第23話「父の想い」

 11月下旬。学生をしながら選手権を戦っていくのに限界を感じていた怜は、この年初めてレースに全てを注ぐことを決めた。

 プロを目指すライバルたちと同じように、翌シーズンのレース資金を貯めるため、地方へ泊まり込みのアルバイトの旅に出る決心をした。

 それは、父親と交わした学業優先の約束を破ることになる。

 怜は、その許しを請うために、久しぶりに父親がいる時間に家に帰り、覚悟を告げた。


 「⋯⋯仕方ないな。

  そういうことならまあ、この一年精一杯やってみろ」

 怜の父親は、意外にもアッサリと許してくれた。

 拍子抜けしたが、いつものように頭ごなしに反対されたら、そのまま旅立つつもりで準備した旅支度が徒労となった。


 「怜⋯⋯おまえ、速いんだってな?

 レースの事は俺にはよくわからないが、

 知り合いのオートバイ好きの連中が言ってたよ。

 レーサーってのは、なんだ、命懸けの仕事なんだろう?

 もう、おまえも大人だ。

 後悔がないように⋯⋯、よく、考えて決めるんだな。

 俺は、俺たちの生きた時代は、生活していくことにやっとだったから、好きな事をするということは罪悪だったんだよ。

 とにかく、この国が皆貧しかったんだ。

 おまえは、自分の信じた道を行け」


 そう言うと、父親はリビングボードからとっておきのウィスキーボトルを取り出し、「とくとくとく」とテレビCMのような心地よい音を立ててグラスに注いだ。


 いつも身体の何処かに包帯を巻き、家にいる時はグッタリと寝込んでいるかと思えば、毎晩遅くにオイルとガソリンの匂いをさせて帰ってくる息子の本気を、父親なりに見守っていたことを怜は初めて知った。

 怜は渡されたグラスを黙って煽った。

 父親と交わす初めての酒は、辛くてほろ苦い味がした。

 


 翌日、怜は地元を離れた。

 先に旅立った茂樹やチームメイトの紹介で、地方の工場や人手の足りない農家に泊まり込んで、2月に開幕する来年シーズンのレース資金を貯める為に汗を流した。

 シーズン中はレースに集中するために暮らすだけの蓄えが、プロライダーになるために必要だった。

 初めて訪れる街の工場では、腕っぷし自慢の荒くれたちが怜を出迎えた。

 多くを語らない怜に絡んでくる若者もいたが、怜の瞳に宿る覚悟に気づき揉め事には至らなかった。

 やがて同じように夢を叶えるために、故郷に大切なものを置いてきた者が怜を見つけ、息をするように打ち解けていった。

 知らない街で、名前も年齢も知らない、「また、いつか」と誓いあう友人が増えていった。


 1月下旬。待ちに待ったニューマシンがレッドファクトリーに届いた。

 その知らせで怜は地元に帰ってきた。

 過酷な労働環境で鍛えられた怜の身体は、ふた周り大きくなっていた。

 それを操る心もまた、それ以上に逞しくなっていた。



 2月上旬、シリーズ初戦。

 怜は富士スピードウェイのスターティンググリッド最前列に並んでいた。


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