ep10 そこに至るまでの経緯

 サンドレア王国の北部、黒々とした針葉樹が続く静かな森。


 少し奥まった崖の岩場で静かに燃える焚き火は、そろそろ新たな薪をくべても良い頃合いだ。

 表面が燃えきって炭となった薪はじっくりと熱を持ち、火は赤々と一帯をゆるやかに照らしている。


 そんな仄かな灯りに照らされる中。


 ヴァンと俺は深く唇を重ねていた。


 俺がヴァンを押し倒した状態。たまに琥珀と灰色の視線をあわせ、角度を変え、唇に短く触れては、また深く舌を絡ませる。


 互いの熱を確認しては、その熱に自分の情欲を溶かすような、甘やかなキスを繰り返す。


 ……うん。

 いや、言いたいことはわかるよ。

 わかってる。


 この展開に至るまでの経緯、ならびに言い訳をさせてほしい。



+++++



 互いに名乗りあった俺たちは、短い問答をしばらく続けた。


 とりあえず俺はストレートに尋ねる。

「君は誰に仕えているんだ?」


「誰にも」

 …教える気はないらしい。


「逆に問うが、私が誰に仕えているかで君の私への振る舞いは変わるのか?」


「多少は」


「マルゴーン帝国は皇位継承争い真っ只中だからな。皇帝となり得る者と懇意にしたい、か」


「そんなところだ」


「スノーヴィアは強かだな」


「褒め言葉として受け取っておく」


 ヴァンからは彼自身のことを全くと言っていいほど聞き出せなかった。

 逆に俺はそのことに安堵する。


 彼が密談のためにサンドレア王国へ訪問に来ているのであれば、身分は明かせないし、口外もできない。


 第七皇子関係者であれば何ら問題はないが、いたずらに他の皇子と繋がりができることを俺は懸念していた。

 だが、ヴァンとの出会いがマルゴーン帝国とスノーヴィア領の未来に影響することはないだろう。


 その後もしばらく、ヴァンとはそんな問答を繰り返し、互いに出せる情報を出しきった頃。

 俺は食後に紅茶を入れることを提案し、ヴァンは快諾した。

 帝国でも茶は嗜まれる。好きなのかもしれない。


「君のグリフォンはここにはいない。明日はどうするつもりなんだ?」

 携帯用マグカップに紅茶を淹れながら、明日のヴァンの予定をそれとなく探る。


「モルローなら問題ない。あの子はあれで臆病だ。近くの森に潜んでいるだろう。

 明日になれば、呼び声で私の元にもどってくるさ」

 そう言いながら、ヴァンはどこか嬉しそうに紅茶の入ったマグカップを受け取る。


 モルロー……あのグリフォンの名か。

 あの巨体で臆病なのかよ。


 隙あらばすぐ居眠りするマルテが眠らず南東ばかり見ているのは、その方角にグリフォンが潜んでいるからかもしれない。


「他国との密談など、誰でもできることじゃない。君は表舞台では何をしているんだ?」


「質問が多い。次は私の番だ」

 探りを入れる俺を軽くあしらい、ヴァンは紅茶をすいと飲みきる。


 空になったマグカップを俺に差し出す。

 ヴァンのターン。おかわり所望ね。


「グレイという名。嘘ではないが、本名でもないだろう。周りの人間にそう呼ばれているのか?」


「…あぁ」


 なぜそんなことまでわかるんだ?

 内心驚きつつ俺は肯定する。


 俺の本当の名前はグレイじゃない。

 髪と目の色が何色にも寄らない灰色だから、メルロロッティ嬢や辺境伯、親しい者たちが愛称としてそう呼んでいるだけだ。


「ふぅん、なるほどな」

 ヴァンはそう呟くと、俺が紅茶を淹れる様子をじっと観察しはじめた。


 ちょっとしたやりとりでも、ヴァンは何かを察してくる。

 見透かされているようで、正直気が気じゃない。


 やめろ。

 その顔面偏差値で俺を舐めるように見るな。

 手元が狂うだろ!


「紅茶の淹れ方がうまい。主人はさぞかし紅茶にうるさいのだろうな」

 琥珀色の瞳を楽しそうに細める。


 従者ということが、たった今バレたらしい。

 何でだよ!?


