Episode.4-3:彼女がしたいこと
「——それじゃあ、元に戻る必要って、別にないですよね?」
......一瞬、彼女が何を言っているのかが理解できなかった。なぜなら、その発想は通常のプロセスを辿れば絶対に出てこないであろう解答だったから。それ即ち、理解できないのは彼女の言葉自体ではなく、彼女の思考回路の方であった。自らの目に映る紫水の笑顔が、急に恐ろしく思えた。
「............お前は何を言っているんだ?」
動揺で右へ左へと揺れる思考を必死にカームダウンさせ、落ち着いた声音で問う。彼女の言葉はどう考えてもおかしい。どこがどう壊れてしまったのかを確認しなければ、最悪の事態を招いてしまいかねないと俺の頭が警鐘を鳴らした。
「何、と言われましても.........そのままの意味しかないですよ。先輩方が結ばれてハッピーエンド、詩遠先輩は何処か不満がお有りなんですかね」
半ば開き直ったかのような言葉に、今さっき必死に押さえつけたはずの感情が思わず喉元から飛び出した。
「ふざけろっ!! 自分の後輩を犠牲にしてまで思い人と結ばれたいと願う奴がどこにいるんだよ!!」
俺のがなり声に、紫水は冷静を装いながらもぴくりと肩を震わせる。
そう、彼女がしようとしていることは至極簡単なことであった。悠姫を自らの身体へと憑依させ、そのまま元に戻らない。ただ、それだけ。
だが、俺の捉え方が正しいのならば、そこでは一つの命が移動することとなるのだ。そんなにあっさりと終わらせていい話ではない。彼女もたまに抜けているところはあるが、そんなに楽観的な人間ではないはず。だとしたら、何が彼女をこのような考えにさせたのだろうか.........?
紫水は一瞬止まった息を深く呼吸をすることで取り戻す。そうして、再び落ち着いた声音で、ため息交じりに言葉を零した。
「先輩は一つ、大きな勘違いをされているようですね。......別に、詩遠先輩の考えなんてのはどうだっていいのですよ。私はただ、私が、私個人がやりたいことをやっているだけですから」
「なっ...............」
文字通り、言葉を失った。どうやって彼女の意思を削ごうかと頭の中に浮かベていた言葉達が、皆戦意を失い蜘蜘蛛の子を散らしたように逃げて行ってしまったのだ。睨み、刺すようにして俺を見つめるその瞳には、もはや迷いの二文字は存在していないように思えた。
どうしてそんなことをするのかと問おうと思ったが、それは先ほど拒否されたことを思い出す。さりとて、このまま引き下がることも到底できそうにない。.........ならば。
「.........紫水、元に戻す方法を教えろ」
「......? 何を言って——」
「お前がやりたいことをするなら、俺もやりたいことをやるというだけだ、さあ」
とにかく多くの情報を仕入れる。今は、そうする他何もできなかった。その先駆けとして申し訳程度の意地悪を行おうとする。ここで彼女が断りを入れてからが本番だ。
......と、そう思っていたのだが、彼女は俺がやりたいことをすでに見透かしているかのように次なる言葉を紡ぐ。
「なら今ここで問いましょう。.........先輩は、悠姫先輩と私のどちらかを生かすかと問われて、どちらを選びますか?」
まずい、このままでは紫水に会話の主導権を握られてしまう。どうにかして舵を切ろうと言葉を返す。
「.........そもそもそれは、お前がこんなことを起こさなけりゃ生まれなかった二択だろうが」
「そんなことは聞いていません。さあ、答えてください」
「うぐ...............」
圧迫面接のような威圧感に、俺は二回り近くも背丈が小さい彼女に気圧される。
ここで即答をできない俺は、やはり駄目なのだろう。彼女の決意に比べて、『紫水を取り戻す』という意志が圧倒的に緩い。けれど、その二択は、どうしても簡単に断言することはできないのだ。ここで彼女の名を挙げたらこの後の会話は変化するのかもしれない。しかし、できない。この質問を投げた彼女自身も、到底できるとは思っていないのだろう。
そんなこんなで、俺からふっかけたはずの我慢比べは、僅か数ターンで俺が折れてしまった。
ここでふと、彼女は先ほどまで貫いていた無表情を崩し、それどころか仄かに笑みを浮かべながら、言った。
「いいんですよ先輩、今更私に気を遣わないでも。......一瞬でもその二択に悩んでいただけただけで、私は十分です」
「紫水............」
しばらく二人の間には沈黙が漂う。彼女のだんまりの理由は分からなかったが、俺に関しては、戦意を失い、もはや紡ぐ言葉を探すことすらやめてしまっていた。終いには、彼女の邪魔などしてはいけないのではないだろうかという思考すら、脳裏のどこかに浮かんでしまっていた。
依然として全く角度を変えない夕日を浴びながら、ゆっくりとした時間が流れる。
それから五分程度が経った頃だろうか。彼女は急に立ち上がると、パンと手を鳴らした。
「さあ、そろそろ時間ですね。............私、最期に先輩とお話しできて良かったです」
「え、時間って.........まさか」
「多分、そのまさかだと思います」
「何で!? さっきはこの空間については分からないと言って——」
「——ええまあ、それに関しては本当ですよ。.........でも、何となくは分かるんですよね。あくまでここは私の世界なので」
「何言って......って、そうじゃなくて! 少しだけでも、何かヒントをっ——」
そんなことを今更彼女が語ってくれるわけがないと分かっていても、俺は紫水に手を伸ばさんとする。が、しかし。
「っ!!」
彼女が言ったとおり、タイムリミットはもうすぐそこまで迫ってきているようだった。
先ほども経験した瞼を焦がすほどに強い光が再び俺の目の前に現れる。必死に彼女を視界に捉えようとするも、本能がそうさせてはくれない。しかし、目を閉じる間際、彼女が柄にもなく笑っていたことだけは辛うじて分かった。それも、生前悠姫が見せてくれた満面の笑みのような笑顔で。言い合いで負けた俺を嘲るような笑みでなく、俺を不安にさせないようにと浮かべた純粋な笑顔で...............。
そして、肌が感じる温度が冬のそれへと戻ってきはじめた頃、どこからか突然投げられた言葉が俺の鼓膜を震わせる。
「詩遠先輩、私は貴方が大好きでした。.........どうか、お幸せにっ」
と。......それは、確かにどこかで聞いたことがあるような言葉であった。それが、いつどこでどんな風に聞いたかは、全く思い出せないけれど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます