第19話 ご褒美のチュー

 ――カタカタカタッ


 部屋いっぱいに広がるタイピング音。


「朝花ー?髪乾かせよー」


 ――カタカタカタッ


 俺の言葉に反応を返してくれるのは、もちろんタイピング音。


 相当執筆を進めたかったのだろう。

 いつものように自分で髪を乾かすことはなく、この部屋に入った時は画面に顔を近づけていた。


「……俺がやるか」


 ため息混じりに言葉を零した俺は、ドライヤーを手にとってコードを挿す。


 これ以上話しかけて執筆の邪魔をしたら悪い。

 俺はなにかに没頭したことがないから分からないけど、集中を阻害されるのは相当苛つくはず。


 それに、言葉にはしてないが、朝花も『五季が乾かして』と言ってるのだろう。

 お風呂も入り終え、後は寝るだけ。ゲームもない今、暇を持て余してるのだから別に断る理由はない。


「ヘアバンド取るぞ」

「ん」


 短いけれど、やっと言葉を返してくれた朝花から黒色のヘアバンドを抜き取る。

 そうして、ドライヤーに音を宿した。


 体育の時から機嫌が悪かった朝花だが、家に帰るや否や調子が戻り、いつものように話してくれるようになった。

 今は執筆があるから会話はしてないが、食事中はいつもの倍話したと思う。


 なぜに機嫌が戻った?なんて疑問が脳裏で渦巻くが、機嫌がいいことに越したことはないので特に聞かないようにしてる。


 髪をとく中、チラッと画面に映る文章に目を向けた。


『なんで間接キスで照れないの!?』


 そんなヒロインの内情から読み始める。


『私はこんなにも照れるのを我慢してるっていうのに、なんであの幼馴染は……私の好きな人は!照れてくれないの!!』


【重たい足でバスケットボールを追いかけながら、悶々とした気持ちを胸に幼馴染を視界に入れる】


 そんな地の文と内情に、思わず苦笑を浮かべてしまった。

 だってそうだろう?この内容はあまりにも”タイムリー”すぎる。


 俺と朝花が間接キスをしたのは今日。バスケをしたのも今日。重たい足ということは、体育館10周で体力を使っていたということ。


 全ての内容が、今日の体育に当てはまっているのだ。

 俺は主人公じゃないというのに、書いてるのは俺と朝花の出来事ばかり。


(にしても、間接キスを迫る幼馴染の好意に気付かないって相当な鈍感だな)


 まず俺と違う点はここ。

 俺はこんな主人公みたいに鈍感じゃない。


 朝花の物事を察せてるし、現にこうしてドライヤーもしている。


「……ほんと、なんで気付かないの……!」


 不意に朝花の口から溢れたのは、怒りの声。

 後ろ姿でも分かってしまうほどに歯を食いしばり、叩くようにキーボードを強く打つ。


「感情移入するのは分かるけど、そんな怒んなって」

「別に怒ってないし!感情移入っていうか、私だし!」

「ヒロインは自分目線で書いてるのか」

「…………鈍感系が!!」


 ギロッと目尻に寄せた瞳がこちらを睨むが、知らないうちに髪を引っ張っていたのだろうか?


 蒟醤を浮かべながらも、警戒心を強めながら髪を撫で続けた。





「――よし、終わったぞ」

「……ありがと」


 朝花の小さな声が返ってくる中、コードを束ねる。

 そして、ベッドへと戻った。


 なぜ俺が家にも帰らずにここに居るのか。

 それは『今日もこっちに残るよね!』と朝花に言われたから。


 目の輝きを見るに、元気を取り戻した理由と同じだとは思うんだが……正直なんで『残るよね』と釘を打たれたのかは分からないでいる。


「あの朝花さん?俺、いつまでここに居ればいいんすか?」


 執筆中に申し訳ないとは思う。

 けど、閉じ込められてる理由がなんなのかは知りたい。


 だから問いかけたのだが……


「え?五季が言ったんじゃん」


 画面から視線を逸らした朝花は、コテンと首を傾げた。


「……俺が……?」


 同じように首を傾げて脳みそをフル回転させるが……俺からこの家に残るなんて言った覚えはない。


「……もしかして忘れたの?学校で言ったじゃん。『勉強頑張ったらご褒美あげる』って」

「あー……。そういや、んなことも言ってたな……」


 ポンッと手を叩いた俺は、空中を彷徨っていた視線を朝花に下ろす。


「そのご褒美を今貰おうと?」

「そう!ほっぺにチューとかしてくれるんでしょ!」

「んなことも言ったな……」


 朝花の目から解き放たれる輝きは、何度も顔面に突き刺さる。


 冗談交じりに言った言葉だったんだけど……でも、こうして今日一日中勉強を頑張ったわけだし……。


 朝花の頑張りを無下にするほど俺もヤワな男じゃない。

 たとえ小説のネタにされようが、約束は約束だ。


「分かった。してやる」

「やったっ!」


 力強く握りこぶしを作った姿を見れば、どれだけ嬉しいかが分かるのだが……ほっぺたにチュー程度で書けるものなのか?


