第4話「ファミリーバイター1」

 (ガーー ぴぃんぽーん、ぴぃんぽーん)

「いらっしゃいませー!!」

 駅前から少し外れたコンビニ。

 威勢のいい、来客御礼の挨拶がこの店の売りだ。

 ここは怜が勤務する地元のファ◯マだ。

 ちょっと間の抜けた店長と、個性的な店員たちに巻き起こる珍事が絶えない愉快な職場だ。


 怜がこのアルバイトの面接に訪れたのは二週間前。

 電話で面接の日取りを決めた、声の通る男が店長だった。

 怜が想像した通り、色白に痩せぎす、喉仏がやけに目立つ胃腸が弱そうな中年男だ。

 まったりとした、気だるそうな口調とは逆に、やたらと声が通る。

 店のロゴが入ったエプロンの下に着ている、ヨレヨレのカッターシャツとシワシワのスラックスは怜の想像どおりだった。

 ハゲていない。むしろ黒黒とした豊かな前髪で顔がよく見えない。

 時折邪魔そうに前髪をかき上げる仕草は、地下アイドルの親衛隊でもしていそうな風体だったが、不思議とオタク臭はしない。

 カウンター奥にある薄暗いバックルームで、面接が始まった。


店長「⋯⋯ あーー 専門学校の学生さんなんだ、ねぇ」

怜「はい。工学系のことを学んでます」

店長「へー、偉いね。エンジニアになるんだ? ⋯⋯学校は何処なの?」

怜「どこ? ⋯⋯あぁ、渋谷です。井の頭線の渋谷駅から歩いて5分くらいのところです」

店長「そう。平日希望だから⋯⋯、学校帰りに渋谷から直行かな?」

怜「はい。多分そうなると思います」

店長「学校は、⋯⋯東急プラザの方?」

怜「え? はい。プラザを通り過ぎて、国道246の歩道橋を渡った坂のところです」

店長「ああ、『ジョイタイム』の近くかな?」

怜「ええ? その手前です。よくご存知ですね⋯⋯」

店長「あーー、ごめんごめん。昔ちょっとバンドやっててね。道玄坂にライブハウスあるだろ? よく通ってたんだ」

怜「へー、凄いっすね。自分は楽譜とかぜんぜん読めないんで。音楽できる人凄いなと⋯⋯」

店長「そんな大したもんじゃないけどねぇ。今こんなだし、ははは」

怜「⋯⋯はぁ、そういうもんなんですか」

店長「⋯⋯」

怜「⋯⋯⋯⋯」

 間が持たなくなって怜が店長を見ると、薄暗いバックルームの中で、店内を映したモニターの逆光で見えなかった店長の顔が、薄っすらと見えた。

怜(うおっ、すごいイケメン!?)

店長「あーー、じゃぁ、シフト、いつから入れる?」

怜「え? あ! 来週から大丈夫です」

店長「そう。⋯⋯うちは今日からでも良いんだけどねぇ、僕のシフト減らせば良いし、ははは」

怜「あ、じゃぁーー」

店長「うん。合格。今月のシフト組んで連絡するから今日は⋯⋯、出勤できない日だけこれに書いて行って。はい」

怜「ありがとうございます!」

店長「それ書いたら、いまいる子たちに紹介するからーーーー」

 そう言うと、痩せぎすの不健康そうな店長は、薄暗いバックルームから、照明に照らされたレジカウンターへ出ていった。

 怜の目には、その逆光眩い後姿が、黒い革ジャンを纏ってステージに飛び出てゆくバンドマンに見えた。


怜(バンドマン店長、ヤバいな⋯⋯ みやびどうしてるかなぁ)


 その日、店長が紹介してくれたのは、休日の昼シフトの主力チームだった。

 陳列棚で品出しをしていたのは、君は何年主婦をしてるんだい?と聞きたくなるくらい、手際よく仕事をこなす同学年の姉御肌の女子、やまねッチ。

 飲料の在庫チェックをしているのは、よくしゃべり、女子の好きそうな雑学は何でも知っている仕切り屋で、ちょっとオネエが入った自称意識高い系男子、たみやん。

 まだ見学中の怜に早々に仕事を教えようとするセッカチ、世話好き女子のフチ子さんだ。

 その他、地方から出てきて大学に通うために独り暮らしをする苦学生、夜勤専門の寡黙なハンサム男子、流星。

 そして、この店のマドンナ。怜とシフトが被らない幻の美人女子大生、桜子さんは、怜と会わないようにシフトが組まれていた事を怜が知るのは、まだ先のことだ。

 こうして怜の初めてのコンビニ店員の仕事がスタートした。


「夜10:30のお得意さま」

 怜が平日夕方のシフトに入って5日目、金曜の夜に気がついた。夜10:30に決まって店の前に乗りつける黒塗りのハイエースが来ることに。

 スライドドアが開くと何人乗っていたのかと言う人数のお姉さんたちがワラワラと出てくる。お姉さんたちは皆、何処か異国の言葉を話している。夕方にとまり木に集う小鳥のように、店内はお姉さんたちのさえずりで賑やかになった。

