
「ほほほ、保護者としてね? ほら、ニコちゃんと運命共同体的な」
「ふーん、まあいいや。お前にも用あったし」
「え、ええっそうなの!?」
スマホを取り出して、女ヶ沢はある動画を再生しながら話を切りだす。
「単刀直入に言う。ウチが話しに来たのはこの事についてだ」
画面に映っていたのは昨日の河川敷。二戸坂の路上ライブの映像だった。
撮られていたことなど知りもしなかった二戸坂は日本語を忘れる。
「こ、こここ、こここここけー!?」
「悪いな。盗撮みたいになっちまって」
「に、ニコちゃん路上ライブしたの!?」
「ち、違うんだミミちゃん! いや、したのはそうだけど、あれは何て言うか、その、年に一回あるかないかのハッチャけがたまたま上手くいって、その……」
「――たまたまなんて言葉で、ウチは片付けさせねぇぞ」
力強い声を放って、女ヶ沢は視線を真っ直ぐ二戸坂に向ける。
「良いか、冗談でも冷やかしでもねぇ。今から言うことよーく聞け」
息を忘れ、人の気配も感じない、チャイムの音が遠のく世界。
三人しかいない正門前で、女ヶ沢の言葉だけが周囲に広がった。
「ウチと、バンド組んでくれ」
二戸坂を逃がさないと宣言するように、蒼の瞳が一点に彼女を捕まえていた。
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