第2話 ゾンビとギャルピース


 地下駐車場はまだ昼間というのもあって、薄暗くはありつつも歩くのに不便は感じなかった。その代わりいくつか車が停まっているので、その陰からいつゾンビが襲ってくるかもわからないという恐怖もあるけれども。

 ただ今のところ、周囲を見渡す限りゾンビは一人も見当たらない。あるいはまだ、ここにはゾンビが入ってきていないのかもしれない。だとしたら不幸中の幸いだ。

「はあ〜……」

 と、ひとまずそばの柱に寄りかかって座り込む。ずっと走りっぱなしだったせいで、足もガクガクだ。

「こんなに走り回ったの、すごく久しぶりかも……」

 というより、生まれて初めてかもしれない。

 街中を一日中走り回るのも、恐ろしい存在から必死に逃げ回るのも。

「はあ……」

 また溜め息をこぼす。今度は息を整えるためじゃなくて、心の膿を吐き出すような気分で。

「なんでこんな事になっちゃったんだろう……」

 逃げる最中やゾンビのいないところで休憩していた時にもさんざん考えた事を、こうしてまた膝を抱えて繰り返す。

 答えなんて見つかるはずもない問題なのに。

 今日まで死に物狂いで逃げてきた。それこそコンビニから食べ物を盗んでまでなんとか生き延びてきた。

 この終末のような世界の中、ずっと僕一人で。

 考えただけで体が恐怖で震える。さっきまで熱かったのが嘘のように手足が冷たくなっていく。



 一人でいるのは慣れていると思っていた。

 孤独なんて平気だと思っていた。



 でも、あの日が訪れるまで僕は気が付いていなかったのだ。

 孤独と孤立はまったく異なるものなのだと。 

 僕は、勘違いしていただけだった。

 本当の孤独は、こんなにも心許ないって事を。

 不安で心配で、頭がどうにかなりそうなほど辛いものだという事を。

 飢えはまだどうにかできる。気温も五月下旬だから暑さ寒さに苦しむ事はない。

 それでもこの言い様のない寂寥感と絶え間なく襲う不安感だけはどうしようなかった。

「お父さん、お母さん……」

 悲壮に暮れるあまり、そんな両親に助けを乞う言葉が無意識に漏れる。

 せめて、誰かがそばにいてくれたら。

 誰でもいい。幼い子でも男の子でもお婆ちゃんでもなんでもいい。

 お互いに励まし合える誰かが、僕のそばにいてくれていたら──



 カンッ。



 と。

 唐突に何かが転がるような音が、静まり返った地下駐車場内で響き渡った。

 弾かれるようにすぐさま立ち上がって、音が響いた方へと──奥の通路の方に視線を飛ばす。

 音の正体は空き缶だった。それがこっちの方へコロコロとひとりでに転がってきた。

 

 こんな風も吹く隙間のないようなところで?

 疑心が次第に恐怖人へと変わっていく。もしも自然現象ではなく、何者かの仕業だったとしたら?

 もしもそれが、



「ア…………アア…………」



 そいつは。

 そのは、さながら幽鬼のように奥に停めてあったワンボックスカーの陰からゆらりと現れた。

 小麦肌の金髪ツインテール。年齢は僕より二つか三つ上の女の人で、胸の谷間が見えるくらいブレザーと中のカッターシャツを着崩している。下も当然のようにやたら短いミニスカートで、いかにもギャルと様相だった。

 見るからに僕とは無縁なタイプというか、手首に巻いているピンクのシュシュとかネイルだらけの爪からして、これでもかというくらい陽の気を放っている。きっと普段から友達に囲まれくらい、とても明るい女子高生だったのだろう。は。

 片目から眼球から飛び出していて、下腹部から内臓がまろび出てさえいなければ──

「ひっ……!」

 思わず出かけた悲鳴をとっさに飲み込む。

 この三日間でわかった事だけれど、ゾンビは音に反応しやすい。だからゾンビから逃げようと思ったら、悲鳴や物音は厳禁なのである。

 それとゾンビは基本的に動きがノロい。なので距離さえあれば、逃げる事自体はそれほど難しくはない。ホラー映画やゲームではありがちな設定ではあるけれど。

 ご多分に洩れず、目の間にいるギャルっぽいゾンビも動きが遅い。距離も二十メートルくらいは離れているから、今なら逃げきれる。



 でも、外に出たところでどうなる?

 外もゾンビで溢れ返っているのに──だからこうして地下駐車場に逃げ込んできたっていうのに。



 というより、今ここから出たところで、出入り口付近にゾンビが大量に待ち受けていたら、それで一巻の終わりだ。どのみち逃げ場はない。

 むしろ。

 むしろ、今ここであのギャルゾンビをどうにかやり過ごした方が、まだ生存率が上がるのでは?

 もちろん、ここでギャルゾンビをやり過ごしたところで絶対安全とは言い切れない。

 まだ他にゾンビが潜んでいるかもしれないし、そもそも大量のゾンビが出入り口に押し掛けてきたら、地下駐車場そのものから出られなくなってしまうからだ。

 けれど、少なくとも今から大量のゾンビが徘徊している外に出るよりはマシなように思える。それになぜかは知らないけれど、大抵のゾンビは深夜になると活動が収まる場合が多い。つまり深夜までここで待っていた方が、今よりは多少安全な状態で外に出られるはずだ。

 そこまで思考したあとで、僕は覚悟を決めるようにギュッと着ているパーカーの裾を掴んだ。

 それからギャルゾンビを視界に入れつつ周囲を見渡す。

 よし。このままギャルゾンビから距離を取りつつ、駐車されている車を盾にしながら後ろのバンパーと壁の隙間を通り抜けよう。それからその奥にあるオフィスへ逃げ込めば、とりあえず一時凌ぎにはなるはず。

 そうして、僕の右手側──目算で十五メートル先に停まっていた軽自動車の後ろに回ろうと足早に移動しようとして、



 瞬く間に距離を詰められた。



「──────っ!?」

 驚愕と恐怖で声を失う。

 そんな、ありえない……これは何かの見間違え? それとも幻? 白昼夢?

 色々な憶測が脳内を駆け巡る。それくらい、目の前で起きた出来事が信じられなかった。



 だってまさか、ゾンビが普通の人間のように走ってここまで来るなんて!



「う、あ…………」

 足がもつれる。早く逃げるべきなのに、体が思うように動かない。全身が凍り付いたみたいに。

 その間にも、ギャルゾンビが呻き声を上げながら接近してくる。今度はゾンビらしく、にじり寄るようにゆっくりと。

 もうダメかもしれないと思った。

 今度こそゾンビに噛まれて、僕もゾンビになってしまうんだな、と。

 これで僕の人生も終わりなのかな──振り返ってみると、大して思い入れのない人生だったなあ。

 そんな追想をしながら、せめて苦しまずに死ねますようにと心中で祈りを捧げる。

 そうして、いよいよついに手が届く距離までギャルゾンビが肉薄してきたところで──



 ギャルゾンビが、僕の前で手のひらを返して逆さピースしてきた。



「……………………………………………………は?」

 え? どゆこと???

 なんでいきなり探してピース? 意味がわからない。というより何がなんだか全然わからない。

 なんて首を傾げていると、意図が伝わっていないとでも思ったのか、今度は両手で逆さピースしてきた。

「いや、ピースが足りないとかそういう問題じゃないです」

 あ、思わず突っ込んじゃった。

 するとギャルゾンビは、まるで「ウケる〜」とばかりに両手で指差してきた。

 えっと、うん。

 とりあえず、これだけは言っておこう。



「なんか絡みづらい!!!」


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