第27話 契約の果て


 パチパチパチ。

 綺羅は静かに立夏を見つめ、次の瞬間、ゆっくりと拍手をした。静かな空間に拍手の音だけが響いていく。

 ゆっくりと降りてきた綺羅が立夏とイロハの前に立つ。

 視線と視線が真正面でぶつかり、立夏はもう一度イロハの手を握りしめる。


「君の言う通り、君はイロハに関することで死なないとしたら、君がイロハに関することで死にそうになると世界は矛盾を解消しようとする。僕はその力を使わせてもらっただけさ」


 死にそうなら、死ななくて済むようにすればいいわけだ。世界は思ったより大味にできている。

 立夏は内心、ため息をついた。

 通りで痛い目に遭うたびに時間が戻るわけだ。立夏は綺羅と出会ってから、ホームに落とされ、階段を落ち、刺されている。

 散々なことばかりだ。今更だけど私はもうちょっとこの男に怒っていいのではないかと立夏は軽く男を睨んだ。


「私はあなたの思うように振り回されたわけね」

「君がイロハを選んでくれないと意味がなかったからね。イロハが見込んだ通りの人間で良かったよ」

「イロハを見捨てるわけがないじゃない」


 すべてこの男の手の中にいたようで嫌になる。

 あれほど不気味だった灰色の瞳も、もう怖くはない。

 二人の軽妙なやり取りにイロハは肩を上げると、感心したように息を吐く。


「はー……二人とも面倒なことしてきたんだね」


 その言葉に、立夏と綺羅はぴたりと動きを止めるとイロハを見つめた。


「「誰のせい(だ)よ」」


 多少、想いは違えど、立夏と綺羅の声はぴったりと重なった。

 ここまで面倒なことをしてでも助けたかった本人に言われると、少々、苛ついてしまうのも仕方ないだろう。

 二人の視線を向けられたらイロハは小さく肩を竦めた。


「はーい、ごめんなさーい」


 イロハが謝る。場違いな軽ささえ感じる声音だったが、一番命の危機にある人とは到底思えない。

 この大胆さが、イロハらしいと思ってしまう時点で立夏の負けなのだろう。

 綺羅も同じだったのか、軽く嘆息すると立夏に視線を向けた。


「じゃ、君は……立夏は次にどうしたい?」


 綺羅が楽しそうに問いかける。正答した生徒に、その先をさらに考えさせるような言葉だった。

 視線には期待に近い何かが込められていて、立夏は顎の下に手を当てると少し考えーーするりと言葉が出ていった。


「私はあなたと契約する」

「……どんな?」


 綺羅の口元の笑みが、少しだけ深まる。

 それは新しい遊びを見つけた子供のような、どこか意地の悪いものだった。

 契約という言葉に手を繋いだイロハから強く腕を引かれた。

 ちらりと視線を向けるとイロハは必死な顔で首を横に振っている。

 可愛い。立夏は湧いた感想に頬を緩めると安心させるようにイロハに肩をぶつける。

 それから、立夏は綺羅を見た。


「竜山イロハは立夏に関係することで死なない」


 その瞬間、イロハが息を呑む音が隣から聞こえてきた。

 ぐいと今度は有無を許さない力で引き寄せられる。

 この子は結構馬鹿力だ。頬を両手で挟まれて顔をイロハの正面に向けられる。

 あまり見ない真剣な表情のイロハがそこにはいた。


「立夏、契約を結ぶってことは——」

「大丈夫、私だってもう、全部分かってるわ。その上で、私は私の命をあなたのために使いたい」


 イロハの手に自分の手を重ねる。暖かい。あの日見た棺の冷たさはもうない。

 それだけで今の立夏には十分だった。

「何でそんな馬鹿な事を?」と言いたそうにイロハは眉を下げた。良い表情だ。この顔ができるなら、やっぱりイロハは良い女優になれると立夏は思った。

 イロハが死なないと言うだけで、立夏の頭の中には様々な未来が色鮮やかに描かれる。

 綺羅はそんな立夏とイロハの二人を眺めていたが、口元にニヤリとした笑みを浮かべ二人の会話に割って入った。


「僕は絶望の中で死ぬ人間が好物なんだけど?」

「何度聞いても趣味が悪いわね。他の感情で駄目だったの?」


 絶望以外にも様々な感情がある。喜びの絶頂でも問題なかったはずだ。

 そうすれば喜んで命を差し出す人間も多いかもしれない。

 まぁ、幸せの絶頂で死んでしまったら、それこそ絶望を味わうことになるだろうが。

 立夏は呆れたように眉を寄せ、ため息をつく。


「綺羅はそういう人だから」


 イロハが肩をすくめながら、そう答えた。

 それで納得してしまうからイロハは甘いと言いたかったが、口には出さない。そういう甘さがイロハの良い所な気がしたからだ。

 そして、同じような契約を結ぼうとしている自分も、結局は似た性格なのだろうと立夏は思う。


「いいわよ、別に」

「え?」


 イロハがきょとんとした顔で立夏を見た。綺羅は不思議そうに眉を上げる。

 そんな二人の前で、立夏はイロハと手を繋いだまま腕を組む。自然と近くなった肩がぶつかり、横目でアイコンタクトをした。


「だって、この契約なら二人一緒に自然に死ぬまでいればいいだけだもの」

「なに、言ってーー」


 綺羅の声が途中で止まる。

 立夏は今までの意趣返しをするように、にやりと笑った。

 立夏はイロハに関することで死ねない。

 イロハも立夏に関することで死ねない。

 ならば、二人がずっと一緒にいれば、お互いの関係が続いている限り、死ぬことは難しくなる。

 その可能性に気づいたのか言葉を失った綺羅の前で、イロハは満面の笑みを浮かべながら立夏に抱きついた。


「立夏、頭良い~」

「でしょ? 私たちが絶望するなんて、お互いに死ぬときしかないだろうし」


 立夏の言葉にイロハは大きく頷いた。そのまま犬が飼い主にマーキングするように額を立夏の肩にぐりぐりと擦り付ける。


「そうだね、大好きだよ、立夏!」

「私もイロハが好きよ。ここまで追いかけてくるくらい」


 立夏は優しくイロハの頭を撫でた。 お互いの顔に満面の笑みが浮かび、とても絶望の中で死ぬ契約を結ぼうとしている二人には見えなかっただろう。

 その光景に最初は呆然としていた綺羅だったが、徐々に顔に微笑みを受かべると、やれやれと顔を横に振る。


「はぁ〜……やっぱ、狂ってる人間と付き合えるのは狂ってる人間だけなわけね。君たち、お似合いだわ」


 綺羅が肩をすくめる。綺羅の嫌味たっぷりの言葉も立夏とイロハの耳には届いていなかった。

 二人は二人だけ世界で話をしていた。

 イロハは立夏を見つめたまま、少しだけ唇を尖らせる。


「立夏が途中で嫌になって、後悔しても知らないから」

「その時はその時で考えるわ……あなたこそ飽きないでね?」

「飽きるわけないじゃん! あたしが立夏に飽きるとか、ないから!」


 イロハは即答し、きゅっと立夏の手を握りしめる。

 そのやりとりに、綺羅はもう降参というようにふっと笑った。


「……じゃあ、契約成立」


 綺羅が手をかざし、指を鳴らす。

 その瞬間、淡い光が二人を包み込み、姿を消した。

 元に戻った世界は何事もなかったように遮断機が上がった踏切を人と車が往来していた。

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