第3話 ゾンビと友達になった日


 そんなこんなあったのち。

 僕は今、ギャルゾンビさんと一緒にオフィス内にあるソファーの上に座っていた。横に隣り合う形で。

 ちなみにどうしてこんな事になっているのかというと、どうやら僕を襲う意思は無さそうだし、とりあえずどこかに座りませんか、とこっちからお誘いしてみたのだ。

 いや、ゾンビに意思なんてあるのかどうかなんてわからないけれど。

 ともあれ、今まで遭遇したゾンビの中で唯一コミュニケーションが取れる希少な存在だ。であれば、少しでも情報を引き出したい。

 この最悪な状況をひっくり返せられるような、そんな大きな情報を。

 なんて考えている内に、不意にギャルゾンビさんが僕の肩を指でちょんちょんと触ってきた。

「ひゃっ!?」

 本当に突然だったので、つい反射的にソファーから飛び上がってしまった。

「あ、すみません……。まだゾンビに慣れていないというか、やっぱりちょっと怖いと言いますか……」

 などと頭を下げる僕に、ギャルゾンビさんは「かまへんかまへん」とばかりに緩く片手を振ってきた。

 関西弁だったのは、雰囲気的になんとなく?

「えっと、とりあえず色々と質問したい事があるんですが、いいでしょうか?」

 と、ソファーに座り直してギャルゾンビさんに訊ねてみる僕。

 すると、すぐOKサインで応えてくれた。

 ゾンビになっていなかったから、きっと満面の笑みを浮かべていたんだろうなあってくらいの軽さで。

 ほんと、つくづくフレンドリーなゾンビだ。

「……じゃあまずは最初の質問ですけど、あなたはゾンビって事でいいんですよね?」

 そう訊くと、ギャルゾンビさんに首を傾げられた。

「え? じゃあゾンビじゃないって事ですか?」

 今度はさらに深く首を傾げられた。

 どういう事なのだろう? 自分じゃゾンビかどうかはわからないって事。

 詳細を聞きたいところではあるけれど、なにぶんギャルゾンビさんは喋れないしなあ。

 なんて少しの間だけ悩んでいると、何か良い事でも思い付いたのか、ギャルゾンビさんが唐突にポンと手を叩いた。

 それから、飛び出したままの贓物から人差し指で血を掬い取って、ゆっくり目の前にある白いテーブルに文字を書き始めた。



 ていうか文字書けるの!?



 いや、こうしてジェスチャーができる時点で文字くらい書けても不思議じゃないんだろうけど、それでも色々と衝撃的すぎる。

 そうして目を瞠りながら、ギャルゾンビさんが最後の文字を書き終えた時点でテーブルを見てみた。



《ウチにもよくわかんないんだよねー。なんか知らない間にこうなってからさー》



 え。

 よくわからないって、どういう意味……?

「それって、ゾンビになった時の記憶が無いって事ですか?」

 続け様に質問を重ねる。

 するとギャルゾンビさんはテーブルの血文字をブレザーの裾で拭き取って、

《うん。ていうか、なんでここにいるかもわかんないし、自分の名前も家もよくわかんなーい笑》

「いや『笑』って……」

 笑っている場合じゃないと思う。

 というより、笑えないよ。

「それって記憶喪失ってやつじゃ……。えっと、今の元号はわかりますか?」

《れーわっしょ?》

「じゃあ日本の最北端にある県は?」

《ほっかいどーっしょ?》

「正解です……」

 全部ひらがな(『い』に至っては伸ばし棒になっている)ではあるけれど。

 とりあえず、一般常識は問題ないみたいだ。

 という事はエピソード記憶障害──今まで体験した出来事をすべて失くしてしまったというわけか。

 小説だとあるあるの設定ではあるけれど、まさか現実にそんな人物と出逢えるとは思ってもみなかった。

《そーいえばさー、目隠れちゃんはなんていう名前なん?》

「目隠れちゃん……」

 確かに前髪が長いせいで、傍目には両目が隠れているように見えるけれども。

 それはともかく、確かに言われてもみれば、まだ名乗っていなかったっけ。

小山内おさないひかるです」

《じゃ、ひかるんね》

「ひかるん……」

 初対面でまだ会って間もないのに、もう渾名を付けらてしまった。

 いやいいんだけど、いいっちゃいいんだけども、なんかちょっとこそばゆい。

 渾名なんて小学生以来だからなのかも?