 そんな疑問を抱きながらも、画面から光を落とした朝花が腰を上げた。


「あれ?執筆はしなくていいのか?」

「もう3000文字書いたから。一応ノルマは達成してる」

「3000……すげぇな……」

「私なんて全然だよ。この世界には同じ高校生なのに、1日1万文字書いてる人もいるんだし」

「はぁ……すげぇ……」


 呆れすら抱くほどの関心が溢れ落ちる。

 けど、1日に1万文字書くということは、相当な時間を食ってるはず。


「……そいつ、友達いないんじゃね……?」


 率直な疑問が口から零れた。


 だってそうだろう?

 友達がいたら時間が消えるはず。でも書けているということは、放課後に一緒に遊ぶ友達がいないということ。


「五季ってたまに人の心抉る発言するよね」

「え、そうか?」

「うん。というかそれ、私にも効く。私も学校帰ってすぐに執筆してる人だから」


 隣に腰を下ろした朝花のジト目が頬に突き刺さるが、


「でも朝花には俺がいるじゃん。なんやかんやで放課後も遊んでくれるし」

「それはそう……だね。うん、確かに私には五季がいるね」


 すぐに睨みを解除し、頬にほほ笑みを浮かべた。


 実際にそいつに友だちがいるのかどうかは知らないけど、朝花みたいに友達の時間を作ったほうがいいと思う。


 そんな思案を頭の片隅に置きながら、横目に朝花を見やる。


「そだぞ。こうして小説のネタ提供も出来てるわけだし、友達は万々歳だ」

「……友達……?」

「え?友達だろ?」

「……今は友達ですよ……!」


 ”今は”という言葉に些か疑問は残るが、膨らませた頬とともに体を近づけてくる朝花。

 このほっぺたにチューをするという事実が近づいてる今、問い質すことも出来ずに……唇を擦りだす。


「安心して?唇にゴミなんてついてないから」

「それもあるけど、唾液が付いてたら嫌だろ?」

「え、別に?……なんなら嬉しい……」


 にへっと頬を緩ませる朝花の瞳が机にあるキーボードを見る。


「唾液如きで小説のネタになんのか……?」

「え?あ、小説のネタ……うん、なるよ……うん……」


 緩ませていた頬はどこへ行ったのやら。

 しおらしく返ってくる声とともに、頬が膨らんだ。


「……とりあえず、早く」


 そうして急かすように頬を突き出してくる。


 本人は嬉しいと言っていたが、好きな人の頬に唾液をつけるほどのマゾ体質が俺にあるわけじゃない。

 しっかりと水分を拭った俺は、


「はいよ」


 短く言葉を返し、顔が動かないように朝花の顎を押さえて――頬に唇を押し付けた。


「ふふっ」


 そうすれば、何故か朝花の口からは含み笑いが零れた。


「……なんだよ」


 唇と手を離して言ってやれば、微かに頬を赤くした朝花と視線が交差する。


「私からじゃなくて、五季から提案されるのは初めてだなぁって」

「言われてみれば確かに……」


 言わずもがな、小説を書いてるのは朝花で、小説のネタを欲しているのも朝花。

 それが故に、提案を持ちかけるのは毎回朝花。


 それが今日、初めて俺から提案したのだ。

 まぁ元を辿れば『勉強頑張ったらご褒美頂戴!』って言ったのは朝花なんだが、ほっぺたにチューを提案したのは俺。


 その事実が朝花にとっては嬉しかったのだろう。

 赤くなる頬を見届けていれば、朝花の人差し指がちょんちょんっと頬を叩いた。


「もう1回頂戴?」

「結構恥ずいんだけど……?」

「顔赤いから知ってる。なんならその顔可愛いからもっと見たい」

「……そっすか」


 隠すように視線を逸らすが、逃さまいと言わんばかりに太ももをくっつけた朝花は、強引に視界に映り込んでくる。


「ほーら。はやく~」


 自分の頬も赤いというのに、よくもまぁ積極的に来れるものだ。


 体に伸し掛かってくる朝花の体重……というか、肩に押し付けてくる肉厚な果実を感じながら、負けじと体を逸らす。


「1回って約束してなかったじゃんー」

「こういうのは決まって1回なんだよ」

「ちゃんと言ってくれなきゃ分かりませーん」

「じゃあ今言ったから大丈夫だな」

「ダメでーす」


(どこの酔っ払いだよ)


 そんなツッコミが出てきてしまうほどに、朝花のダル絡みがひどい。

 いやまぁいいんだけどさ。フェチがおっぱいとお腹だからいいんだけどさ。なんならもっとやってやろうか?って勢いでいるんだけどさ。


(……なんか負けた感じがするじゃん……?)


