セーターの糸

有ノ木 こはる

セーター糸

「サイズのご案内できますので、よろしかったら」

 男性店員に声をかけられて、肩が強張った。毎度こういった店での声かけに一瞬身構える自分をどうにかできないかといつも思うのだが、商品前に立ち止まるや否や捕捉すると視野ぎりぎりのエリアからパーソナルスペースに乗り入り、ぐいぐい売り込みをされるとまるで自分が肉食動物に狩られるシマウマのような気分になる。

 きっと自己肯定感を持て余し自信に満ち溢れて値段の札も見ずに買い物をするような人はこの感覚に共感してくれまいが、初対面の相手に声がうわずってしまう自分のような客は日本において多数派に入るはずだ。

 だがここでどぎまぎしてもいられない。私は自分に暗示をかける。

 なんのことない、これはセレクトショップに足を運んだ者にとって避けようのないことだ。店員にとっては挨拶のようなもので、このテナントスペース内ではnano universeの風習と文化に身を委ね、ふさわしく振る舞うことが要求されるのだ。nano universeの看板をくぐる者は一切の非社交性を捨てよ、である。

 客としての所作を呼び起こした私は店員に感じのよい頷きを返し、ありがとうございますと繋ぐ。

「このセーターって少しゆったりめの作りですよね」

 今日私が新宿のルミネでメンズカジュアルにひとり乗り込んできたのにはきちんと目的がある。その目的を果たさずには帰れない。脳内にはミッション・インポッシブルの台詞が巡る。

 This is your mission, should you choose to accept it.

(このミッションを遂行するか)

 気持ちはトム・クルーズそのものである。


「そうですね、ざっくりと着ていただくものですね。厚手の生地ですのでこの上にはジャケットやコートを羽織る形になりますし」

 すらすらとレスポンスが続き、こちらも引き下がる訳にはいかない。

「そうですよね、今Мを見ていたんですけど普段着ているのはLなんですよ」

「ご身長どれくらいでいらっしゃいますか」

「180くらいですね、細身な方で」

「それくらいのご身長で細身でいらっしゃると、Lがよろしいかもしれません。身幅はそんなに変わらないんですが、身丈が変わってきますので。Мだと手を上げたりした時に結構足りない感じになってしまうかなと」

 驚くべきことに店員は贈り物ですか、どなたに向けてですかとは聞かなかった。この時期に女性ひとりでメンズのセーターをうろうろしているのだからなんとなく当たりがつけられたのだろうが、なかなかやるなと話しながら落ち着いて店員に視線を戻す。

 ふと、男性の手元に目線が止まった。左手にごつごつとした大ぶりの二つの指輪がスタイリッシュで落ち着いた店内と商品イメージとは異彩を放ってその存在感を露わにしていた。しかも人差し指にはまっている方は髑髏をかたどったものだったから余計に意識せざるを得なかった。

 ひょっとしてメタルバンドとか好きなのかな。

 勝手な偏見が先行している意識はあったものの、ハードなファッションセンスといえばメタル、ハードロックが想像に易く、限られた知識の中で髑髏を装飾品として採用する業界、ジャンルはそれ以外に思いつかなかった。無論、今メンズファッションの最先端が人骨モチーフという可能性も否定はできないけれど、それなら店内にそれをテーマとした商品があるべきでこの論点は退けられた。

「色はこの二色ですか」

「はい、ベージュとブラックですね。ちょうど今日入ってきたもので」

「そうなんですね、タイミングがよかったです。これ家で洗濯できますか?」

「はい、手洗いモードであれば大丈夫です。お使い頂く内に、面の毛糸が少しひっかかったり、出てきてしまうかもしれませんが、元々甘く編んでいるデザインですのでそこまで気にはならないかと思います」

 色の比較やセーター生地の精査をするよりも、それを示す手の方に注意を取られそうになるが、最初に見ていたベージュの方がやはりよさそうと当初の目的に立ち戻りつつ判断する。

「じゃあ、そちらのLを頂きます」

「ありがとうございます。お会計はこちらでお願い致します」

 プレゼント用に包んでもらうのを店内で待つ間、やっぱり聞いてみようかな、と純粋な興味が湧いてくる。しかし、初対面でいきなり「その指輪、何かご趣味とかに関係あるんですか」と聞ける度胸は持ち合わせていないではないかと素の自分が抗議する。でもここで聞けたらいい土産話になるんじゃないか、とか気になったものを放置してもどかしい気持ちを持て余すなともっともらしい理由をつけて店員への尋問を決行しようとする派閥も声を上げる。

 でも、今日プレゼント買いに来てることは秘密だしなあ。

 毎年クリスマスと誕生日はどうしてか、お互いサプライズを敢行する傾向にあり、今年も例に漏れず夫は24日と25日は予定を空けておくようにと言うだけで何も詳細を教えてくれない。先月は温泉地へ行きたいねと話しながら私が携帯で温泉旅館の予約サイトを開いていると、調べるのはそれくらいにしておきなさいと止められたり、徹底した秘密主義と情報統制が行われていて、私も粛々と秘密警察をかいくぐる亡命よろしく仕事帰りに新宿に立ち寄っている訳なのである。12月はこうして出し抜くか出し抜かれるか、の熾烈な攻防戦が水面下で勃発していて、クリスマス当日を迎えるまで気が抜けない。

 やはり平日は職場と家の往復、休日は2人でショッピングに出かけているために、今日の話を持ち出すとぼろが出てしまうかもしれない。髑髏の指輪でこのミッションを崩壊させる訳にはいかない。私は初心にかえって店員の指輪について追及することをあきらめた。

「お待たせいたしました。お品物でございます。お出口でお渡しします」

 終始礼儀正しい男性店員から恭しく手提げ袋を受け取る。

「ありがとうございます」

「またお待ちしております」

 振り返らず颯爽と店を出て、目の前のエスカレーターに乗る。ミッション遂行には犠牲もつきもの、と指輪の謎はそのままに家路へつく。彼に渡す贈り物は最初から目をつけていたベージュをメインに寒色系の毛糸もミックスされたボリュームのあるセーターになった。短い毛糸の端をあえて表面に出したデザインのため、きっと彼は手に取るや否や「毛糸がふわふわになってるー」とセーターを撫でまわすに違いない。そして、毛糸のひと編みがどこかにひっかかって1本だけ伸びていってしまう。あ、とふたりで声を合わせ、彼がほんの少ししょげる。私は店員がアドバイスした通り、甘く編んであるからそんなに目立たないよ、とフォローするところまで想像してマスクの下でにやりとした。プレゼントを渡したら、今日あったことを話そう。

 エスカレーターで階下に降り立った頃にはさっきまで張り詰めていた緊張の糸は解けていた。クリスマスまであと2週間。私たち夫婦の隠し事は25日まで続く。

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