とびきり甘くとろけるチョコレートをあなたに(あげる予定だった)。
宇部 松清
第1話 ルーベルト視点
「……坊ちゃま、少々落ち着かれては?」
貴族達の間で陰ながら『鉄仮面伯爵』などと呼ばれている我が主、アレクサンドル・クローバー坊ちゃまが、今日は朝から何やらそわそわと落ち着きがございません。坊ちゃまがその『鉄仮面伯爵』などというやや不名誉な称号を賜っているのは、表情筋が全く仕事をしていないから、というごくシンプルな理由。長いことお仕えしているこの爺ですら、年に数回は、もしや鋼製だったか? と錯覚してしまうほどに表情が変わらないのでございます。
けれど。
「何を言っているんだ、ルーベルト。僕はいつだって落ち着いている」
その坊ちゃまが、少しお変わりになられました。
かすかに、ではございますが、ふわりと微笑むようになったのでございます。
使用人達からは「何を言っているんですか、ルーベルト様。本日も全く動いておられませんでしたよ」、「ルーベルト様、それは幻覚です。今日はもうお休みになられた方が」と言われてしまいますが、爺にはわかります! ミリ、いやミクロ、もしかしたらナノレベルの変化かもしれませんが、爺にはわかるのですっ!
その爺から言わせていただければ! 今日の坊ちゃまはちっとも『落ち着いて』おられませんっ!
「いえ、このルーベルトめにはわかります。坊ちゃまは、朝からずっとそわそわしておられます」
「……そう見えるか」
「見えますとも。このわたくしめを舐めないでくださいまし」
「そうか、それは申し訳ない。さすがはルーベルトだ」
「ありがとうございます。それで、その……アレ、でございますよね?」
そう言って、ちら、とデスクの上のカレンダーに視線をやると、坊ちゃまは、こくりとお頷きになられました。
「エリザは僕にチョコレートをくれるだろうか」
本日はバレンタインデー。
この世界に『バレンタインデー』が存在するのか? なんて、野暮なことを指摘してはなりませぬ。
坊ちゃまが、ふぅ――――――、と深い深いため息をついて、組んだ手の上に額をお乗せになられました。その御姿にきゅうと胸が締め付けられる思いでございます。なぜかようにも自信が持てないのでございましょう。
なので、少々喝を入れるつもりで、声を張り上げさせていただきました。
「もちろんですとも! だってお二人はご夫婦ではございませんか!」
そうなのでございます。
アレクサンドル坊ちゃまとエリザ様は、艱難辛苦(詳細は本編参照)を乗り越えて昨年の十二月、無事、夫婦となったのでございます。それから約二ヶ月。新婚も新婚、アツアツほやほやの新婚。さすがの坊ちゃまも少々浮足立つかと思われましたが、やはり表情は変わらず(いーやっ、このルーベルトは微細な変化を感じておりますがっ)、「本当は結婚なんてしたくなかったのでは」、「他に好きな方がおられるのでは」、「やはり男爵令嬢は不相応だったのでは」などとヒソヒソ噂をする者もおりました。
だ――まらっしゃい! 坊ちゃまは! 坊ちゃまは! エリザ様のことをそれはそれはお慕い申し上げておりますし! 七歳からずっとお慕い申し上げておりますし! むしろ「こんな僕で大丈夫なのだろうか」と思ってますよ、この御方はァ!
とりあえず、そんな不届き者達は光の速さで特定し、がっつりお説教した上で、反省の色が見えなければ即刻クビにしましたけれども、それは置いといて。
とにもかくにも新婚夫婦なのでございます。
チョコレートをもらえない、なんてことがあるでしょうか?(いや、ない)
いまごろ、侍女のリエッタとメイド長のケイシーと共に、ジェフ料理長監修の元、チョコレートを作っているはずです。爺はちゃんと知っているのです。口止めされているのです。だから絶対に今日は坊ちゃまを厨房に近付けるなと厳命されているのです。厨房の入り口だってマーガレット騎士団長をはじめとするエリザ騎士団がしっかりと固めております! 完璧でございます!
ご安心ください、アレクサンドル坊ちゃま!
今年は本命も本命、ド本命のチョコレートをその手に抱くことが出来ますぞ!
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