「ふふ、君はわかりやすい。考えごとをしている時それが顔によく出ている。

 あまり嘘をつくのに向いていない性分だと、自覚した方がいい」


 またしても俺の考えごとしてる顔について。

 ……もう何とでも言ってくれ。


「今日、縁ができたのが君でよかった」


 俺のやりづらそうな態度を察したのか、ヴァンは口元に笑みを浮かべたまま、視線を焚き火にもどしてそう言った。


 ヴァンはそれ以上は何も言わない。

 彼の中ではこれ以上の探り合いは終わりにしたいようだ。


「気に入ってもらえたなら、光栄だ」

 俺もそれ以上は何も言わない。




 しばらくの間、互いに話しかけることはせず穏やかで静かな時間が流れた。


 ふと、ヴァンは焚き火に薪をくべながら炎へと視線を落としたまま、独り言のように呟いた。

「私は人の嘘を見抜くことが得意なんだ。おかげで今の地位にあると言ってもいい」


 声音でわかった。

 普段人には言わないことなのだろう。


 その言葉に、俺は妙に納得した。

 ヴァンは「嘘を見抜くのが得意」といったが、得意なんてレベルじゃない。


 ほぼ完璧に見抜いている。

 そして真意を見抜くのにも長け、頭の回転も異様に早い。


 加えて他国の情勢に精通しており、密談にも赴く。

 いかにも上級貴族といった立ち居振る舞い。


 それなりの地位にいると言っていたが、もしかしたら。

 外交特使のような交渉の場に出る立場ではないだろうか?


 外交というのは、はったりや偽りの中から情報を引き出し、いかに自身の国や領地を優位に持っていくかだ。

 こんな男が交渉の場にいれば、マルゴーン帝国は独り勝ちのようなものだろう。


 ヴァンの独り言のようなその言葉に、俺は何も言わずにいた。


 ヴァンは第七皇子とは関係ないのかもしれない。

 だが、俺には彼との繋がりを保っておくことが得策に思えた。


 だから。


「慎重になりすぎて嘘で身を守ったことは赦してくれ」

 そう言って俺は立ち上がり、ヴァンのそばに膝を立てて腰をおろした。


「見ていればわかる。君は帝国でも立場ある人間だろう。

 俺の身分を弁えない振る舞いを許してくれた寛大さにも、敬意を」

 恭しく頭をさげた。

 従者が忠誠を誓った主人にかしずくように。


 ふだんはメルロロッティ嬢以外にはしない行為だが、相手は間違いなく帝国の立場ある上級貴族。

 媚びておいて損はない。


 ヴァンはゆったり構えたまま、その琥珀色の瞳で俺を見下ろしている。

 態度を変えた俺の真意など伝わっている。


 立場ある貴方に媚び諂っておきたいのだ、と。


「グレイ、君は綺麗だな」

 そう言うと、不意にヴァンが手を伸ばして俺の顎を軽くつかんだ。

 そして、俺の顔を自分の方へと見上げさせる。


 俺は驚いて、目を見開く。


 ヴァンの手の熱さに、熱の籠った視線に、口説き文句のような言葉に。

 思わず、動揺して体を強張らせる。


「容姿も振る舞いも実に美しい。自分のためではなく、傍にいる主人のために研鑽をつみ、己を磨いている。そういう美しさだ」

 そう言うと今度は手を俺の目前に差し出す。


 俺は反射的に、ヴァンの手に自分の手を下から添えた。

 え?何??

 敬愛のキスでもしろってこと?


「ははっ素直だな。今のもそうだ。目の前の相手に対する扱いや所作が、一流のそれだ」


 あ、なるほど。そういう意味ね。

 従者としての立ち居振る舞いを褒められているのか。


 そんなことを冷静に分析するも、俺はどうにも動揺が抜けない。


 ヴァンは視線を逸らさない。

 俺も視線を逸らせない。


 なんだ、この空気。

 マルゴーン帝国の謎多き男に、友好の意を示し感謝を述べて媚び諂っただけのつもりが。



 何かが、はじまっている気がする。



「君といると心地よい」

 そしてヴァンはトドメの一撃を放つ。


「……欲しくなる」

 扇情的な視線を俺にむけたまま、引き寄せた俺の手のひらに唇を寄せた。




 ——そう、誘われていた。

 完全に、誘われていたのだ。


 これが濃密な時間に至るまでの経緯、というワケだ。


 これは、回避不可能な状況だったと思う。


 マルゴーン帝国の高貴な身分相手に、しがない小貴族の俺は誘われたのだ。

 断れば不敬だろ。マナー違反だろ。

 外交に影響を及ぼすかもしれないだろ。

 知らんけど。


 しかも互いに詮索は手打ちとなり、このまま明日を迎えれば運命のイタズラとも呼べる出会いと別れができる状況。

 もし再会することはあっても、その時は互いの立場や状況が邪魔をするだろう。

 こんな風に接することができるのは、きっと今だけ。

 実に情熱的な展開だ。


 そして何より。


 華奢で見惚れるほどの美貌の男が、個人的に好みど真ん中を射抜いている男が、俺を口説いてきているのだ。


 正直、理性など吹っ飛ぶ。


 己の立場を顧み、将来的な諸々を考慮したのはたぶん0.3秒くらい。

 俺は欲望のままにヴァンの肩を押し倒し、ヴァンが何かを言うより早く唇を奪っていた。

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