 「フチ子さん、あの、お姉さんたちって毎日来るの?」

 「あぁ、うん。毎日この時間に来るよぉ。駅前の美容室の人たちだと思う」

「へぇ⋯⋯、いつもこの時間?」

「そうだね。たぶんお店を閉めたあとに寄るみたいだよ。みんな寮に住み込みで働いてるって、友だちに聞いたことある」

 フチ子さんの家はこの店から徒歩圏内、ここは彼女は地元だ。仕事のこと以外も大抵のことは彼女に聞けばわかる。


 怜は翌週のシフトから、その時間の少し前になるとおでんをたくさん仕込み、売場に立つようになった。

 お姉さんたちは、必ずおでんを買っていくからだ。彼女らはいつも決まったおでんの具を拙い日本語でオーダーする。

「ダイコン、と、タマゴ?、あとコンニャク、クダサイ」

 怜はそのオーダーの他に、きんちゃく、がんも、といった、「売れ残り」として除けてあったものをサービスで容器に入れた。

 初めは、驚いていた彼女たちも怜の慰労のサービスとわかると、必ずおでんを買ってくれるようになった。



◯ヘビーなフードロス対策

 (ガーー ぴぃんぽーん、ぴぃんぽーん)

「いらっしゃいませぇー⋯⋯」

 午後9:10、遅めの帰宅客で賑わう店内の空気が一瞬で凍りついた。

 自動ドアは開いたまま。レジカウンターの前に眼光鋭い強面の男が立っている。

 長い黒髪を後ろで縛り、黒のスキニーパンツ、ドクロのプリントのボロボロのダメージTシャツを纏い、指先をカットした皮の手袋をしている。

 腰に巻いた大量の鎖が歩くたびに、ジャラジャラと音をたて周りを威嚇する。

 男は騒然とする店内を一瞥すると、ズルズルとハイカットのブーツの踵を引きずる音を立てながら店内を徘徊し始めた。

 バックルームで納品された弁当のチェックを済ませ、ケースに入れた弁当を陳列棚の前にしゃがみ込んで入れ替え作業を始めた怜に気づくと、男はゆっくりと近寄って行った。


 レジカウンターで精算していたヤマネっちと精算待ちの客は固唾をのんだ。陳列棚で品出しをしていたフチ子さんは、数人の女性客と棚の隙間から怜の安否を伺った。

 怜は男に気づいていない。

 陳列棚に並ぶ、間もなく賞味期限が切れる弁当をケースに放り込み、新しい弁当を並べていく。


 「!! 怜くん!! 逃げて!!」

 怜の背後に立った男が、高々とあげた腕を怜に振り降ろそうとしているように見えたフチ子さんが叫んだ。

 フチ子さんの声に反応して怜が振り返ると、男はニヤリと笑い手に持っていた何かを、怜に向かって振り下ろした。

 「キャァァァァーー!!」

 ヤマネっちがレジカウンターの中で悲鳴をあげる。店内は騒然とした空気に包まれた。

 怜の安否はガッチリした男の背中で見えない。フチ子は売り物の「サラン◯ップ」を握りしめると男の背後に駆け寄った。


怜「!! よお ⋯⋯ 来たんだ」

男「おう ⋯⋯はい。これ」

怜「⋯⋯ おおっ サンキュー」

男「景品は、このスクラッチカードを自分で削ってくれ」

怜「おおおおっ すげーな! こんなに!?」

男「100枚ある。10個くらいは当たるだろ」

怜「サンキュー。妹が喜ぶんだよ。⋯⋯ ハイこれ。好きなのとってくれ」

男「⋯⋯⋯⋯ チキン南蛮と⋯⋯牛丼がいいな」

怜「食うねぇ。カレーも持ってけよ」

男「サンキュー。上がりまだだよな?」

怜「11時なんだ」

男「じゃ、店の前で食ったら帰るわ」

怜「おう、岩谷。あとで珈琲持ってくから」

男「サンキュー。じゃ」


 怜に手を振りながら男はホクホクした顔で、廃棄弁当の袋を持って店の駐輪場の前に座り込んだ。

 怜の手には、「Mr.ドー◯ツ」のロゴの入ったの箱と、人気景品の抽選カードの束が握りしめられていた。


 フチ子とヤマネっち、店内が一斉にため息をついた。

 

 怜のバイト先の近くには「ミス◯」があった。そこには怜の高校の同窓生、岩谷いわたにがアルバイトをしていた。その男だ。

 彼は9時の閉店を任される古参のアルバイトだ。月曜から土曜まで、ほぼ毎日、店を閉めた後に腹をすかして怜が働くこのコンビニにやって来た。

 怜は彼がやって来る頃を見計らい、期限切れで廃棄することになる弁当と、店を閉めた時に廃棄するドーナッツをトレードした。彼にもらったドーナッツは、ファ◯マのバックルームに置かれ、勤務するアルバイトやその家族へのお土産として振る舞われた。


 岩谷は、食べ終わると雑誌をひとしきり読んで帰っていく。

 しばらくすると怜がいない時にもシフトの誰かが彼に廃棄弁当を渡し、ドーナッツを受け取る事が、ゴミの廃棄コストとフードロスへの対策として市の表彰を受けた事を怜が知ったのは、この店を辞めて何年も経ってからだ。


