第2話 カラオケ

さすがに土曜日の夜ともなると『海浜通り』は、観光客と地元の人々で混雑していた。


 満月の光が街路樹を照らし、テラス席を設けたカフェやレストランの照明が夜の通りを彩っている。どの店も賑わい店内はもちろんの事、テラス席も満員の状態だ。

 そんな洒落た街並みとはやや不釣り合いな三人は、とあるビルの前に立ち止まった。


 「ここでいいんだよな?」

 そう言いながら、翔琉は他の二人に同意を求めた。


 スマホ片手に『カラオケ・ルンルン』の前で、送られてきた地図を確認する。


 「あ、あってる……」

 しどろもどろに答えるむーさんの隣にいた祥吾がいきなり……。

 「よぉ~し!いこうぜっ!」


 と、周囲も驚く程の大声で叫びながらカラオケ店のあるビルへと入っていった。

 その声に振り返る通行人たち。


 「ほんと、あいつは身体も声もでかいんだよ……」

 翔琉が小声でぼやきながら、むーさんと一緒に後を追う。


 このビルは丸ごとカラオケ店になっていて、一階が受付、二階から五階までがルームフロアだ。

 初めて来るカラオケ店の受付前で、三人は樹を待っていた。


「樹!おっせぇなぁ! 方向音痴すぎて、まだ迷ってんのか?」

 祥吾がやや大きめの声で言い放ち、周囲がチラリと振り返る。


「うるさいって。受付で目立つのやめろよ……」

 翔琉が小声で眉をひそめる。

「まあ……樹くんは、方向にはあんまり強くないもんね」

 むーさんが困ったように笑いながら言った。


「前にみんなで集まったときも、地図見ながら反対のほうに歩いてったことあったし……」

「そうそう!それで30分くらい迷ってたよな? 伝説だわ」


 翔琉や祥吾が吹き出すように笑った、そのときだった。

 ちょうどエントランスのガラス扉が開き、ゼェゼェ言いながら樹が姿を現した。


「はぁ……間に合った……」

「マジでどこ迷ってたんだよ。お前の店、このへんだろ?」

 祥吾がすぐに突っ込む。


「ていうか、家からも近いはずだけど……」

 むーさんが申し訳なさそうに補足する。


「……え? マジで?」

 樹はスマホを取り出し、地図アプリを開いた。


「ていうか、これ、画面逆だぞ。逆から歩いてんじゃねぇか」

 翔琉が画面を覗き込んで、呆れたように指摘する。


「まーたやってんのかよ!」

 祥吾が笑い声を上げた。


「……そりゃ、ぐるぐる回るわけだよな」

 樹が苦笑いで後頭部をかくと、三人から笑い声が漏れる。


「まぁ樹の店、近いみたいだし。後でみんなで行こうぜ」

 祥吾の提案に、「いいね」「そうしよう」と、自然と笑顔が広がった。


「むーさん、今日も『ランダ・ランダ』歌うのか?」

 祥吾がそうむーさんに声をかける。


「『ランダ・ランダ』歌うよ」

 ニヤリと笑いながら答えるむーさん。


『ランダ・ランダ』は人気バンドの盛り上がる一曲だが、むーさんが歌うといつも予想外の展開になり、仲間内で大爆笑になるのがお約束だ。


「ところで……なんで今日はここなんだ?いつものカラオケ店じゃないよな?」


 定期的に五人プラス何人かでカラオケのきは行きつけのカラオケ店を予約しているのだが、今日初めての店舗に疑問を持ちながら翔琉が言う。


「瞳が予約したんだろ? いつのも所が空いてなかったんじゃね?」


 またしても大声で答える祥吾に、周囲の客がチラリと冷たい視線を向ける。


 ――ほんと、どこにいても目立つんだよな。


 その巨体と騒音級の声のせいで、何度他人のフリをしたことか。

 身長180cm超えのガッチリ体型。声も態度も“でかい”のが、祥吾という男だった。


「祥吾、頼むからもう少し声のボリューム落としてくれ……」

 樹は困り顔で小さく言うが、返ってくるのはやはり騒音まがいの声。


「わりぃわりぃ~」

(もうちょっと自覚してくれよ……)