《ひかるんは中学生?》

「あ、はい。十四歳です。そちらは高校生……で合っています?」

《さー? でもせーふく着てっから、たぶん高校生で合ってんじゃね?》

「背も高いですしね」

 パッと見、僕より10センチは高い165センチはありそうな気がする。それでいてプロポーションもいいから、制服さえ着ていなかったから女子大生でもいけそうだ。

「それにしても、なぜ記憶を失ってしまったんでしょうか。ゾンビ化の影響?」

《ゾンビになるとウチみたいになるん?》

「さ、さあ……。そもそもこうしてコミュニケーションが取れる事自体、初めての経験なので……」

《そーなん? ウチ以外にはいなかったん?》

「はい。一人も」

 探せばいるかもしれないけれども。

 そう言うと、ギャルゾンビさんは「そっかー」とばかりにゆっくり頷いた。

《じゃ、ゾン友はウチだけってことになるねー》

「ゾン友……あ、ゾンビ友達の略ですか?」

《そそ。めっかわじゃね?》

 またギャル特有の謎の略語が出てきた。

 たぶん「めっちゃ可愛い」の略なんだろうけれど、一瞬戸惑ってしまう。

 ギャル語なんて普段から言われ慣れてないし……。

「というか、僕達って友達……なんですか?」

《? ウチはひかるんのこと、ふつーに友達だって思ってるけど?》

 一切の迷いのない動作で書かれた文章。

 その文章を読んで、僕はとっさに顔を伏せた。

 おそらく真っ赤になっているであろう自分の顔を隠す形で。

 うわあ。

 うわあああ。



 と、友達なんて久しぶりに言われた〜!



 しかもこんな面と向かって──なおかつ初対面の人に言われるなんて。

 実際は「言われた」じゃなくて「書かれた」の方が正しいけれど。

 なんにせよ、恥ずかしい!

 というより、すっごい照れる!

 いや嬉しいけれど、こんなのまるで青春小説みたいじゃん!

 しかも向こうは当たり前のように友達と思ってくれているわけで、まるでコミュ力最強のヒロインといきなり仲良くなってしまった、ぼっち系主人公にでもなったような気分だ。

 ぼっちとギャルとの交流なんて、物語の中だけの世界だと思ってた……。

 けどそれも、相手がゾンビだからかもしれない。

 もしもこれがゾンビじゃなくて普通のギャルだったら、こうして普通に会話が成り立っていたとは思えない。コミュ障な僕の事だから、きっとあわあわしながら受け答えしていたと思う。