 言われるがままにしてきたことはこれまでにも多々あった。

 今回もそれと似たようなものと捉えればいいんだが……改めて、俺の恋心を小説に使われるというのは、些か釈然とせん。


「ねぇ〜」


 やがて、俺の体はうつ伏せにベッドに倒れてしまう。

 お構いなしに伸し掛かる朝花は、匍匐前進で頬の横に頬を持ってくる。


「……これ、小説に使うんだろ?」


 ベッドに顔を押し付けているからか、籠もった言葉がベッドいっぱいに響く。


「い、いきなりだね……?」


 突然の言葉に、まるで酔いが覚めた女性のような反応をする朝花。


「まじで今更だとは自分でも思う。けど、こうした俺達の日常を、俺以外の主人公で書かれるのは……ちょっと、気に食わん……」


 我ながらわがままな言葉を口にしてると思う。

 幼馴染として……1ファンとして、これまで色んなネタ提供をしてきた。


 けど、さっきの文章で改めて分かった。

 朝花はヒロインなのに、俺は主人公じゃない。つまり、空想の世界では他の男とイチャイチャしてるということ。


 ……簡潔にまとめれば、俺のこの感情は”嫉妬”というやつだ。


 俺をダシに使って、他の男とイチャつくのは、朝花のことを好きな身として許せない。


「えーっと……つまり?私が書いてる小説の主人公は五季じゃないと?」

「そうだ」

「簡潔に言えば、『現実世界で俺とイチャイチャしてるのに、空想世界では別の男とイチャイチャしてるのが気に食わない』ってこと?」

「……そうだ」

「つまりつまり、嫉妬ってこと?」

「…………そうだ」


 幼馴染だからか?それともこいつが作家だからか?

 なんで俺の心が手に取るように読まれてるんだよ。なんで口にしてない言葉が全部わかるんだよ。


「ふーーーん?」


 俺の思案とは別に、耳元ではニマーっと語尾が上がる朝花の声。


 なぜ嬉しそうなのか。なぜ誇らし気なのか。

 問い質したい気持ちは山々なのだが、今の俺の顔はきっと、人様に見せれたものじゃない。


「ねね、顔上げてよ」

「いや」

「いいじゃんいいじゃん。もっと嫉妬して良いからさ」

「そっちのほうが嫌だわ」

「ねぇ〜」


 子どもがねだるような言葉で言ってくる朝花は……不意にグリグリと頬をベッドと俺の顔の間にねじ込ませてくる。


 強引に持ち上げようという作戦なのだろうが、そう簡単に屈する理由もなく、


「ちょ、な、なんでびくともしないの……!」


 至近距離で聞こえてくる朝花の歯を食いしばった声。


 朝花とは違って日頃から筋トレしてる俺が動かないのは当たり前。

 犬のように鼻を捩じ込ませようが、体に腕を巻こうが、筋肉に勝るものはなにもない。


「動かせないって分かったなら退きな」

「絶対ヤダ。五季とチューするの」

「んな子どもみたいな事言うんじゃない」

「ほら、ウーってして。ウー」


 俺と同じようにベッドに籠もる声が頬に当たる。

 続くように、伸ばされているであろう唇も頬に当たってる……。


「当たってるんですが」

「当ててんの。ほら、あとちょっとだから」


 グリグリと捩じ込ませてくる唇は、ほんとにあと数センチ。


 逃げようにも、背中には柔らかな胸が押し当てられ、足で対抗されないようにこれまた柔らかな太ももでホールド。

 朝花ごと持ち上げても、強制的にキスをされるだけ。


 つまるところ、俺は手詰まりというわけだ。


「なんでキスしたいんだよ」


 肉体的に勝てないのなら、精神的に。

 若干投げやり気味に問いかけた言葉だったのだが……効果は覿面だったようで、


「……言わない」


 グリグリと押し当てられていた顔の動きが止まり、伏せた声だけが返ってくる。


「なんでだよ。ここまでするなら言ってくれよ」


 顔はベッドに押し当てたまま、離れようとしない朝花に問い質し続ける。


「……それはこっちのセリフなんだけど……」


 不意に聞こえてくるのは、伏せた声に混じった怒り。

「え?」と声を漏らすと、体に巻き付く力を強めた朝花が言葉を続けた。


「私、こんなにもアタックしてるんですけど。チューしたいなんて、その辺の男にしないんですけど」

「いやでもそれって小説の――」

「小説のためじゃない。なんなら、”小説も建前”」


 俺の言葉を遮って言ってくる……のだが、どれもかれも疑問を抱くものばかり。


「『小説も建前』ってどういう……?」


 その中でも、1番聞かなきゃいけないのはこれ。

 これまで散々小説のネタ提供に付き合ってきたのに、建前とはどういう意味なのか。


 ベッドに睨みを押し付けていれば――再度頬を捩じ込ませてきた。


「ちょ、朝花!?絶対今は再開させるところじゃないって!」

「なんでこんなに鈍感なの!早くチューしよ!」

「鈍感とチューに関係性ないだろ!」


 体を強張らせて届きそうになる唇を拒否し続ける。

 拒否し続けて、し続けて……し続けて――やがて、お互いの息が荒くなった。

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