第5話「その先へ」

 (ギャッーーー キュッキュッ キャァァァァ ア⋯⋯ ガシャァァァ)

 「ぐぁッ 痛ってえぇ!! また同じところ⋯⋯」


 富士スピードウェイ、4月。

 今年から130R前に「シケイン」が新設された。

 シケインとは、高速で走行するサーキットの中でも特にスピードが乗り、大事故が起きるコーナーの手前に作られるコーナーで、大抵は十分に速度を落とさなければ通過できないように、左右小さく切り返す直角コーナーが二つ設置される。


 シケインが作られた理由は、昨年のシリーズ戦の最中、130Rでバンクを飛び出したマシンが炎上し、ライダーは死亡した。

 富士スピードウェイは国内屈指の超高速コースで、兼ねてよりこの130Rの危険性は指摘される中での事故だった。


 国内最長の1.5Kmのメインストレートの後、第1コーナー出口の下り坂をフルスロットルで駆け下りる。

 続く緩い左カーブは身体の芯をおいて行かれる加速で駆け抜けた先に、壁のように立ちはだかるバンクの130Rをドリフトを駆使して駆け上がる。

 そのスピードとGで、ライダーの意識は押し潰され視界は霞むほどだ。もしその勢いでバンクの外側に飛び出した時の衝撃は想像を絶する。


 怜は130Rが好きだった。

 オートバイを乗り始めてからずっと、タイヤを滑らせる走り方をしてきた怜にとって、このコーナーはパワー優位のマシンを追い抜く絶好のパッシングポイントだった。

 そして何より、バンク最下部のクリッピングポイントでGに押しつぶされながら、重力にあがらいバンク頂上まで駆け上がる、突き抜ける瞬間が好きだった。

 今日、怜は、この怜の強みを奪おうとするシケインの攻略に挑んでいた。

 しかし、二本目の走行を終えて既に2回、怜はこのシケインコーナーで転倒し、ダメージを負っていた。


 こうしたコースやレギュレーションの変更はシーズン中にも度々あった。それ自体はライダーの安全を守るためのものだったが、怜はその度によく転んだ。

 こういった変更への対応の仕方はライダーそれぞれで、限界を超えないようにジワジワと限界に近づくライディングをする者もいたが、怜はいつも一気に限界を飛び超える。

 超えてみて、未知の領域に対応しながら限界付近に戻していく乗り方だった。

 怜は何度も転び、何度も立ち上がる。

 そして転倒に慣れる事はしなかった。

 恐怖心を失ったら死線を超えて戻れなくなる。

 だから怖い気持ちを麻痺させることもしなかった。

 何度転んでも痛いし怖いまま、恐怖が心に刷り込まれる前に乗り越える。

 乗り越えるまで決して止めない。

 それが今日の怜の挑戦だった。


 練習走行1回目、開始5分。タイヤが温まったばかりでシケインの切り返しで転倒、ピットイン。左肘を打撲傷、マシンも壊れているが軽症。応急処置をしてすぐにピットを飛び出していく。

 そこから、時間いっぱいシケインを攻めるが攻めきれないままタイムアップ。

 練習走行2回目、開始10分でまた転んだ。

 1回目と同じカーブ。打ったのもまた同じところ。

 既に腫れ上がっている患部を2度打つと、ヘルメットの中でも髪の毛が逆立つことを知る。

 後続車両に轢かれる事を忘れ、怜はコース上をのたうちまわった。

 マシンを起こし再びコースインするが、曲がったギアシフトが上手く動かず、攻めきれないままタイムアップ。

 そして、怜の心の深い芯の部分に、恐怖が刻印されたのがわかった。

 そのコーナーが近づくと、心拍が早まる。

 身体がこわばり無意識にブレーキを握ってしまう。

 本能が危機を避けようとする。

 だから怜はまた走った。

 予定は二本目までだったが、追加で走行時間にエントリーする。


 三回目は絶頂に怖い。だから怜は思いっきり攻める。転んだカーブを、自分の限界を超えていく。

 「おおおおっ!! 痛てえぞぉー! 怖いぞぉー!」とヘルメットの中で叫びながら。

 三回目。やっぱり同じところで怜はコケた。そしてまた同じ所をぶつけた。体中が痺れた。痛くて、怖くて、もう何が何だかわからなくなった。

 だから怜はまた走った。

 ピットで見守る遥と茂樹の心配も乗せて走った。

 そして、四回目はコケなかった。

 恐れは消え、新コースのベストタイムを刻んだ。

 怜に、またひとつ得意なコーナーが増えた。


 その後が大変だった。

 痛くて、痛くて、ピットの中で遥にアイシングしてもらったが、肘は異様な形に腫れ上がっていた。

 医務室で診てもらうと、骨のかけらが皮膚の中にプニプニと動いていた。

 肘の先端の骨が剥離する骨折をしていた。

 その骨はもうもとには戻らなかったが、怜が恐怖に打ち勝った証がその傷に残された。

 怜の身体には、沢山の証が刻まれている。


 怜は怖いものに反射的に向かっていく。

 「怖いときは加速しろ」

 怜の頭の中で誰かが囁く声がする。

 怜はその度に、「怖いぞー!!」と叫びながらアクセル開けて加速する。

 ビビリながら、前進することを決して止めない。


 怖さを知って、その自分を受け容れて始めて届く、「速さ」とか「強さ」というものがある。

 その壁を越えた者だけが見ることができる世界があることに、怜は気づき始めていた。

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