 いや、今だって決して戸惑っていないわけじゃないけれども(何せ相手はゾンビだし)。

 それでも。

 初対面に関わらず、こんな根暗そうな奴とも親しげに接してくれるという事実が何より嬉しかった。

 と、とりあえず返事をしなきゃ。相手がゾンビとはいえ、ちゃんと答えなきゃ不誠実だ。

「あの、ありがとうございます……友達って言ってもらえて嬉しいです」

 ちょっと時間を置きつつ、ギャルゾンビに向き直って素直な気持ちを伝える。

 するとギャルゾンビは、「ウェ〜イ」と言わんばかりに片手を上げてきた。

 おそるおそる僕も手を上げると、ギャルゾンビさんの方から手を合わせてきた。

 お、おお。

 こ、これがウェ〜イ勢がよくやるハイタッチか。

 初めてのハイタッチだ……。



《にしても、ウチってほんとにゾンビなんだー》



 と。

 僕が初ハイタッチに感動している間に、ギャルゾンビさんが再びテーブルに血文字を書き始めた。

《なんか気づいたら片目出てるし、お腹からも色々出ちゃってるし。ウチ、ひょっとしてかなりヤバくね?って思ってたけど、そっかー。ゾンビだったかー》

「え。じゃあ今まで、なんだと思ってたんですか?」

《メイクかなって。刑事ドラマの死体役とか、そういうやつで》

「昨今のドラマでも、そこまでエグい死体役は出ないと思いますよ……?」

 なにせ見た目は子供、頭は大人のミステリー作品でさえクレームが来るような時代なのだから。

「というより、他のゾンビに会ったりはしなかったんです?」

《してないよー。目が覚めたの、今日の朝だったし》

「……つまり、それまでの間にどこかでゾンビに噛まれたって事になりますね。近くに他のゾンビとか見かけませんでした?」

《ウチ以外のゾンビなんて見てないよ?》

「それなら、こことは違う別の場所で噛まれて、ゾンビ化する前にこの駐車場に来たって可能性もありますが……」

 でもギャルゾンビさんが記憶喪失になってしまっている以上、これまでの経緯を探るのはかなり難しいように思える。

 誰か、ギャルゾンビさんの顔見知りでも見つかれば違ってくるんだろうけれど。

「ちなみに今はお昼ですけれど、それまでは何を?」

《その辺ウロウロしてた。どっかにじじょーを知ってる人いないかなあってこのビルの中を歩いてたんだけど、誰もいなくて草》

「草って」

 だから笑っている場合ではないと……。

《つーかこの体、めっちゃ歩きづらいんですけど。ひかるんを見つけた時はさすがに本気出して走ったけどさー、ちょーつかれる〜》

「疲れるって、ここまで一緒に来る時、普通に歩いてませんでした?」

《あーね。でも、あれはあれでちょいしんどかったかなー。ほんとはもっとゆっくり動きたいくらい》

「そうだったんですか……」

 言われてもみれば、遭遇した直後は他のゾンビみたくノロノロと動いていたっけ。このギャルゾンビさんの場合、普通に歩くだけでも疲弊感が伴うようだ。

 ゾンビだから疲労なんて無縁だと勝手に思い込んでいたけれど、案外そうでもないらしい。

 ひょっとしたらアキカさんだけが特別って可能性もなくはないけれど。

 ん?

「あれ、ちょっと待って。もしかして他のゾンビもその気になれば走れるって事なんじゃ……」

《そーなん? でもウチ以外のゾンビが走ってるとこなんて見たことないんしょ? だったらウチだけなんじゃね? 知らんけど》

「そう、ですね……」

 確かに走れるならとっくに走ってきているはず。

 なにぶん確証はないから、もしかしてギャルゾンビさんみたいな特殊な例が他にいる可能性も捨てきれないけれど。

 なんにせよ、これまで以上にゾンビを警戒しなければならない事が増えてしまったのはかなり厄介だ。

「はあ……これからほんとにどうしよう。とりあえず今のところは安全だって事はわかったけれど、いつまでもここに残るわけにはいかないし……」

 一応肩から下げているショルダーバックに、節約すれば二日分くらいの水と食料はあるけれど、言い換えれば、それが無くなったら命に関わるという事でもある。

 このオフィスビルに食料があるとは思えないし(それ以前に施錠されているところが多々ある)、なんとかして外へ出て食料を確保する必要があるわけだけれども。

「また僕ひとりで、か……」

 深夜になればゾンビの活動も収まるけども、だからと言って襲われないという保証はない。

 逆に道が暗いと、思わぬ形でゾンビと遭遇する危険だってあるわけで、朝や昼よりはマシとは言っても、よほどの事でもない限りはあまり出歩きたくはなかった。まして、僕ひとりだけなんて。

 と。

 こんな世界になってから、ようやく話せる人(相手はゾンビだけど)に会えたというのに、状況的にはさほど好転していない事に嘆息を吐く僕に、ギャルゾンビさんがはてなと首を傾げた。

 こいつ何言ってんだ? みたいな感じで。

《ひかるん、ひとりでどっか行くつもりなん?》

「え? まあ、はい。このままここにいても、食料もじきに尽きちゃうでしょうし」

《じゃあウチは?》

「えっ。ど、どういう意味です?」



《だから、ウチもいっしょに行くって話》



 その文章を読んで、僕は呆けてしまった。

 口をバカみたいにあんぐりと開けて。

《なにそのリアクション。草生えるんですけどw》

「あ、いや、ついびっくりしちゃって……」

《? びっくりするトコなんてあった?》

「だって、まさか一緒に付いて来てくれるなんて思わなかったので……》

《友達ならふつーに当たり前じゃね?》

「友達……」

 思わず復唱した。

 久しく言われなかった、そのたった二文字を。

 血文字で書かれているのに──絶望的状況は何も変わらないままなのに、見ただけでなぜか希望に溢れてくる『友達』という言葉を。

《そんじゃ、さっそく行こっか》

 そこまで書いたあと、ギャルゾンビさんが僕に手を差し出してきた。

 その手を、僕はおずおずと手を伸ばして握り返す。

 冷たい手だった。相手はゾンビなんだから、当たり前なんだろうけど。

 けれど、心なしか今まで握ってきた手の中で一番温もりを感じたような気がした。



 こうして。

 この街に来てから、僕に初めての友達が出来た。

 生まれて初めてのゾンビ友達だった。


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