「とにかく、部屋に行かない?」

 むーさんにしては珍しく空気を読んだのか、受付ホールから離れようとエレベーターに向かい歩いていくが……。


「あれ? 部屋って何階だっけ?」

 周囲を見渡してくるくる回り出すむーさんに、翔琉は苦笑いしながらスマホを確認する。


「四階みたいだ。行くぞ」

 エレベーターのボタンを押し、扉が開いた。


「おっ……来たなぁ」

 カラオケルーム『404号室』の扉が開き、見慣れた三人の顔を確認した瞳はボソっと呟いた。


 一瞬、笑ったように見えたが、その目だけは笑っていなかった。

 まるで何かを測るように、じっと順番に三人を見つめていた。

 翔琉はふと、視線を外したくなった自分に気づき、「ん……?」と眉をひそめた。

 そんな翔琉の違和感を吹き飛ばすように、祥吾は笑顔で部屋に入る。


「おう!来たぜ。カラオケ楽しみ」

 相変わらず大声の祥吾は、言いながらドンとソファへ座り込む。

「おまたせ……瞳くん。早かったんだね」

 続いてむーさんも部屋に入り、瞳に声をかける。


 ルーム内は薄暗い照明で、大きなスクリーンには様々な曲名がスクロールされている。先に来ていた瞳はイヤホンを耳に差し、手元のタブレットに視線を落としていた。どうやら選曲中のようだ。無言のまま、眼鏡の位置を静かに直す。


「むーさん。ランダ・ランダ早く歌ってよ」

 笑いながらそういう祥吾の横で、まだ早いよ……と言わんばかりにむーさんは少し照れくさそうに、ニコニコしている。


「あれぇ? 樹はぁ?」

 人数が一人足りないことに気づいた瞳がふいに振り返える。

 そのタイミングで扉が再び開いた――。


「適当に持ってきたから、好きなの取ってよ」

 ドリンクを手に現れた樹がテーブルにコップを並べる。


「おお!樹、サンキュー。……ってこれ、何がどれだ?」

 祥吾がコップをのぞき込みながら、色の違いを確かめるように目を細めた。


「俺は……これかな。色が薄いしアイスティーでしょ」

 コップを手に取った翔琉は、空いているソファへと腰を下ろした。


「オレはこれ。緑のメロンソーダ」

 むーさんは鮮やかな色のドリンクが入ったコップを手に取り、嬉しそうに微笑む。


  瞳は黙ったまま、黒っぽい飲み物に手を伸ばす。

「……コーラ、かぁ」

  小さく呟いて、一口飲む。

 最後に残ったのは、曖昧な琥珀色のドリンク。


「じゃあ、残りはこれだな」

 樹はそう言って微笑み、自分のコップを引き寄せた。


 それぞれが飲み物を手に取り、喉を潤す。

「よぉ~し!今日もいっぱい歌うぞ」


 もう一個あるタブレットを操作しながら祥吾は選曲に余念がない。

 ――まるでいつもの、何の変哲もないカラオケの夜。


 ただ一つを除いては……。


「瞳。今日はなんでここのカラオケボックスなんだ?いつものところじゃないよな?」

 向かい側に座る瞳を見ながら、樹は素朴な疑問を投げかけた。その疑問に横目でチラっと扉に目線を注いだまま瞳は小声で答える。


「あっちには……ないからなぁ」

 その声はやけに低く、言い終えたあと、一拍おいてから口元だけで微笑んだ。

 まるで何かを一人だけ知っている者のような、妙に意味深な笑みだった。


「え?」


 聞き取れなかった瞳の答えを再度聞こうと耳を傾けた樹だったが、その瞬間聞きなれたイントロが流れ始める。


「俺!まずはこれから歌う」

 マイク片手に大声で宣言した祥吾が、流れたきた曲に合わせて歌い始めた。

「いつも……この歌からだよね」

「そうそう。でさ、普段は大声のくせにカラオケで歌うとなぜか声が小さくなるんだよな」


 何回も聞かされている祥吾の歌声に、苦笑いを浮かべるむーさん。そしてアイスティーを手にしたまま翔琉がお決まりのツッコミをいれる。


 いつもの気心しれた仲間たちとの楽しいカラオケ――。


 だがその一角で、ふとニヤリと笑みを浮かべた瞳の表情が、樹の目に入った。

 その瞬間――彼の眼鏡の奥に、一瞬冷たい影が走ったように見えた。


  (……あれ?)

 気のせいだったのかもしれない。けれど胸の奥に小さな棘のような違和感が残る。

 だがその思考は、再び祥吾の大声にかき消された。


「俺!この曲マジで得意なんだからなっ!」

 イントロの合間に叫ぶように言う祥吾に、

「そう言って毎回音程外すよなあ」

 と、笑う翔琉の言葉にみんなの笑い声が弾ける。


「おーい!撮るよ」

 掛け声と共に、樹がスマホのレンズをみんなに向ける。

「お! かっこよく撮ってくれよな」

 元気よく祥吾が、片腕を高く挙げてピースサイン。それに釣られるようにみんなも笑顔で応える。


 ――いつもと変わらない、楽しい時間。

 その片隅に浮かんだ、瞳のあの微かな笑みだけが、妙に残っていた。

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