◯「鮮やかなKO」

 日曜の朝、怜は民やんの代わりにヘルプに入っていた。早朝の勤務は初めてだった。朝いちのシフトの最初の仕事は、夜勤を一人で受け持つ流星との引継だ。

 日曜シフトの主婦パートが来る前に、少し早めに怜が店に着いたとき、カウンターの中で立ち尽くす流星の異変に気づいた。


 怜「流星、おい、流星? どうした?」

 流星「⋯⋯」

 怜の呼びかけにしばらく遠くを見ていた流星は、急に我に返ったように眼の色が戻り、昨夜この店に起きた出来事を興奮した口調で話し始めた。

 流星「あっ⋯⋯、怜。おれ⋯⋯、昨夜凄いの見ちゃって⋯⋯」

 店は駅に近いこともあり、夜の客は繁華街で飲んだ酔っぱらいも多かった。昨夜は土曜の夜。案の定、ちょっと絡み癖のある中年サラリーマン風の酔っぱらいが店の中でグダを巻いていたという。

 流星は夜勤専門というだけあって、そんな客のあしらいは慣れていた。しかし、その夜の酔っぱらいはたちが悪かった。

 一人でグダを巻いている分にはよかったのだが、その酔っぱらいは他の客に絡みだしたのだ。

 いわゆる「絡み酒」だ。

 店内をフラフラと練り歩き、学生や女性客に絡んで行くのを、ちょうど運悪くレジカウンターが立て込んでいた流星は脇目で追うしかなかった。


 しばらくすると店の中には、その酔っぱらい以外の客がいなくなってしまった。

 (困ったなあ、そろそろ退去してもらうか。吐かれても困るしな⋯⋯)


 酔っぱらい意外の最後の客の精算をしながら、流星がそんな事を考えていた矢先、店の前に真っ黒いベンツが停まった。

 運転席から急ぎ足で降りてきたのは真っ黒のスーツ、夜なのにサングラスをかけた、いかにも、という男が店に入ってきた。


 流星はその男の急ぎようでは、すぐにレジに来ることを悟ってカウンターの中で待った。

 男は捜し物があるようで早足で店内をぐるっと一回りすると、日用品の前で目的の物を見つけたらしく一度立ち止まり、酔っぱらいと出会ってしまった。

 流星はレジの前で心臓が掴まれたような息苦しさに耐えながら、何も無いことを祈った。


 しかしその黒服の男は、酔っぱらいに目もくれず飲料コーナーの前でカゴに飲み物を入れ始めた。

 流星はそこで胸をホッとなで下ろしたが、あろうことか、その酔っぱらいは黒服の男を追いかけていき、ドリンクホルダーからコカ◯ーラの1リットル瓶を取り出している黒服の男に絡んでいった。

酔っぱらい「おうおうおう ⋯⋯⋯⋯⋯⋯ 兄ちゃんよう ⋯⋯⋯⋯ あ、おっさんか?

 俺よう、課長に言ってやったんだ⋯⋯

 あれ?なんだっけ」


 しかし黒服の男は、そんな酔っぱらいを無視して手際よく飲み物をカゴに入れていた。しかし、そんな男に調子づいたのか、男の方に手をかけようとしたときだった。

 (((バッカーン!!!)))

 店中に轟音が鳴り響いた。

 黒服の男は、 持っていた1リットルの硝子瓶で酔っぱらいの頭を殴りつけた。

 その一撃で瓶は粉々に割れ、酔っぱらいは床に突っ伏した。

 あまりに鮮やかな一撃だった。

 流星はレジカウンターの中で呆気にとられていた。

 黒服の男は、何もなかったようにレジに向かって歩いてきた。

 流星は、このあとどうなるのか、自分の悲劇を想像して身を固めた。

 黒服の男はカウンターにカゴを置くと、会計するよう顎で流星に促した。

 流星が、慌てて商品を袋詰めしていると、男は初めて声を発した。

 男「にーちゃん、店、汚して悪いな」

 流星「!!!!」

 自分もこのコカ◯ーラの瓶で殴られると覚悟した流星は、目を閉じ頭を腕で抱えて身構えた。

 流星「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

(ガーー ぴぃんぽーん、ぴぃんぽーん)


 自動ドアの閉まる音を聞いて、恐る恐る目を開けると男はもういなかった。

 店の外のベンツもない。

 流星は大きく息を吐き安堵すると、カウンターに一万円札が10枚置かれている事に気づいた。


 その後、流星は警察に電話をして、KOされた酔っぱらいの救急搬送を見送り、警察の聞き取りに協力し、コカ◯ーラでベトベトになった飲料売り場の床掃除を終えたのがついさっきだという。


 怜は、流星に心からお疲れさまの慰労を伝えた。

 そして、その黒服の男はきっともうここへは来ないのだろうと、少し残念に思った。

 「捕まらないと良いけどな⋯⋯」

 怜もその「本物」に会ってみたいと思った。

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